鬱と迂闊な月曜日 -7ページ目

うつ病日記。1

少し遡ります。

平成19年(2007年)6月某日。

いつかの朝、頭からプツッと音が聞こえたように思えた。

張りつめてた糸が切れたような音。

 

多分その日から、いやそれ以前から始まっていたのかも知れない。

食欲の減退。睡眠障害。頭痛。倦怠感。など。

こんな症状が出始めた。

 

これらの出来事が妻にバレる前。僕は何日も会社を休んだ。

会社には風邪と。妻にはバレることのないよう定時に帰宅。

お昼にお弁当を作ってもらってたけども、とても食べられず、残して帰るのも怪しまれる。

しかし作ってくれたお弁当を捨てるわけにもいかない。

だから食べた。食べて吐き出した。

一度は食べたのだから捨てたことにはならないが、結局は吐き出したのだから捨てたことになるのだろうかと考えていた。

 

お弁当を食べる。そして吐き出す。

そんな毎日。

公園にひとりぽつんと。時間が止まったみたいに。

毎日。毎日。大通り公園で過ごした。

天気の悪い日は地下街で一日を過ごした。

札幌の中心部にはそんな場所があってよかったよ。

 

そして。ある日。

帰宅すると妻に会社を休んでいることがバレていたんだ。

 

 

アデュ。

 

未咲シキ。

うつ病から13年。

今まで逃げていたけど、僕がうつ病になった時からの事をこれから少しずつ伝えて行きたいと思います。

 

何故かというと、今まで自分と向き合っていなかった気がして。

自分を見直す機会になれたらと思いました。

 

平成19年(2007年)6月某日。それはある日やってきた。

日々仕事に追われ、管理職と云うこともあり、毎日上と下との板挟み。

仕事の量も膨大で、職員や雇い主の対応をしているとなかなか自分の仕事ができない。

雇い主の言うままに犬のように働く。職員の愚痴を聞く。

毎日それの繰り返し。

時には終電ギリギリ。時には徹夜。

家に帰れない日もあった。

どんなに頑張っても終わらない仕事。先の見えないゴール。それに向かって毎日必死だった。

妻を養うために。それを原動力になんとか耐えた。

 

ところがある日、職場近くの最寄り駅に降り立った僕は、そこから一歩も歩けなくなった。

足がガタガタと震え。その日出勤できずに、風邪で休むと職場には電話した。

妻にはバレたくなかったから、いつも帰る時間までどこかで時間を潰した。

それが数日続いた。

それが始まりだったらしい「。

 

朝普通りに家を出る。職場に風邪で休むと電話する。時間を潰して夜帰宅する。

 

ある日職場から自宅に電話が行き、妻にバレる。

 

 

アデュ。

 

未咲シキ。

明けたようですね。

2020年。いつの間にか新しい年が来ました。
未咲は世間で言う喪中というやつで、世の中の皆さんみたいにドンチャンという訳にはいきません。

昨年の今頃を考えると、父の死期が近づいてた時間を目まぐるしく過ごした日々を思い出します。

大晦日、仏壇の前で父に手をあわせても、まだ実感できていない自分がいます。
これはきっと一回忌をむかえても同じなのかなと思います。
喪中。一年間喪に服すということですが、未咲の場合、いつまで喪に服せば無念や悲しみが癒えるのだろうと考えてしまいます。

きっと一生消えないんでしょうね。
実感することもないと思います。

それだけ父の死は大きかった。
あの時あの症状に気付いていればとか、最期はあんな形でよかったのかとか。
後悔しかないんです。

乗り越えようとは思っていません。
今までのことも、父のことも、胸に積み重ねて生きていこうと思います。

今年もBiSHからスタート!
BiSH
「KIND PEOPLE」






今年もよろしくお願い致します。

アデュ。

未咲シキ。