大学最後の年、当時は1993年の8月から9月にかけて、とある企画に参加してアメリカ合衆国はコロラド州の短期大学へ3週間ほど行くことになった。その1週間くらい前にコロラド入りし、日本の国会議員とコロラド州議員の間の教育に関する協議の通訳(のようなお手伝い)をすることになり、何とかなるだろうと甘く考えて参加したのだった。

 通訳という仕事をしている人は、本当に凄い人たちだな、というのが今の感想。職業としては自分は選んではいけないと、心に誓ったほど、ストレスは半端なかった。それは、さておき・・・。

 

 コロラドの州都デンバーはマイルハイシティーとも呼ばれているそうだ。標高1マイルほどの高さらしい。つまり標高約1.6キロというところか。そりゃそうである。かの名高いロッキー山脈が、コロラド西部には連なっているのだから不思議でも何でもない。高尾山が標高600メートルくらいなので、デンバーはおよそその3倍くらいの標高になるのか。

 私が向かったのは、西部ではなく、北東部の小さな町にある短期大学だったが、そこでも標高1.2キロ位。富士山3号目より少し低いくらいか。最初の3日間くらいはシャワーを浴びると軽く鼻血が出てばかりだったのは、今となっては笑い話。

 デンバーにある国際空港から車で移動すること2時間半くらい。進めば進むほど、ワクワクするような、アメリカの田舎。とにかく空が広い。高層ビルなど全然ないから。草原、平原、時々見かける馬と牛。テレビでみるといえば『大草原の小さな家』を思い浮かべる。子供のころに、時々テレビで見たなぁ、と。ネット検索してみたら、この物語はコロラドではなく、ミネソタ州だったらしい。それでもアメリカに住んでいない者にしてみたら、都会でないアメリカというくくりで入れてしまうのが、私の悪い癖なのだろう。

 コロラドといえば次に思い浮かぶのが、アメリカ人のカントリーミュージック歌手ジョン・デンバーの「カントリーロード」。だって歌手名がデンバーだから。またネット検索してみたら、これもコロラドではなく、ウェストバージニア州が舞台らしい。そういえば歌詞の中にウェストバージニアという言葉が出てきたっけ。

 ミネソタ州もウェストバージニア州も、地図で確認してみると、かなり遠いところに位置している。なんてこった。コロラドにはロッキー山脈以外に何があるのだろう、と今更思う。『ララミー牧場』もワイオミング州で、コロラド州のとなりとはいえ州外だし。

 

 さて、通訳やら、政治家やら、教育委員会やら、偉そうな人たちが周りにいたが、実際に一緒にいてみると、普通の人たちばかりで、しかも若造の私のことをかなり気にかけてくれていた良い人たちばかりだったと思う。とにかくみんな優しくて親切。両方の言語を何とか使いこなせる数人の一人であったというのが理由かもしれないが、みんなよく私に声がけしてくれていた。21歳の私をバカにするような言動は一切なく、未来のある青年と見てくれていたのだろう。かなりその期待を裏切っている感がある。良い影響を受けたことは間違いない。若者に対しても敬意を払える大人にならなくてはならない、と考え始めたのはこの時だったのだろう。それまではかなりツンケンしていたかもしれない。

 小難しいことはほとんど記憶から抹消しているが、一番楽しかったのは、夕飯だったろうと思う。食事会やら何やらで、ほとんどがアメリカンダイナーなレストランだった。映画で見るようなアメリカ片田舎のダイナー。カウンターがあり、ビリヤードが数台あり、ダーツもあり、カントリーミュージックばかり流していて、お世辞にも綺麗とは言えない程度に薄汚れた感じ。客のほとんどカウボーイかカウガールと思しき服装の人たち。テンガロンハットは、当たり前のように被っている人も少なからずいた。

 毎食ごとに何を食べようか迷うのだけれど、日数が減ってくると食べる残りの回数も減ってくるので、焦ってくる。

 あれも美味しい。

 これも試したい。

 でもやっぱりニューヨークステーキか、Tボーンステーキか。日本ではあまり食べない大きなステーキを選んでしまう悲しい嵯峨なのだった。

 焼き具合は馬鹿のひとつ覚えのようにメディアムレアだったが、ある日馬刺しの気分でレアを頼んだら、「こいつなかなかやるな」のような歓待を受けることとなる。それ以来ウェイターさんもウエイトレスさんも、直接私に注文を聞きに来てくれるようになった。それまでは、何となく現地でお世話になっていた方を通して、注文をしているような状況だったのだ。要するに、私は外国人だったからだろう。受け入れてもらえるようになるには、それなりの時間も努力も必要。

