こんにちはシマシマですニコニコ太陽




今回は、
「間違えることは悪いことなの?
 ー間違って当たり前の教育を!ー」
と題してお話ししていきたいと思います。




りんごりんごりんご




みなさんは、
間違いやミスをして責められたことはありますか?


子どもの頃、学校で答えを間違えたことで
嫌な経験をしたことはありますか?


仕事などでミスをした時、
誰かから必要以上に怒られたたことはありますか?


間違えることは
本当に悪いことなのでしょうかうーん?




りんごりんごりんご




まず初めに!
ちょっと考えてみてください。


街で困っている外国人を見かけても、
話しかけるのを躊躇うことはありませんか?


外国人に話しかけられた場合は別ですが、
自分からはなかなか声をかけにくいという
日本人は多いと思います。


(これは人にもよりますが、一般的な日本人の
イメージとして例をあげてみました)


でも、他の国の人は違います。
間違いを恐れずに堂々と
日本語を話していませんか?


また、日本人のように
英語が母国語ではない場合でも
間違いを気にせず英語を自信をもって話します。


私は正直、英語を話すことは少し恥ずかしいです。
英語の発音も文法も自信がないし、
間違ったらどうしようという
気持ちが強くなってしまい話すことが苦手です。
そんな風に思うのは、私だけではないはずです。


この違いはいったい何なのでしょうか?


私は、間違えることに対する意識の違いが
関係しているのではないかと考えました。


では、どうしてそのような
「間違えてはいけない」
という意識が生まれるのでしょうか?


「教育」に関する事柄を中心に
考えていきたいと思います。




りんごりんごりんご




昔から日本の教育では、
正しい行い、正しい答えを
中心に教えられてきました。


子ども達は学校で過ごす中で、
授業やテストを通して
「間違えてはいけない」ということを
無意識のうちに学びます。


常に正しさ、正解を求められ、
本来なら、間違うことは成長する機会なのに、
それを許されません。


間違うことで嫌な思いをした子どもは、
間違えないように、間違えないようにと
そればかり気にしてしまいます。


間違いを恐れ、間違いを避けようとし、
答えに自信がない場合は手をあげるのをやめ、
積極的に授業に参加することもしなくなります。


ミスを責められた子どもは、
ミスをした事実ではなく
ミスをした自分を責めてしまうことがあります。


そうすると、
自己肯定感がどんどん低下してしまいます。


自己肯定感が低くなると、
何に対しても消極的になり
挑戦をすることを拒むようになります。


ルールや決まりを教えれば教えるほど
子どもは自分で考えることができなくなります。


社会に出れば、
自分で考えて行動することはとても多く
柔軟に対応する力も必要となりますが、


小さい頃から正解のある答えばかり学んでいると、
答えのない自分で考えて
行動しなければいけない場面で、
「何も決められない」
「人に答えを委ねる」
ような人間になってしまう可能性があります。


そう考えると、日本の教育はこのままで
いいのだろうかと疑問に思いませんか?




りんごりんごりんご




特に、教育現場では
正解を求めることの多い授業、
正しいルールや決まりの多い学校制度を
見直さなければいけないと思っています。



通常学級で過ごす発達障害のある子どもの中には、
授業に集中していない、
忘れ物が多いなど様々な理由で
他の子どもよりも
教師に注意されたり叱責されたりすることが多く、
自信を失うケースが多いと思います。


人間はみんな同じではないないのに、
みんな同じように扱おうとする。
枠からはみ出た子どもは、
何とかして枠の中に収めようとする。


発達障害のある子どもにとって、
そんな教室、居心地がいいわけがありません。


そんな学校だからこそ、
子ども達が不登校になったり
体の不調という形でSOSを訴えるのです。


ある程度の余裕がないと
息が詰まってしまいますよね!


これは、発達障害のある子どもだけではなく
すべての子ども達に関わる問題です。




りんごりんごりんご




さて、改めて。
間違えることは悪いことなのでしょうか?


私はそうは思いません。


なぜなら、


誰でもミスをするのが当たり前です。
ミスをするから人間なのです。
間違いからどう学ぶか、
どう改善するかという方が重要なのです。


何でも間違えない完璧な人が求められるなら、
ロボットになるしかありません。ランニングランニングランニング


そんなの無理ですよね。


もしかすると、100年後にはアンドロイドが
人間と一緒に生活しているかもしれませんが、


そんな遠い未来であっても
人間が間違いや失敗から学ぶという
本質はなくならないと思います。




りんごりんごりんご




教育現場ではもっともっと
間違えることが当たり前の教室が
増えればいいなと思っています。


間違うことが当たり前の教室というのは、
先生やクラスの仲間達が
「間違っても大丈夫!!」と、
どんな答えでも、どんな意見でも
どーんとまるごと受け入れ合う教室のこと。


「安心して堂々と間違えられる」
そんな雰囲気が必要だと思います。


さらに、教師は子どもが何かを間違えた時には、
しっかりフォローすることも重要だと思います。


子どもが発言した時に、
教師側が求めていた答えではなかったとしても
「そういう考え方もあるね」
「なるほどね」
といったん受け止めてあげる。


そして、子どもの答えをスルーせずに、
なぜその答えが違うのか、
どこを注意して考えるのかを
一言伝えてあげると
子どもは納得できるのではないでしょうか。


ひとり間違うということは、
同じところでつまづいている子どもが
必ずいるはずなので
きちんとそこを重点的に
指導することが大切だと思います。


誰もが自分の意見を尊重される教室
素晴らしい学び舎になります。おねがいキラキラ




りんごりんごりんご




最後に、みなさんにおすすめの言葉と
絵本を紹介して終わりたいと思います花火




「つまづいたっていいじゃないか
 にんげんだもの」

相田みつをさんの言葉です。
この言葉、その通りですよね!!





「教室はまちがうところだ」


蒔田晋治さん作、長谷川知子さん絵の
2004年に出版された絵本です。


この絵本が、全ての教室に置かれて欲しいと
思うくらい、オススメの絵本です!!


正しい答えを言うために手をあげるのではないこと


みんなで答えや意見を出し合って、
みんなで学ぶことができる。


そんな教室だったら、
子ども達はお互いに刺激し合いながら
多くのことを学んでいけるはずですキラキラ



それでは、今日も素敵な一日をお過ごしください。
シマシマでした爆笑ラブラブ




りんごりんごりんご




鉛筆おまけの一言鉛筆



昔、ある職場でミスをした時、
上司に「負けだ」と言われたことがあります。
他の同僚に負けているということでした。


ミスをした私は間違うことを恐れて
仕事の効率がどんどん下がっていきました。
ミスをしないようにと思えば思うほど
ミスは増えていきました。
自信も失っていき、笑うことさえままならず、
結局その仕事は辞めることになりました。


次の転職先では、自分の力を発揮できる
職場に巡り会うことができたので、
笑うことも増え、自信を取り戻していきました。


そんなこんながあって、
今は特別支援教育に携わっております。


人は誰でも完璧ではなく
間違うことがあるのが当たり前です。


間違いを正当化するわけではありませんが、
ただ、もう少し世の中に余裕が生まれて
間違いから学ぶという成長を重視していくような、
そんな寛大な世の中になると、
世界が大きく変わるのではないかと思いました。


最後までお読みくださりありがとうございました!
それでは次回のブログでお会いできることを
楽しみにしていますパンダキラキラ



りんごりんごりんご