浜寺公園駅訪問 | 乗りつぶしに行ってきた!

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羽衣から難波行きの普通に乗って次の駅の浜寺公園にやってきました。

 

 

ホーム構造は2面4線ということで上下線ホームが1つずつあって、至ってシンプルです。

ですが他の2面4線とは違いやや変則的な形を取っています。

下りホームがある1,2番線は通常の島式ホームで1番線が特急や急行の待避用として使われているんですが、上りホームで使われる3,4番線は待避用として使われる4番線が3番線ホームの難波方に切り抜き部として存在していて、朝晩の通勤・通学の時間帯に4番線が使われています。

 
 

元々4番線は浜寺公園止まりの折り返し用ホームでしたが、列車本数が多くなったため、再び3番線の線路に合流するように線路を取り付けています。

4番線に入る普通に乗ったことはありませんが、実際に入るときには相当揺れることが予想できるくらいかなり急な線路の付け方をしています。

 
 
難波行きの急行が3番線を通過。4番線線路には当然ですが、入ることはありません。
 
 
ちなみに4番線の隣には5番線が存在していたそうで、マンションが建設されている辺りが該当します。
 

 

駅名の通り駅の改札を出ると浜寺公園という日本最古の公立公園が広がっています。

開園が1873年なので明治6年のことで、大正から昭和初期にかけては公園の周辺は別荘が立つなど高級住宅街として栄えて、夏場には海水浴場も開くようになり、行楽地として大変な賑わいを見せるようになりました。

夏になると難波方面からは多くの海水浴客が押し寄せるため、行き止まりの4,5番線が使われていたそうです。

戦後になると海水浴場は工業地帯が造成されたため、姿を消すことになり、駅の利用客も減ったため5番線はなくなったそうです。

 
浜寺公園自体が昔から松林が多く植えられているのが有名なので、3番線の和歌山市方には立派な松の木が植えられています。
 
 

それでは改札を出てみることにしましょう。

階段を降りて地下道を通ってまた階段を登ると、改札を抜けることができます。

駅舎は何やら倉庫のような作りで、これは高架化工事に伴ってできた仮駅舎になります。

 

この仮駅舎の右側に旧駅舎があって、

東京駅の丸の内駅舎設計にあたった辰野金吾氏が初めて駅舎設計にあたったものです。

(丸の内駅舎は1914年で浜寺公園駅舎は1907年)

梁や柱を表に表したハーフティンバー様式を取っています。

建物様式にはかなり疎いので、チンプンカンプンな話ですが、柱の形状なんかは独特で当時賑わった海水浴客を迎え、高級住宅街の玄関口としてはふさわしい立派な佇まいであることは言うまでもありません。

 
 
ホーム上の待合室も旧駅舎と同じような様式を取り入れていて、
 
 
残念ながら新型コロナウイルス感染症予防のため中には入室できませんでしたが…
 
 

2016年に駅舎としての役目を終えてから高架化の影響で取り壊しとなる可能性もありましたが、高架化後も新駅舎に併設される形で残る形を取ることになりました。

高架化工事に備えて2017年に曳家により駅舎自体を30mほど海側に移設されました。移設前は3番線ホームと地続きでした。現在は過去の浜寺公園の歴史を伝えるギャラリー、カフェ、イベントホールとして営業されています。

 
 
 
 
そして、30mほど空いた空間には高架化工事をしている最中でも列車を通すことができるように仮線の線路とホームがほぼ完成していました。
 
 

駅前は昔だと食堂が立ち並んでいましたが、現在は新しめのマンションが多く立てられています。

浜寺公園に向かう道路を歩くと右手にまた駅舎を発見。

 
 
阪堺電気軌道阪堺線浜寺駅前の駅舎でした。
 
 
非常にレトロな駅舎に最新鋭の1両編成の路面電車が停まっているのはなかなかのギャップを感じさせてくれました。
 
 

浜寺公園は旧駅舎が存在する海側の反対側の山側にも駅舎があるので、仮駅舎から通じる地下道を通ることにします。

山側から海側に向かう際、改札を通過した後の地下道と同じ通路を辿るので、乗客と通行客の区分をするために柵が設けられています。

 
 
 

3,4番線ホームの手前までは仮駅舎の運用開始と共に新しく完成した通路なので、比較的新しい通路です。

一方でその先は従来の通路になるので、階段はなかなか急でした。

 

 

山側の改札がこちら。

海側の立派な駅舎に比べると見栄えはガクッと落ちますが、「浜寺公園」の表記なんかは味があって、これはこれで見栄えのある駅舎だと思います。

 
 

高架化工事が進むとおそらくこの駅舎はなくなるでしょうけども、新駅舎のどこかにこの表記は残して欲しいところです。