 「そうか、生を食べることが通なのだな。」

 しかし、日本の美味しい牛肉と違い、硬い、脂はのっていない、そして大きい。食い切るのがやっとである。歯が抜けそうである。それをガツガツと食べるのは、コロラドのカウボーイ達の強さの誇示なのだろうと思う。私の勝手な思い込みかもしれないが。

 

 コロラドは東側は平原ばかりで、とにかく広い。向日葵や麦や牧草地がただ広がる。高速道路を走ると、車のフロントガラスにバッタなどがバチっ、バチっと叩きつけられ、恐ろしい光景となる。ヒッチコックを思い出すくらいだ。西側をみるとロッキー山脈が連なる絶景がはるか先に望める。

 一度、パイクスピークという場所へ車でいくことになった。調べてみたところ4,300メートルを超える高さなのだそうだ。車で山頂まで行けるのだから富士山と違い、お気楽なものである。だがしかし、お気楽なのは私の性格だけだったことが判明する。

 私は何を考えていたのか、調子にのって、車から降りるとすぐにお土産売り場兼レストランへと走り出した。

 標高4,000メートルを超えるところを走るとどうなるか。私のような凡人は酸欠になるらしい。視界は真っ白となり、へなへなと座り込んでしまった。正直「死ぬかもしれない」と恐怖を感じた。しばらく座っていてが、息も落ち着くと今度は酷い頭痛がやってくる。まさに酸欠である。何とかレストランへ入り紅茶をゆっくり飲んだ後、気を取り直したが、無謀は命の危機を招くと肝に銘じる。何とも苦い経験になった。

 コロラドでは乗馬もしていたが、何しろ体力がないと話にならないということに気がついた。だからステーキも柔らかくてジューシーなものは、そこの文化には合わないのかもしれない。根性も体力も必要。肉を噛む顎も必要。二つの言語を操る脳みそも必要。

 

 当時お世話になった先生と夜散歩をしていて空を見上げて仰天した。コロラドは恐ろしく星の数が多い。天然のプラネタリウムとすら言えそうだ。圧巻とした迫力に、自分の経験したこととは、なんと小さな出来事かと思わされてしまう。そこへ、一筋の流れ星が走った。一緒に散歩していた先生は、嬉しそうに私の肩を叩いて言った。

 「流れ星見た?」

 もちろん見ました!と答えたのか、どうだったのか、肝心なところを覚えていない。ひょっとしたら見てないのかもしれない。しかし、実際に流れ星を見たかどうかは、もうどうでもいいのだと思う。何となくウキウキしたということは覚えているのだ。

 乾燥した、肌に心地好い夜風の8月のコロラド。こんなところに将来住みたい!と密かに思ったものだった。

 やはり今でも焼肉を食べにいくと、ときどきTボーンは食べたくなるのだ。

 

 コロラドにおいて、後日談がある。

 数年後、大学院を修了した私は、例の短期大学で教鞭を取ることとなった。コロラドで無謀なのは私だけじゃないらしい。こんな私を、よくもまぁ雇う気になったものだと思う。まさか本当に私がコロラドにしばらく住むことになるとは、奇遇も奇遇である。一時期、ひょっとして自分はカウボーイになってしまうのかもしれないと、少し心配したものである。

 当時、天気の良い夜はよく車で少し町外れまでドライブし、大空のプラネタリウムを眺めていた。生徒の一人が自分の趣味はstar gazingだと言っていてやけに納得してしまい、自分も星を眺めることをしばしば楽しんだのである。流れ星は何度も拝むことができた。

 現在、東京24区内在住の私。趣味はstar gazingですと言えるような環境ではないのが、残念である。

 

 宇宙を眺めると少しだけ謙虚になれる。ステーキの硬さとは正反対の想いが湧くが、表裏一体の感情なのかも。流れ星とステーキ肉の歯ごたえ。まったく違う二つのことが、頭の中では絡み合っているのだから、人間の記憶とは不可思議なものである。