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ふだんのキラキラ カーテンのしわ ゆれ方                        ひかり  影  

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コリアとオキナワのおみやげをもらった。

本格チヂミと、なにかしらを作って、
このチリソースが合う料理を創作してみよう。

イマジネーションの課題ができて、うふふだ。


あったかくなってきたら、異国料理作りにもチャレンジしたいな。
このおみやげはそんなきっかけにしてくれそう。

そのためには色んなアジアンフードを食べに行って、きき舌できるようにならないと!




♪~




その日の夜は、

会社からそのまま、東京からアネと二人、新幹線で駆けつけた。

今にもなみだが落ちそうで、泣きそうな声をしていた自分だったが、

アネと会うといつもの感じで
とても安心した心持ちになれた。

‘かれ’のことを話題にしながらも、悲しい域にまでギリギリふみこまないようにお互い話しているような気がした。

「身近な存在がいなくなるのは初めてでしょ?ショックをうけるかもね…

「何時頃か…
と、分析をしてみたり

「パパは毎日散歩にいってるから、一番ショックだよね




とか。

かたまりのモヤモヤにすこしでも触れてしまうと、なみだがどんどん溜まりそうになる。

その時、よくある、涙ものの映画について考えた。きれいごとのようなことを語って、泣かせるようなもの、それって反則だと。本当に悲しい時って、敢えてそこに触れたくないと感じるんだ。

それは自分だけじゃなくて、思いを共有している家族がいるから。自分の悲しみの渦に、同じ思いをしてる家族を巻き込みたくない、余計に連鎖させたくない、そんなふうに思って、茶化した話をしてみたりするんだ。

だけど、‘彼’の姿を見たときには、全て溢れてしまった。


家族の前であんな涙を流したのはいつ以来だったろう。

家に着くともうとっぷり暗かったんだ。玄関に入ると、懐中電灯が片隅においてあった。
既に小屋にかけよってるアネを横目に、懐中電灯をもっていってあげようとの思いがよぎった。

だけど私は持たずに小屋にいった。



やはり暗くてみえないとのこと、
また玄関に戻って懐中電灯を手にとった。



















営業の仕事で最近くよくよしている。

お客さん、今日自分と会ったことで特に為になったことはなかったかもしれないな、
あんな喋り方じゃ伝わらないよな、とか。
いままでだったら、振り返って「ァア~」と後悔のため息をついた後、仕方ない!次挽回しよう!とか、準備不足なのは自分なんだしもっと頑張ろう!とか
奮っていたけれど、
最近はジワジワと思い出して尾をひいている。
自分は相手にとってどのように映っているのか、そんなことが気になるようになってしまっている。

どんどん、自信そうしつだ。。
頑張ろうと思っても、きが強そうな女にみえるのもいや。肩の力なんて、経験不足でぬけない








毎晩、‘彼’の事を思い出している。
電気を消して暗くなると、彼が頭に浮かんでくる。








彼は3日程前、自分の小屋の中で永遠の眠りについた。







彼は生まれる前から、私たち一家と過ごす運命になっていた。



うまれてきた彼は、三匹兄弟だった。



のんびりした兄弟のなかで、ひとり勢いがよく、よく食べ、よく走り回った。
目が大きく、黒っぽく、とびきりかわいかった。




まだ赤ちゃんのころは、居間に白い柵をおいて、その中で寝ていた。


時にはユメなんかみて、小さな足が動いていた。草原で走り回ってるユメでもみてるのかな、なんて言って家族と笑いあっていた。




かわいい足のひらだった。












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きのう、ガーベラを貰った。

ガーベラ。 ふと、スピッツの『ガーベラ』という曲が頭の片隅をよぎる。

*YouTube*
http://www.youtube.com/watch?v=GDkVRkm3WAg&feature=fvsr




まだ蕾の赤いカーネーション、オレンジ色のガーベラ。

元気が漲る、すてきなカラー。

だけどこの曲のように、実は脆く、繊細な面もある気がする。



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長い一本の茎を、すくっとのびのび伸ばすもの、しょぼんと下を向いてしまうもの。

大きな花弁をフサフサ見開いて、ひょろっとした茎で支えている。


そこには、スッとした自由さ、

元気の出る色を発する明るさと、

花弁の華麗さと

そんなあふれるエネルギーを一本の茎で支えている心もとない感じ

そのなかに感じる強さ。


だから好き。













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たまたまつけた地上波で、ざっくばらんに対談中の浅野忠信と板尾創治が
言っていた。
「自分の好きな仕事をする」よりも、「案外、自分が苦手だと思っていても
人にすすめられてやることの方がうまくいく、成功する。」「客観性って、すごく大事だ」と、
本当にそんな経験をしてひしひしと感じている、といった顔つきと声のトーンで語っていた。

