魂よ安かれ | 大ぼら一代番外地

魂よ安かれ

魂の共同体Acid Mothers Templeのクルーとして、AMT宗家黎明期に参加頂きしサックス奏者、真野一彦さんの訃報受ければ、御霊安らかならん事祈るばかり。真野さんとは、90年代初頭より、様々なユニット等にて即興演奏を行えば、其れまで所謂ロック畑にて活動せし私に、別世界たりしジャズの世界へ御案内下さりし大先輩たりし。其の後、真野さんがアフリカはケニアのNairobiへ旅立たれ、現地のミュージシャン達とバンド結成、彼の地にて活動開始されし以降、随分疎遠と相成れど、つい先年、突然久しぶりに連絡下されば、互いの近況報告も兼ねて言葉交わす機会もありし。「無沙汰は無事の便り」と思えば、ついぞ御無沙汰させて頂くばかりなれど、久々の沙汰が訃報とは、矢張り寂しきかな。知り合いし当初、初めて真野さん宅へ御邪魔せし際、グリークブズーキを拝領すれば、其の後も録音やライヴ等にて大いに重宝させて頂けど、其れが真野さんの形見となりしか。今後も大切に弾かせて頂く所存。

 

 

訃報と云えば、先達てDamo Suzukiことダモさんも逝去されにけり。ダモさんと初めて御会いせしは、2002年に米San Juan Islandにて開催されし「Egg Lake Music Faire Festival」に、Daevid AllenとCottonとのトリオGuru & Zeroにて出演せし際、ダモさんも出演されれば、其のバックステージたりしか。其の時にギタリスト務められしが、mandog宮下敬一ことマンちゃんにして、其の後、マンちゃんと共にDamo's Networkのギタリストとして韓国へ遠征、国内公演も幾度となく行いし。AMT海外ツアー中に幾度となく邂逅果たせば、其の都度急遽Damo Suzuki & Acid Mothers Templeとしてライヴも行い、The Mars Voltaから招聘されし「All Tomorrow's Party」出演時も、ツインドラム編成たるAMT宇宙地獄組にも関わらず、アホなステージマネージャーがドラムセットを1台しか用意しておらねば、激怒せし私とステージマネージャーが一触即発、結果他のステージの全メニュー終了後、ドラムセットをこちらへ運び込む手筈となり一件落着、然れど奇しくも自ずから出番が大トリと相成り、既に御自分の出番終えられしダモさんに「どうせやから一緒に演りましょう」持ち掛け快諾頂けば、是亦急遽Damo Suzuki & Acid Mothers Templeと相成り、客席爆盛り上がりと相成りしとは云わずもがな等、何かと御縁少なからじ。

ソロツアーにてイタリアに滞在中、突如連絡頂けば「マコちゃん、明後日何処で何してる?」「イタリアのGenovaでオフですけど」「じゃあTorinoのフェスティバルに来ない?一緒に演奏しよう!ギャラも出すし、ホテルも用意させるから。」「えっ?」斯様な塩梅にて、海外に於いて幾度も共演させて頂けば、デュオにて大英帝国&アイルランドツアーも敢行せり。

亦、大阪は十三Fandangoにて、ダモさんがタイゲン君率いるBoningenと合体ライヴ行うと知り、ぶらり伺うや、私の顔見るなり「マコちゃん、ギター持って来た?」「はぁ?今日は客で観に来ただけですけど…」「何で持って来ないんだよ。」然りとて奇しくも翌日、私は難波Bearsにてソロを予定、然れば返す刃にて「ダモさん、明日はどうしてはるんですか?」「明日は大阪でオフの予定だけど…」「じゃあ明日一緒に演りましょうよ!」幸いにも対バンにみつるちゃんのソロもあれば、みつるちゃんにベース依頼、更に岡野君にドラムを依頼、斯くして急遽ダモさんとバンド編成にてのライヴへ変更、僅か24時間弱の情宣を持って満員御礼、我々3名は如何にもCanを思わせる即興演奏展開すれど、過去を完全払拭されしダモさんは全く御構い無し、懐かしき良き思い出かな。

予てより「ドイツは料理が不味い」と文句垂れし私に、ダモさんは「ドイツにも美味いものはいろいろあるよ。今度作ってあげるよ。」と申し出て下されど、互いに多忙にて都合つかず、結局実現の運びに至らねば、是は彼岸にて再会果たたす時の楽しみとさせて頂かんとす。

 

 

大学入学を機に名古屋へ転居、其の後19年間も居住すれば、其の間に出会いし中に、元オックスのボーカリストにして、円頓寺商店街にてロックバー「Terrazo」を営まれる傍ら、サイケデリックロックバンド自由次元を率い活動されし栗山純ことジュンさんおられし。其のジュンさんの訃報が、ダモさんの訃報受けし翌日に届けば、俄かに信じられぬも当然かな。

嘗て円頓寺商店街に紅茶店「あむりた」あれば、凡そ常連ぶり通う中、ジュンさんと知り合いし。当時ジュンさんは、アルバイトし乍ら、ロックバー「Terrazo」を、其の「あむりた」の斜向かいに、全て自らの手作業にて築造される最中にして、余りにカッコ良過ぎなロックな風体に痺れ、気付けば音楽やら映画やらに関し歓談させて頂く仲となりしか。ロックバー「Terrazo」開店後は、折を見ては飲みに伺えど、名古屋から明日香の深山へ転居せし以降、自ずから訪れる機会も激減、時折セッションライヴ行う他は、偶然何処かの飲み屋にて邂逅果たせし程度となれど、勝手にジュンさんは永遠のロックスターと思い込めば、永遠に我々を先導下さるものと信じし次第。「ボーカリストたるもの、先ずは滝に向かって血を吐くまで声を出すべし。」と、常に自戒せられしジュンさんのストイックさは、あの時代を駆け抜けられればこそか。

 

 

 

思えば己れ自身も還暦間近、先輩方が鬼籍に入られても然るべき年齢に差し掛かれば、いやはや人生とは斯くも儚く短きものかなと、改めて思い知らしめらるる次第。十余年後には、ダモさんやジュンさんのみあらず、アレン翁を筆頭に往年のロックスター歴々の享年に達さんと思えば、果たして斯くも日々惰眠貪りてええのか否か、然りとて経年劣化にて、年々集中力の持続時間は短くなり、仕事効率も捗らぬ上、記憶力も急降下、此の儘老獪となり生き永られるか、扨亦独居老人孤独死にて死して屍拾うものなしか。其の顛末は神のみぞ知るかな。