まだ幼い子供で10歳になるかならないかの頃、世界は日本という国以外、アメリカと中国しかないと思っていた。その後、南半球というものがあり、オーストラリアやニュージーランドという国があることを知り、映画『2001年宇宙の旅』と同じくらい、遠いところのお話だった。まさかその約10年後、私が20歳の時にニュージーランドに行くことになるとはもちろん夢にも思っていなかったに違いない。
在籍していた大学の短期(中期?)の海外語学研修のようなもので、ニュージーランドはウェリントンにあるヴィクトリア大学ウェリントンにて3か月ほど勉強することになったのだった。たしか100日を少し超える日数で(私の記憶では104日間)、ビザも必要だったのは良く覚えている。
相変わらずいろいろと詳細はおぼろげであるが、成田からマレーシア経由でオークランドに到着。感慨深い飛行のはずなのに、覚えていることといえば、最初の飛行機では、一緒に参加した女子学生が窓際席で、怖くて泣きだしてしまった。まさか海外に行くのに、飛行機が怖いという人がこんな身近にいるとは。きっと怖いというのは、自分にとってもは大問題なのだろうなぁと他人様気分であったが、運よく同行していた誰かが席を変わってくれたらしく、事なきを得た。そしてその泣いてしまった学生は、ウェリントンの大学寮でも一緒になることになり、良き友人となってくれたのだが、運命というか出会いとは興味深いものである。ところが、その3か月後、帰国の際にウェリントンから飛び経った飛行機の中で、また別の友人が「現地で出会った友人にもう二度と会えない」、「もう二度とウェリントンには戻ってこれない」とおいおいと泣いてしまった者がいた。機内食だけはおいしそうにしっかりと食べていたが、食べ終わるとまた泣き出すという、奇妙な特技の持ち主だった。行きも帰りも近しい者が泣きまくるというのは何とも奇妙は経験である。
さて、オークランドの件はすっとばして、ウェリントンへ到着する日のこと。到着は夜中かほぼ夜明けごろ。オークランドからバスに揺られて南十字星をぼんやりと眺めていたら、タウポというところでトイレ休憩があった。そこで初めてボイセンベリー味のアイスクリームに出会ったのだ。小さいカップで少量だし、すぐ食べ終わるだろうと思ったに違いない。確か、友人と一緒にトイレ休憩中にペロッと食べたと思う。味は全くおぼえていないが、かなり感動したことを覚えている。バニラアイスクリームにボイセンベリージャムと思しきジャムのようなものが混ざっていて、ブルーべりーよりは少し色が濃かったかもしれない。あまりのおいしさに「何だこれは!」と感嘆したのだった。
7月下旬のニュージーランドは真冬といってもいい時期にも関わらず、気にならなかったのだろう。その時からニュージーランドのアイスクリームエピソードがどんどん起こることなど思いもよらなかったはずである。
ウェリントンに到着した夜は、少し大学寮の自分の部屋で休み、難なく朝食を済ませ、一日休みだったと記憶している。寮で同室になった(これもまた日本の大学の同級生)と街を散策することにした。
ウェリントンは、ニュージーランドの首都とはいえ、1992年の当時は15万人程度だったのではないか。現在(2022年)では20万人を超えているが、東京と比べたら、桁が違う小さくてかわいらしい街なのだ。中心街も歩いてすぐに完歩できてしまう程度の広さで、コートニープレイス、ディクソンストリート、さらに直角に交差するザ・テラスという大通りがウェリントン鉄道駅まで伸びる三角形の地域の中だけで、ほぼ全てのセントラル地域は完結、と考えていいだろう。今ではもう少し中心街も広くなったのかもしれない。
滞在した大学寮は、ディクソンとザ・テラスのぶつかるT字路のすぐそばにあるヴィクトリアハウスという建物で、街に繰り出して遊び惚けるには、都合が良すぎると言っていいほどの好立地であった。朝方まで遊びまわって明け方に帰宅したこともしばしばだっただろう。
ニュージーランドの人は、少しシャイで、ゆったりとした物腰、そしてとても親切という、外国人の若者の私にとってはとても助かる国民性のようである。それが、あの有名なオールブラックスのような屈強で巨人のように大きな体をしたラグビー選手の集まりができるというのも、不思議とまでいえるかも。寮でも、大学でも、友人、知人、先生たちにいろいろなことを教わり、助けられ、いろいろな場所に連れて行ってもらい、至れり尽くせりでしかも個人でも勝手に何をやっても怒られないという、今考えると怖いくらいに自由な生活だった。
アイスクリームといえば、大学のカフェでも、市内のカフェでも、これまた美味しいものが沢山あるのだ。
大学寮で知り合った現地の女性(確か名前はエレーナ)はとても可愛らしい人で、町を案内してくれたり、ボールパーティでも同行してくれたりと、とても楽しく時間を過ごすことができた。そのボールパーティーか、はたまた別の機会だったかは記憶が怪しいが、テーブル差し向かいに座り一緒に食べたアイスクリームはまた格別であった。
中でも、帰国後に友人と何年も話題に上ったのは、ホーキーポーキーアイスクリームである。濃厚なミルクのアイスクリームにキャラメルが織り込まれていて、かつしっかりと混ざっていないマーブル状態なアイスクリームだったと記憶している。それから10年もしないうちに、日本でもホーキーポーキーアイスクリームが販売され、小躍りして喜んだことを覚えている。現地で一緒だった友人とも食して、嬉々としたこともある。いつの間にか日本では見かけなくなったが、どこかでまだ売られているのだろうか。
