読まれる方は、深呼吸をしてからにしてください。

 

無実と信じている方もいらっしゃいますので、袴田巖さんは冤罪という方向で話をします。

判決を待つだけの状態と聞いたので、手遅れのような気もしますが、私が思う真犯人の可能性がある人物についても、記事の下に書いておきます。

 

天気が落ち着いたら‥

 

あくまで、この件に於いて参考までに。

 

袴田事件(はかまたじけん[注 2])は、1966年昭和41年)6月30日日本静岡県清水市横砂[1](現: 静岡市清水区横砂東町[注 1][2])の民家で味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて集金袋が奪われ、この民家が放火された強盗殺人放火事件の通称である

 

50万円のうち13万は発見されたが、残りの37万円は発見されなかった

 

 

袴田巖さんが、4人も殺害した犯人なら、相当の恨みがあったと想像できるが、だったらなぜ、彼の妻(Aの母親:当時61歳)とAの長女は襲いもしなかったのか?

 

     

    現場からは凶器の一部と思われる短刀の鞘らしきものが発見されたが、短刀は無し。

     

    Aが経営していた味噌工場は、A宅から東海道本線の線路を挟んで南に約30メートルほどの場所に建っており[31]、袴田は事件当時、工場2階の寮に住んでいた

     

    パジャマ約30メートルほどの距離をわざわざ、行き来し、犯行を?

     

    4人の遺体にはいずれも刺し傷が

     

    ということは、返り血を浴びたパジャマを着て、短刀だけを持って逃走。

     

    4人も殺害しているのに、血痕が極微量というのはおかしい。

     

    当時同社の従業員であった元プロボクサー袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収

     

    なぜ、処分しなかったのか?

     

     

    袴田巖さんは、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあったA宅に侵入したと供述。

     

     

     

    パジャマに血痕は付着していたと言うことは、雨合羽は脱いでいたということ。

     

     

     

    工場内で着ていったとされるその雨合羽は、どこに?

     

    袴田の実家を家宅捜査した際に、犯行着衣と同じ共布を発見

     

    実家はどこ?

     

    衣類には袴田と同じB型の血液が検出された

     

    8月31日 - 味噌製造工場にある味噌の1号タンク内から、従業員が血染めの「5点の衣類」を発見した

     

    犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」については自白ではまったく触れられていない点など信用性にも疑義が呈されている

     

     

    2014年(平成26年

     

    3月28日 - 18時ごろ、生き残っていた被害者一家の長女が亡くなっているのが自宅で発見された(満67歳没)[注 14][80]。長女は事件後、現場跡地に建つ住宅で暮らしていたが[26][81]、4、5年前に夫[注 15]が病死してからは1人暮らしをしていた

     

     

    彼女は生前、『朝日新聞』の取材に対し「もし袴田さんが無罪なら、一日も早く真犯人が見つからないと仏様は浮かばれない」と話していた[85]一方、『読売新聞』の取材に対しては「もう昔のことです。もう何も知らない。私には関係ないわよ」と語っている[86]。また、同月20日[注 16]に『毎日新聞』の取材を受けた際には「裁判はもう終わった。話すことはありません」と話していたと。

     

    今となっては確認できないが、供述の違いに何かありそう!

     

    発見された「5点の衣類」はパジャマではないよね?

     

     

    気をつけて、慎重に。

     

    ..

     

     

     

     

     

     

     

     

    ..

    真犯人の性別も、動機も、不明。

     

    袴田巌さんは冤罪でしょう!

     

     

    おそらく、協力者がいて、その協力者は、袴田巖さんに、嫉妬か恨みがあったのかもしれません。


    「5点の衣類」は、真犯人自身が着ていた物で、後から来た袴田巖さん同様、真犯人もまた上に何かを羽織っていたのかもしれません。=多分、黒色か白色の物?

     

    犯人は、4人のうちの誰かに、電話で焦った口調で袴田巖さんと会話をさせ、呼び出した直後に、4人を殺害。

     

    犯人は、羽織りを脱いで、一旦どこかに隠してから、隠れた。

     

    袴田さんが行ってみると、4人はすでに死亡していた。

     

    その直後に背後から薬を嗅がされ、袴田巖さんは気絶した。

     

    犯人は、仰向けにした袴田巖さんが着ていた雨合羽をめくり、パジャマに、B型の血液を垂らした。

     

    犯人は、次に、ズボンを少し引っ張りステテコなどに、A型の血を付けたのでしょう。

     

    その後、犯人は、鞘を握らせてから床に置き、「5点の衣類」の上に羽織りを着て、短刀だけを持って逃走。

     

    家で、犯人自身が着てきた「5点の衣類」にA型とB型の血液を垂らしたのかもしれません。

     

    しばらくして、目を覚ました袴田巖さんは、血がついていることと近くに何かが落ちているのに気づく。

     

    その何かを見て、犯人が分かってしまった袴田巖さんは、持っていた短刀の鞘を置いて、代わりに、何かを持って立ち去った。

     

    袴田巖さんは、元妻が犯人だと思った。

     

    当日、放火をした犯人は、袴田巖さんかもしれません。

     

    工場に帰った袴田巖さんは、そのパジャマを脱ぎ部屋に置いた。

     

    袴田巖さんは、後日、現場近くにパジャマを捨てた。


    上で言った協力者は、1966年、8月31日第1号タンクから、血染めの「5点の衣類」を発見した従業員。

     

    その従業員は、犯人から血を付けた「5点の衣類」を受け取っていて、タンクに入れてから、警察を呼んだ。

     

    もし、黒いズボンのかぎ状の跡が、劣化により、自然にできた物でないなら、協力者が従業員の他にもう一人、薬品に詳しい者がいたのかもしれませんが。

     

    殺害した4人全員に恨みがあった真犯人だが、長女の何気ない言葉で、気持ちが固まり、実行してしまったのかもしれません。

     

    当時、一家が通っていたか、家に往診に来ていた医師か、看護師はいましたか?

     

    その人に、袴田巖さんも診てもらっていませんでしたか?

     

    当時、一家の主治医か看護師が、真犯人だと思います