母の故郷、岩手県の大槌。
海沿いの、津波被害が大きかった地域の一つです。

高台から町を見下ろすと

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大きい建物しか残ってなくてわかり難いけど、
見えてる範囲に数百件の家があっただろうことが
近くで見ると残っている家の基礎でわかります。



これ、↓震災前の姿

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基礎だけあるのに、何もないことに違和感を覚えつつも、

本当にこんなに家が建っていたのが無くなったの?という想像の世界が、

各所に山積みのがれきの山を見ることで、
本当のことなのだというリアルさを感じさせます。

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今回町を案内してくれた、この町に住んでいる親戚のおじさんは

偶然高台に逃れることができて、今は仮設住まい。


命が助かったものの、町が呑まれていく景色を眺めてしまった、地元の方にとって、

いつまでも積まれている瓦礫たちは、ただの瓦礫ではなく、

もとは家や、職場、お店、家具、食器、などの生活必需品であり

思い出の品であるのだろうから、

見にするたびに、失ったつらい気持ちを思い出すことになるのかも知れません。


まさに今、瓦礫の受け入れ問題が浮上していますが、

1年経過しても、まだそんなこと言っていることに驚きます。

早くなんとかなるように、願います。

放射能が重なっていることで、問題が複雑になっているのだろうし、

被災者以外の方々も傷つき恐れているからなのでしょうね?




地震の後に止まったと思われる時計。

その下の階まで津波が来ている。

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なんだか泣いている顔のように見える建物。


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ニュースでよく見かけた、

屋上に船が乗り上げていた、民宿です。

船が降ろされた記事がこちら↓
http://mytown.asahi.com/areanews/iwate/TKY201104220529.html



悲惨さを示す象徴的な建物として、

船を乗せたままにしようという声もあったそうですが、

建物自体が重みに耐えられないだろうことは、

近くで見ると明らかでした。


残すか、壊すか?

どっちの選択をしても、反対する人は必ずいるのです。


それでも方針を早く決めることで復興が始まるのだから、

多くの人の声をききつつも、批判を恐れず

早く誰かが決断してほしい。



そして、そのために私は何ができるだろうか?


と、一人でも多くの人が考えたいですね。




続く。。。



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