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ふだんのキラキラ カーテンのしわ ゆれ方                        ひかり  影  



そんな風に音楽を聞いていたら、自分が好きだった雰囲気や感覚を思い出した。思い出した、思い出せたということは、それでとてつもなく落ち着いたということは、それが自分であって大切にしないといけない広がりなのだ。新しいことをたくさん吸収していく分、それがかすれてなくならないように、いつでもにげこめるように、ほんの僅かな隙間で良いから置いておかないといけない。
透明感が好きだった。透明感って何だろう? 透明感のある音楽、透明感のある人、透明な心。モヤのなかに、一点の曇りや埃のない、透き通りすぎて虹色がみえるほどのもの。そんなのをみつけると、ときめいてしまうのか。







物凄く久しぶりにかなた昔に良く聞いて聞き込み惚れ込んでいた音楽を聞いている。すごく懐かしくて当時考えてたこととかその時のその場の匂いまでしてきそうな居心地の良さに包まれた。もう殆ど聞くことさえ、聞いたとしてもある程度の感慨くらいしかないんだろうと思っていた音楽なのにふかくこころのなかにしみわ立ってきた。


恋を砕いて歩こう
何にもはなさなくていい
何よりも澄んでいるから
冷たく渇いた朝に



永遠に触れなかったことを
光の中へ君は
触ろうと
手を伸ばしたんだ

僕は思い出すんだ 永遠に触れなかったことを

光を浴びて君は




もうひとつの頭の中みたいによくしっているのにタイトルが思い出せない。それは思い出せないんじゃない、題名にはもともと興味がなかったんだ。










久しぶりに、ブログ「chikirinの日記」を見たら、面白い企画が載っていた。

「退職挨拶メールを共有しよう!」というもの。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111004

退職の時に社内外に送る挨拶メールを、いろんなところのリンクを貼って大公開しているもの。
“Google Japan, 2年半, 25歳”の場合 など、ケースごとになっている。
興味深く読んだ。


あぁ、なんでもいいけど、やっぱりスマートフォンを手に入れようかしら。
携帯メールアドレスを変えずにauのドメインでも使えるようになるのはいつでしょうか。。
それからじゃないと、変えたくないといのは頑なにあるけれど。

最近、いろいろなことを冷めてみてしまっている悪いクセがあるような気がしているので、
ちゃんと、〝自分の感覚で〟実感したいなぁと思い。

ツイッターだって、そう。
パソコンからだと気合いが入らず登録なんかも中途半端で、結局面白くないけれど
携帯からだとちょっとは面白いのかなぁって思い始めた。
仕事で客先とそういう話題に入れないのもなんかなぁと。
こういうものだ、っていうのはわかってるけど、やっぱり自分の〝肌感〟で
何事も語れないとね。
だんだん、それが劣等感になっているような自分にも気がついた。

そもそも、ツイッターに関しては、出始めた時期にも意識していたけれど、
その普及っぷりがわざとらしすぎて、結局、メディアや広告会社の戦略だったり
いろいろな利益集団から生まれたもの、っていう感覚のもと抵抗があった。

だって、出始め、って、結局大部分の人はそのサービスの存在を知らない訳でしょ。

別に誰もそんなサービスをほしがってないけど、一方的に新サービスとしての登場しているだけ。
実際、自分はパソコンで少しやってみて、いまいち楽しさよくわからなくて、って感じで早々に離れてしまい。
いまツイッターが広まってたくさんの人たちが利用しているのは、
最初のきっかけはそれが必要だから、というよりも
スマートフォンの広がりとともに単にセットでついてきて普及したというイメージがある。
結果、人々になんらかの利用価値が認められて盛り上がった。
そして、当たり前にあるジャンルのひとつとなっていくのだろう。
“ジャンル”として確立すること自体は、なんだかんだ革命的か。

とにかく、一方的に流行るものとして登場されると抵抗あるけれど人々がそれの利用価値を認めているのなら、検証してみたいな、というところです。




というわけで、勝手に先回りしてイメージしてつまらないだろうと思って冷めてしまう前に、
ちょっととまってみようと思う。
実際に予想通りだとしても、その過程を一歩ずつ楽しでみようと思える心意気が、いまの自分には
足りていない。
そこで、小さなことでも“肌感”を養わなければ。




















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ここのところ、調子がよくなってきている。

少しまえは言うならば「消失期」だったかもしれない。

いろんな事から逃げ回っていた。
情報を自ら得ようとする習慣的な行為や
考えることであったり。
必要不可欠な最低限のことだけしかやっていない。

だけど、そんかことはそろそろ終わりにしよう。 と思える気分になってきた。

そんなふうになってきた理由はいくつか考えられる。

・このままこういうふうにしていたら、本当にそういう習慣になってしまうという危機感

・結局、自分は大したことのない人間だということを思いだした。
大した人間じゃないんだから、計画を立てて一つ一つ行動を起こしていかないと何も変わらない。
並みの努力は並みの人間にしかならないと、自分を勇みだたせ、
小さな努力の積み重ねを意識していた日々を思い出した。