もうすでに閉店になってしまっているものの、ウエリントンにビフォー&アフターという店があった。場所もどこだか忘れてしまったが、とにかくアイスクリームは凄かったのを覚えている。
ニュージーランドという国は、牛乳や乳製品関係が産業としてかなり重要で、輸出の何割も占めているということもあり、大きさも味も格別である。
一生食べて生きていきたいと感じるほど、当時の自分にとっては貴重で幸せな時間だったのだろうと思う。
「あぁニュージーランドだなぁ。」
「やっぱり美味しいなぁ。」
友達とも意見は同じ。
「美味しいねぇ。」
「さすがだねぇ。」
日本に帰国してからも同じ。
「美味しかったねぇ。」
「ホーキーポーキーまた食べたいなぁ。」
何とも、平和というか、安上がりで幸せになれる性格はお得である。
ついでに、チーズも美味しいものばかり。ラム肉もしっかり毎週食していたこともあり、帰国した直後のころ、自分の服を洗濯しようとするとラム肉臭の汗をかいていることに驚いたものであった。
ニュージーランドはとにかく大自然が凄いのだ。南島はほんの少ししか見ていないが、きっと雄大な景色が広がっているのだろう。スキー大好きさんにはたまらない場所なのだろう。私は、温泉で有名なロトルアや、友人の実家におよばれしたネィピアやパーマストンノースなど、こじんまりした街に足を良く運んでいた。
大自然を冒険する旅もきっと素晴らしいだろうし捨てがたいが、当時の私には、友人との時間を過ごすことがこの上なく贅沢に思えたのだった。
現地で出会った友人たちも何人かは日本に留学したり、住み着いたりした者もいて、やはり友人はとても貴重な存在だと思う。残念ながらその内の一名が亡くなり、葬式参加のために再びウェリントンへと行くことになったのは皮肉ともいえる(合掌)。とはいえ、その友人の親友とも会うことができ、夜明けまでお喋りしたあげく、朝方に喫茶店でアイスクリームを食べたので、やはりニュージーランドではアイスクリームは欠かせない一品なのだ。
楽しいことばかりを経験したニュージーランドの3か月ほどの研修だったが、実は現地にて一番驚いたことは別にある。ウェリントン滞在の初日、街を散策したときのこと、長い坂道をよたよたと登っていたとき、なんと大学で同学年の友人でその数か月前ほどに海外に留学してしまっていた人が、前から歩いてきたのだ。自分の目を疑ったが、相手も私を見て手を振ってきて、心底驚いたのはいうまでもない。留学していたのは知っていたが、まさかウェリントンに来ていたなんて。
広い世界で、「まさか、ここ?」という気分であっただろう。
本当はどこに行っていたのか知っていてよいはずの友人なのだが、当時の私は他人様の事情にあまり興味が無かったのかもしれない。彼女とはいまだに連絡を取り合っていて、数か月前にバーガーキングでちょっとお喋りもしている。元気で何よりである。
さて、ウェリントン絡みでは、後日談がある。
ヴィクトリア大学のELIでの語学研修初日にはバスで市内を案内してくれるサービスがあったので参加した。見て回ったところの一つにMount Victoria Lookoutという見晴らしのよい、市全体が展望できる小さな山の頂上に行った時のこと。男性教員の一人が引率に参加してくれていて、市を見渡している私の真横に寄ってきて一言。
「これがhorizonっていうんだよ」と水平線を指さして教えてくれた。
それくらいの単語は私でも知っていたが、無碍にもできず「あぁそうですか。horizonですか。」くらいの受け答えしかしなかった。
その男性教員は、寮で同室だった友人のクラス担当の先生で、毎週のように学内で出くわし、挨拶したり、少し雑談をしたりする程度の関係になった。
ところがである。帰国してから、ほんの数か月もしない頃。実家のあるとある街の本屋に行った時のこと。本屋の入口でふと、道の反対側から私をじっと見つめる人がいたので、振り向いてみてびっくり仰天。その男性教員がこちらを見て「うむ、あいつのことはどこかで会って知っている」のような顔をしていたのである。
Are you Peter?
そう、ニュージーランドの学校で教鞭をとっていたピーター先生は、なんと私の住んでいた町のすぐそばにある女子高で英語教師として来日していたのであった。しかも、住んでいたアパートまで私の家から自転車で10分という近さ。これは不可思議な奇遇としか言いようがない。
おかげ様で、彼はしばらく日本に住み、その後アメリカへと移住してしまい、私も渡米する際には何度か現地でお会いしている。
友人関係とは魔訶不思議なものである。海外に行き、何を見聞きして自分が成長しているか、それともこれっぽっちも成長していないのかなんて全く分からずに過ごしている。なのに、後になって考えてみると、人との出会いは本当に一期一会なのだなぁと思う。
ニューヨークはマンハッタンの5番街でもばったり日本の知人に出くわしたことがある。サンフランシスコでも何年もあっていなかった知り合いに偶然会ったこともある。バンコクで出会った人とは今ではもう15年以上にもなる親友である。
海外旅行は、世界遺産や美味しいもの、美術館や観劇やスポーツ観戦、いろいろ現地でしかできないこともあるけれど、それでも私にとっては現地での出会いも人生においては、同じくらい大きな意味を持つのだなぁと思うのだ。
アイスクリームを食べるとき、ほとんど考えないけれど、時たま本当に美味しいのに出くわすことがある。するとやはりあのホーキーポーキーアイスクリームと友人と過ごした楽しい思い出が織り交ざった気持ちと比べてしまうのだ。