覚えておこう。

あ、「ホンネ日和」という番組みたい。
番組MCはなんと、ARATAだ。わぁい。





最近、清んだ空の日が続いている。

きょうの夕暮れなんて、薄いグレー青のそらに

ぽかりと まんまるい白い月が浮いていた。

ちょっと無機質で美しかった。ひょいっと佇んでいた。

夜は一転、黒い雲に埋もれているのかと思いきや、乗車していた車が

進むにつれて、ハッとさせられた。

雲にかき消されているのでなく、その後ろで堂々と力を放っていた。

微動だにせず、重厚感のある煌々としたひかりに溢れていた。

たのもしさと、強い美しさ。

そんな月が大好き。



自分へのいら立ちや、モヤモヤも、すべてろ過してくれるような

澄んだ月の光は 不思議と、心が落ち着く、パワーのみなもと。



























すごく久しぶりに飲んだビールは、一瞬、石油のようなにおいがして

それがすごく美味しかった。


今日から、年末にかかった悪夢の胃腸炎がすっかり回復。きのうまでは胃が量にストップをかけていたから、そのタガが外れたのは今日。から、なのである。


帰宅途中、「おや?今日はロールキャベツが食べたいかもしれない・・」と思い始め、

着くころには、今夜ロールキャベツ以外のものを食べるなんて、考えられなくなっていた。

それと、ごはんを炊いていないから、パンだ。

8時過ぎに家にかえり、テレビをつけたが消した。

音楽をかけながら料理をしたほうが、感覚だったり考えだったり、浮かぶものに集中できる。つくるうちに、トマトやハーブのおいしいにおいや、コトコトと言う音が聞こえてきて、そんな空間をかんじながら自分とちょこっと向き合える感じが好き。
素敵なくうかん、いい世界観。



仕事はじめの今日は、出だしから幸先がよかった。

先日、立川談志の対談形式のような本と、プレジデントの笑いに関する特集を読んでいた。
それらから、〝笑い〟は、大切にしなきゃなんだ、と少し意識したいたお正月であった。

すると早速今日、上司たちとのちょっとしたやり取りの中で発せられたフリに気付き、それっとノッかってみると、
「○山に通じるようになってる!!」との声。
何気なしの行為がそんなにすぐにフィードバックされるなんて!!と驚いた。
あぁ、なんかいいものだなと。楽しいなと。

すると、職場のまわりの人たちと接するなかで、こんなにも笑いのタネがころがっていたのか!とちょっとビックリした。笑いのタネというのは、上司たちが何気なしに言っている最後のひとことだったり、返事だったり。
みんな、実にフリやボケを発しているのではないか!

いままで、意識することのなかった私からすれば、なんかつまんないこと言ってるな、とか、だから?とか、そんなふうにしか思っておらず、シャッターをおろしていたのだけれども、
そこにミミをのばしてみると、会話はキャッチボールだというのはその通り、
そのフリや小さな一言に受け答えてあげることで、こちらも少し楽しくなるの。
二人で会話を作りましたね、という気分になる。まさに共同作業。

あぁ、なんということにわたしは今まで気付かなかったのだろう。

これから、もっと楽しく生きられる気がします♪


久しぶりに机にむかった。
とても充実感があった。

あぁ、顎がシャープになりたい。








ところで、今日は月がすごーく低い位置で、イメージの火星のように
茶褐色寄りの赤みを帯びた 神秘的で大きく まんまるな様子で浮いていた。























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通っているフラメンコ教室の先生のライブを見に行った。


ファルダを翻すような通常のスタイルでなく、パンツスタイルで踊っていて
とても格好よかった。

そうだ、そういう感じ。
着飾るのでなく、
そのシンプルさ。
すごく好き。

しなやかさも、明るさも、強さや逞しさ、繊細さ、色々な高度な表現と技術を兼ね備えながらも、そしてそれを使い分けながらも、
トータルではどういう風にみせたいか、
そんな‘イメージ’をきっともっているんだ。

それこそ、個性であり

自由自在に操れて

自分の好きなものを解っていて
それを表現できる

プロフェッショナルだなぁと

ときめいた。





最近、おかねのことを考える。

社会人になって、自分のおかねで生活するのは
大変なことだとようやく気付いて、
包まれていた頃を懐かしく思った。
大学生活のころとか。
支援してもらっても、バイトもしてた。
なんて贅沢なんだ。


先のことを考え始めて、急にひしひしと、今の自分は果実のないりんごの芯みたいに感じてきた。

当たり前になっていたことだけど、ひょっとしたら自活していることはすごいことなんじゃなかろうか。


かたわらでは、実家住まいの人もいる。
例えば1人暮らしの人が毎月家賃10万円を払っているとする。実家住まい人だったら、と考えるとその10万円をまるまる自由にできる訳である。
そう考えると10万円払ってその場所にいないといけない理由は何なのだろうかと考える。


仕事だってつらい。
いつも自分を奮い立たせないと頑張れない。
なんとかしなくちゃと。


さらにこの、宙ぶらりんに足場を作ったスレートみたいなところから、さらにハシゴをひっぱりあげて、上にかけてかなくちゃいけない。
そのハシゴは、鉄筋で重く、不安定で、もしかしたらかけようとする瞬間、バランスを崩して落っこちてしまうかもしれない。

たとえ架けられたとしても、その先の足場がもろくて上ることもできないかもしれない。

ときどき、
そんな心境になる

もしも

そんな状態からしっかりとした足場をつくれたら‥





ハシゴは誰も手伝ってくれない。

自分でなんとかしないといけない