デザイナーとかクリエイターとか | An Ulterior Weblog

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2020東京五輪のエンブレムの発表の瞬間を偶々見ていた。都庁の中で不要なまでの派手な演出にまず呆れたが、それで出てきた2つのエンブレムを見て、なお呆れた。全くパッとしないデザインだからだ。1964年に負けてるではないか。


一時期、工業デザイナーを目指そうとしたことがある。デザインで食べているわけではないので、プロではないがそれなりの知識と感覚はあるつもりだ。その観点からはこのデザインには共感するものが全くなかった。もっとましなデザインは無かったのかと。

その後、盗用疑惑が浮上。元とされたデザインと今回のを見ると、盗用に間違いないと思った。こんな大きなイベントの出品に堂々と盗用で出すとはもう常習犯だろうと思った(盗用しかできない人かもしれない)。


ところが、当初、デザイナーとかクリエイターとか言われる人たちがこの常習犯を擁護していた。現在では皆、掌を返したようではあるが。それについてネット上での批判もずいぶんあるようで、デザイナーとかクリエイター全体が批判対象となり、評価が失墜しかけているとも言える。


この問題、そう簡単ではない。

デザイナーとかクリエイターとか、持て囃されてる間はいいが、一度、繋がりが切れると一挙に生活が大変になる浮き沈みが極端な職業だ。しかし、人間にも限界がある。よほどの天賦の才でもなければ、人々を惹き付ける作品を世に出し続けることは至難だ。ましてやそれがずっと受け入れられ続けるなんてのは驚異である。例えば、スタジオジブリは世界でもあそこだけだと言えるクリエイティビティと思う。多くは食べていくのでさえ大変だ。

また、そのネタ仕込みも日日大変で、まず、普通に仕事をしている人なら、スケッチブックなりスマホショットで気になったデザインのものや自然の造形を手元に残しているはずである。今回、問題の元となったベルギーのデザイン(このデザインそのものは簡素で素晴らしい)もそういう形でストックされていたのだろう。

つまり、多かれ少なかれデザインには源泉があり、全く新しいものがひょこっと現れるということはまずない。そういう意味で、盗用的要素が常に付き纏う世界なのは致し方ない。これを完全否定したら、彼らの職業そのものが成立しにくくなる。擁護が多くあったのはその背景が彼らの背中を押していたのだろうと思う。

常にトップレベルのオリジナル作品を出せ、それがプロだろと批判するのは誰でもできる。口先だけの人間であればあるほどそう言う。仕事というものにきちんと向き合ったことのない人間の所業だ。人間の仕事に均一高位安定などということは1人か2人というような話で業界全体でということは不可能だ。ロボット社会ではない。人間否定しても意味がない。批判する前に自省した方がいいだろう。


それでも、盗用か新たな展開かとの違いはあるし、それを示さなければ作品にならない。それに見合ったレベルに今回の作品は至っていない。あまりにオリジナルの流用部分が多すぎて、いくら類似物が出やすいデザインの世界と言っても、ここまでの類似は異常である。

審査はしっかりしていたのか?という疑問はあるだろう。商標データーベースはあるはずなので、その中から識別できるソフトがあれば、除去は可能だろうが、おそらく有効なソフトは現j時点ではまだないのではと思う。今の技術なら作ることはそれほど困難ではないと思うが、人間には無理だろう。理念に合致したデザインかどうかを判断することはできても、類似物をすべて抽出することはできない。そこを常習犯は狙っていたわけである。


もう1つ。こういう1人で生きていかなければならない世界ではあまり世間的なモラルを要求しても仕方がない。芸能界にモラルを期待する人はまともに世間を歩いているならまずいないと思うが、それと同じ。

平和主義者のように言われている井上ひさし氏の家庭内暴力は有名で、奥さんもなかなかの曲者だったせいなのか、奥さんの腕の1本も折らないと作品ができないと業界では言われていたとか。言動が一致しない連中には違いない。だから、今回のデザイナーも平気の面で無実を押し通していられるのだろうとも思う。


クリエイティビティで食べていくというのは現実的には不可能なこと、と思っている。なので、それに敢えて飛び込んで頑張っている人たちにはエールを送りたいし、敬服する。ただ、さすがに今回のは擁護すべき対象ではなかったと思う。


それにしても、新国立競技場といいエンブレムといい、おもてなし服のいまいち感といい、今回の五輪はミソがずいぶんついた(新競技場は最終選考11作品を見たが、シンボルデザインとしてはザハ氏になるのは仕方ないと感じた。ほかに選ぶとしたら妹島氏のだろう。これなら槇氏も何も言わなかったと思う)。お祓いした方がいいかもしれない。少なくとも、文科省の中では誰ももう積極的に五輪プロジェクトのリーダーを目指すことは無くなったと思う。傍流の役人が起死回生で手を挙げるぐらいか。といって、ベストリーダーで牽引しなければ、2020には恥をかくことになりかねない。日本の社会全体がおかしくなった証左の1つだと思う。



※後日、常習犯の原案は少し違うものだったが、それがまたこのデザインに似ていると話題になっている。

http://getnews.jp/archives/1112786

ではベルギーの人とこの人の間の類似性はどうなのか、という問題にもなる。こういった感じで幾何学的に簡素でオリジナルな商標は大方出尽くした感があり、全くオリジナルなものを新たに出すのは難しい。