消えた多様性(どうなるガラケー?) | An Ulterior Weblog

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少し前に手持ちのガラケーがお陀仏になった話を書いた。

結局、復活する兆しは全くなく、いつまでも携帯無しというわけにもいかず、ショップに行ってみた。ずっとガラケーを使ってきて、とうとう年貢の納め時かと暗い気持ちで入った。

 

ガラケーはほとんどなく(1種はガラホ)、スマホとタブレットが所狭しと並んでいた。いくつか触ってみた。小さく簡素なものが欲しいのだが、小さいとなると iPhone7 しかなく、あとはデカい。通話で耳に当てるという気にならない。操作してみても、自分の大きな指ではなかなかうまくいかない(後で他の人に具体的にやらしてもらったが、使おうという気にならなかった)。メールを打つのさえ大変な感じ。タブレットになるとそのあたりは少し楽だが、ポケットに入らない。

 

何より、違いは大きさしか無く、どれも似たりよったりのスマホとタブレットを見て溜息が出た。

携帯を個人で持ち始めることが広がり出した頃の携帯電話たちのあの多様さはどこに行ったのか?

作っているところが違っても、これだけ外観に差が無いと費用で比べられるだけだろう。機能の差と言っても基本的にアプリの問題で、入れてしまえばどれも同じにしかならない。

 

所有しているガラケーはW63Kというものだが、会議などで机上においておく(地震アラーム以外は音を出さないようにしている)と、時々、新型のスマホかと思われて見せてくれと言われることがある。ガラケーも圧倒的に折り畳みなので、ストレートなためにガラケーとして認識されにくいというのがある。そしてその軽さにも驚かれる。薄過ぎもせず、手に使いやすい大きさでスマホより小さく軽いので、スマホが当然の彼らには却って新鮮に映るという。

ネットにも繋がるが、ソフト開発がほとんど止まっているので、見れないサイトが多い。YouTubeなんか全く見れないし、大抵の画像が張られたサイトは容量オーバーで途中までしか表示されなかったりする。Wikipediaもセキュリティー仕様の違いなのか見れない。

 

それでも、スマホは使う気にならないし、ネットは半分どうでもいいので(本気でやるならタブレットPC)、これからもガラケーで行くことにした。機種を変えるとまたお金を取られるので、遠くのお店がネットに出していた中古を購入して、再度ショップを訪ねてロック解除してもらい使えるようにした。その後は消えたアドレス帳の作り直しや設定の再現などを続けている。驚いたのは以前ダウンロードできた成田空港の着メロがネットソフトのバージョンに合わせて変化してしまい、落とせなくなったこと。諦めて有料サイトに登録していくつか音源をダウンロードした。内臓音源は昔も今も好きになれない。

 

ショップの話では修理も2年半以上前にメーカーが対応しなくなっていること、部品が無い旨を伝えられているという。スマホというある意味高度化を図った結果、ガラケーとはいいながら、それなりの技術や手間がかかるものはコスト的にメーカーに足枷となる。技術全体が高度になればなるほど、そこから外れたものを維持することは困難になる。現在、携帯電話契約ユーザーにおける4割がまだガラケーだという。これだけ居るのにメーカーは厳しいグローバル競争に晒されている関係でコストカットのためにガラケーからの撤退を決めている。

グローバリゼーションは必ずしも多様性を保証しない。むしろ統一的になっていき、多様性を潰す方向にある。実際、アップルによってスマホとタブレットに集約させられたも同然だ。違うタイプのスマホやタブレットは見かけない( iPhone が出るまではスマートフォンは下方にキーボードが着いたちょっとゴツイものだった)。出しても、アップル方式に染まった利用者は乗り換えないだろう。人の多様性などと言ってもその程度だ。

 

ガラケーあるいはガラホにまだ未来があるかどうかはわからないが、通話とメールだけなら昔のガラケーでも通信規格上は十分。本質的違いは無い。それにガラケーでもこれだけ現状回復に苦労している。スマホだともっと大変だろう。アプリが多いほど、自分の中身がその中に盛り込まれ、自分の分身みたいになっているだろう。いや、スマホが本体で人間が分身かもしれない。スティーブ・ジョブズは開発した製品こそ自分そのものと思っているような人物だった。それは構わないが、押し付けられるのは御免だし、これほどのネットやSNS中毒者という社会的負の遺産を急激に増やしたという汚点は見逃せない。ネット中毒者はそれまでは基本的に家の中だけだったのが、一挙に街中に増殖した。

今回は元々中古だけにまたダメになる可能性は高い。その場合はもっと古い別メーカーのガラケーにしようと思っている。機能をもっと制限して操作頻度を落とし、さらに長持ちさせるためだ。事前に買い込むつもりだ。気分は、さらばスマホ、である。

今はガラケーの方が却って斬新かもしれない。伊藤和夫が葬り去った山貞が復刊したように、これほどガラケーを追いやったアップル式スマホが不評の iPhone7 を契機に逆にガラケーに苦しめられることにならないという保証は無い。

 

 

最近の記事でこんなのがあった。この多様性は今のケータイショップには無い。

http://feelthevip.blogo.jp/archives/11956113.html

ガラケーを所有する理由は前にも書いたとおり災害時用だが、それを抜きにしても今のスマホは持つ気にならない。別に大きな不便は感じないし、ネットやSNSに振り回されるつもりはない。auサイトから何度か、懐古趣味的なものでも十分うけるのではないか、特に年配の人たちには使いやすいストレートガラケーも今後も継続して出してほしいと意見したが、体の良い返事が帰ってくるだけだった。特にアンテナは耳から入って頭蓋骨内部で共鳴して脳を発熱化してほしくないので、引っ張り出せる方式にしてほしいと思っているのだが。電磁波で頭が直接おかしくなることはないが、発熱はさせるので、アンテナでできるだけ耳から離した方がよい。

 

※※

企業では固定電話をやめてガラケーを社員に渡しているところもだいぶ増えてきた。スマホを渡してる例は見たことがない。となると、大口契約でガラケーの対応数としてはかなりのものになるはずなのだが、やはり、庶民にはスマホを押しつけて高い料金で自分たちの給与を高値安定にしたいということなのだろう。チップ開発に対して、自社の給与を下げて対応しようとまではしないということだから。