・結局、楽な生活というのは底なし沼だけれども、そこに広がっているものは
大したものじゃなく、浅はかだと改めて分かった。
楽なほうへ流れても、結局そこではなにも得るものはないし、たかが知れているのだ。
そこから抜け出すには、きっかけの先にある面白みを自ら発見しないといけない。
みつけたら、その感覚を忘れてはいけない。
いつでも、その自発的な発見と、それによってもたらされる感覚の、無意識のパターンを
呼び戻せるようにしていきたい。
そうすれば、情緒もコントロールしていけるはず。

・口を開けば過去の栄光しか話がない人をみて、そんな50代にはなりたくないと思った。
過去の記憶の方が鮮明だなぁと感じていた自分にハッとし、いくつでも、たとえどんな状況でも
今を楽しく生きるにはどうすればいいかに目を向けねばと実感。
その積み重ねがあってこそ、きっと、好きな自分と明るい未来は作られるのだから。














昨日は、夜21:00頃に会社を出て、全速力で駅まで走った。
特に待ち合わせや、見たい番組がある訳でもなく、ただ 単に走りたくなったので 急に走り出したくなって駆け出した。


今日も同様に、帰り道は駆け出したかったけれど、一緒にいる人に対してテンション高め(一般的には普通なのかもしれない)でいる事で昇華した。



先ほど、帰り道の電車の中で、田町あたりから乗り込んだ若者たちがとても騒がしかった。
座席の向かいの人達6人くらいが(スーツ姿の)、みんな一斉に彼女たちに冷たい&目を丸くした視線を送っていて、
その姿がなんか 滑稽で

一人で思い出し笑いをしている人の様に笑ってしまって、まるで、自分が 滑稽のようだった。
















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タイワンのおみやげ。

パイナップルケーキ。


パッケージがとても可愛くて、残しておきたくて。




















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考えることを避けている。

このブログだって、そう。

考えることを避ける習慣になってしまうと、なにも書けない。

伝えたいことや思うところがないと、文章なんて書けないし、

そういったものは人や情報との触れ合いがないと生まれない。




基本的なことしかしていない。

円状があって、それに沿うことしかしていない。

そんなのは、望んでいたものじゃない。

自らうごかないと、その円しかかけない。

ずっと、ぐるぐる、ぐるぐる。

何周くらいしているのだろうか。


なにが必要なのだろう?
エネルギーには。

沸き上がるものは、どこから。

どこだったか






















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キャンドルナイト。


誕生日に貰った海のような雰囲気の白いキャンドルと、
旅先で買った甘く香る洋梨のキャンドル。



サッと

秋がやってきて、

ストンと隣に居座った。

すぐにどこかへ行ってしまうので、つまんで

引き留めておきたい。



肌寒く、風邪をひきそうだけど
この季節は 集中力が増す。

考えが沈殿していく感覚。

キューブやブロックを沈殿させていって、

やがて水面から空気に晒したときに



いい事がありますように








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小旅行に行きました。

駅を降りると とても眺めのよい 高台になっていた。

今にも木登りしたくなるような木。

ジブリのような世界だなぁ、と

とても清々しかった。


今度、木登りしたいなぁ。
登りやすい木を集めた林なんてないかなぁ。
ハンモックをかけて、
気の休まる大切なひとともにユラユラ眠りたい。


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木漏れ日溢れるぶどう園。
農園の人々が、今年のぶどうについての様子や、農園での跡継ぎ事情、農園のまわりの施設について話してくれたが、一見の観光客じゃ表層部分しか知ることはできない。
興味もなければ、深く理解するまでも行き着かない。



唯一実感したのは、
家の冷蔵庫に入ったぶどうを取り出したとき。

さっきまでサンサンと降り注ぐ太陽の陰のなかでつる葉をはっていたぶどうたちが今では他のスーパーで買った野菜たちとともに収まっている。



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それぞれの野菜や果物たちには、かつて各々の居場所があって、現地の農家の人々の手で育てられてきたこどもたちの様なものなんだ。


このぶどうも、あの農園一家の子なんだなぁと
ふと思いながら食べる。

おいしいものを食べたとき、ここに行きつくまでの経路、栽培した人、その素材を選んだ料理者まで想像してみると、
大切に食べられる気がした。
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昨夜はお月見の会に行った。

都立の花園で毎年行われている行事だそう。


老若男女集って、琴の演奏などを聞いた。

月がこうこうと輝き、ちょっとだけ神秘的で平穏な時間が漂っていた。



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これで残暑も終わりだろうか。


力の入れるところはしっかり入れて、ぬくところはぬいて‥
しっかりしないとなぁ。
秋の準備をしないと‥