6月23日は、
『沖縄慰霊の日』
先の大戦で
いまから六十四年前の昭和二十(1945)年、
三月から始まった沖縄戦で、
日本軍による組織的な戦闘が終わったとされている日。
いうまでもなく、
日本で唯一、地上戦があった場所。
約二十万人もの犠牲者を出し、その多くが沖縄県民だった。
当時の人口の四人に一人がなくなったことになる。
当時、三歳だったボクの父も兄弟に背負われて、
安全な場所を求めて山原(やんばる)の山の中を歩いたという。

その平和記念公園のある〔摩文仁の丘〕は、
日本軍や住民が最後に追い込まれた場所だったそう。
そこは太平洋を見渡す断崖の丘の上。
その中の平和の礎(いしじ)には、
犠牲になられた全ての人々の名前が
国籍に関係なく刻まれています。
民間人はもちろん、
日本軍人・朝鮮半島出身兵士に、
戦った相手方のアメリカ・イギリス人の犠牲者も刻まれています。
その姿勢に強く共感します。

慰霊の日の当日は、
沖縄では学校も休校になる特別な日です。
N.H.K.では、正午から慰霊式典を中継されていました。
梅雨とは思えない晴れ渡った青空と紺碧の静かな海が、
その悲しみとより際立たせ、鎮魂の想いをより深くさせられる。
ただ残念だったのは、
県知事の仲井真氏の挨拶。
参列者を前にして、
おそらく職員によって予め作成されたであろう書面の文章を、
ただ棒読みしているだけで、参列者に目を配ることもなかく、
なんか気持ちが伝わってこなかったのは残念。
また麻生太郎氏の言葉には、憤りすら感じた。
式典会場に来られている人々の多くは、
家族や親族、祖先に犠牲者がおられるであろうに、
社交辞令的なお悔やみの言葉に続けて、
沖縄の開発や経済支援などを語り、
国政を担う要職の立場の人間であることはわかるが、
式典の性格を考慮すれば、
遺族や県民に対する配慮が欠けているように感じた。
おそらく、東京や霞ヶ関のお偉い方々は、現場の現状も見ることなく、
エアコンの効いた涼しい室内でテーブルを囲んで、
ただ書面でばかり対応している人々は、
そんな程度の感覚なのだろうと感じたけれど。
だから、強制集団自決の教科書記述問題などが起こるのだろうし。
トップと現場との温度差を改めて感じさせられた。
やはり、本土(日本)の人にはあまり実感が薄いか。
そんなボクは、生まれ育ちは琉球系京都の二世ですが。

沖縄を好きという人は多いです。
南国の豊かな自然環境と
おおらかな人々の惹き付けられ、
またその独特な食文化や音楽文化に魅了されるからでしょう。
その豊かな自然の鮮やかな色彩とおおらかな人々の根底には、
重い歴史と深い想いをもっと知って理解してもらたいと思います。
まだ訪れたことのない人には、ぜひ一度訪れて欲しい場所です。
今日は夕方から、京阪三条の檀王寺で、
太田元沖縄県知事のお話を聞いてきます。
沖縄戦から六十四年後の慰霊の日。
今日一日、いつにも増して、平和の祈りに包まれます。
黙祷。