デーブ・スペクター好感度アップ
『放送禁止歌』森達也(知恵の森文庫)
テレビやラジオで放送できないいわゆる「放送禁止歌」について、放送禁止になった背景、誰が規制をしているのなどを取材しまとめたノンフィクション。
結局、少なくとも現在は、「放送禁止歌」なるものを指定して各メディアに放送を規制する団体など存在しないんですね。しかし各メディアが横並びで自粛している状態がなぜか続いているとは知りませんでした。
この本では、なぎら健壱、高田渡といった放送禁止歌の作者に対してのインタビューがもちろん面白いのだけれど、意外なのが第3章『放送禁止歌 日本VS.アメリカ』での、著者とデーブ・スペクターとの対談。
デーブは単なるダジャレ好きかと思っていましたが、ここではまじめな一面を披露。本人は気づいていないでしょうが、私の中での好感度は確実にアップです。
まず、アメリカでの放送禁止歌について聞こうとする著者に対し、期待を裏切らず
「何から話そうかなあ。まずアメリカという国について話さ
なくちゃいけない。驚かないで欲しいけれど、実は地球は球体
なんだ。その丸い地球の日本のちょうど裏側あたりに、
アメリカ合衆国という国がある。そもそもは一五世紀に
コロンブスというスペインの探検家が・・・」
という素敵なジョークから始めてくれるデーブ。
しかしこの後話はすぐに本題へ。
デーブ曰く、
アメリカには日本でいう放送禁止歌はない。そのかわり個々の放送局やDJが、この曲は放送すべきかといった判断をする。
生放送でも収録と放送の間に6秒のタイムラグを入れるなど、アメリカのメディアが行っている規制は、表現の自由が外から規制されるのを防ぐためにメディアが自主的に行っているものであるとのこと。
また、日本のメディアが放送禁止歌の放送自粛をしているのは、外から抗議がくるのを恐れるからである。要は判断を個人で行いたくなく、自らがリスクを負いたくないからであるとのこと。
両方とも同じように規制を行っているように見えて、アメリカと日本で規制に対する意識がまったく異なっているというわけですね。
さて、アメリカの放送の歴史には黒人差別が色々あったけれど、例えば日本の部落差別問題とは問題への対処の仕方が大きく異なる、といったデーブの発言から、話は日本の人権や差別意識に移っていきます。
「・・・何ていうのかなあ。結局、日本人は自分たちを単一
民族だと思いこんでいるよね。理屈では南方系とか大陸系
とか言うけど、やっぱり感覚としては単一だという思いは
強いよね...
・・・(日本人は)民主主義や人権についての意識が本当
には身についていないよね。それはよく感じるなあ」
外国人からのこういう意見は耳が痛い。
直接の仕事ではなく、日本のメディアで働くものにとって必要なことだと判断
して、大阪の被差別部落を一人で訪ねた経験もあるというデーブ。
ぜひ一度まじめに日本人について語っていただきたいものです。
もちろんジョーク付きで。
地下鉄で読んだバスの冊子
大江戸線中野坂上の駅においてあったので何気なく手にしたのが
『乗り隊歩き隊』潮風号
東京都交通局が都バスの宣伝を兼ねて町を紹介する小冊子のようです。
内容は、都バス路線図や、各路線で遊べそうなスポットの紹介です。
都バスを使わない私にとってはあまり興味もないのでパラパラとめくっていると、
あっ、泉麻人が連載をしているではありませんか。タイトルは
『ふらり都バスの旅』
いいですねえ。競合他者がいなさそうなところでの連載という隙間産業な感じが大好きです。
この見開き2ページの連載は、泉さんが毎回ある路線を選んで都バスに乗ったり、途中下車してあたりを散策した旅ルポみたいですね。
載っている写真も泉さんが撮影したそうですが、この写真がまたいいです。
ウマイとかヘタとかで評価する写真ではなくて、この冊子のほかのページにあるスポット紹介写真と同じような写真。
さて、泉さんが今回の旅に選んだのは大井町から天王洲アイルまでを巡回する<井96系統>。
すでに目当てのポイントが決まっており、今回は南品川ニ丁目バス停のあたりで降りて付近を散策するとのこと。
おお、ここには特別な何があるのか?それとも町の面白い人との交流が生まれるか?と読むこちらの期待をかわし、意外と普通の文章でした。
交差点の角に建つ古びた家や、寺の近くにある色の目立つ橋などをあっさりと紹介。
この後も、大井町まで歩こうとして途中で通ったゼームス坂ではこれが海軍の創設に携わった英国人の名に由来したという豆知識を披露。
ふらりと入った珈琲店で注文した珈琲の味は格別だったとお得なグルメ情報もしっかり提供するという非常にオーソドックスな町の紹介文ございました。
ちなみに、珈琲店で注文したメニューについては
「ハイブレンド」(ブラジル・セミウォッシュをベースにした
口当たりのよいややコクのある・・・と出ていた)
と細かく言いながら、店名については
おちついた佇まいの珈琲店
としか教えてくれないと、まさにふらりと入った店でいいものを見つけた感があって、同じルートをたどって探してみたくなります。
そろそろスター・ウォーズでも観ようか
この一月くらいは誰もがあちこちの雑誌でスター・ウォーズについて語っていましたが、面白かったのは
週刊文春2005年7月14日号
小林信彦『本音を申せば』第366回
タイトルを『ニ十七年目の「スター・ウォーズ」』としているので、映画鑑賞の達人である氏がエピソード3についてどういう見方をするのかに注目すると、エピソード3について感想、批評を述べているのは2ページの文章のうち最後のたった2文でした。
物語としては、これで最初の「スター・ウォーズ」につながる
のだが、日本風の刀のチャンバラの長い殺陣はもう少しうまく
できないものか。ルーカスはCGにはくわしくても、殺陣の
魅力を知らないらしい。
2ページのスペースがあって唯一の感想がこれですか、とつっこみたくもなりますが、なぜか不思議と映画が観たくなってきました。氏にとってスター・ウォーズはあくまでも
血わき肉おどるB級映画
ですから、アクションには当然厳しく注文をつけます。
また、今回の文章ではエピソード4から6を振り返っての感想も書いていました。
エピソード4については、『隠し砦の三悪人』のアイデアを使っている(ということは今ではみな知識として知っていますが、もちろん氏は観てすぐわかったそうです)だけでなくて、『テキサス決死隊』(私の知らない映画です)と同じ撮り方をしているシーンもあるそうです。こういった過去の映画と同じ撮り方をするので
アクション映画の名場面のオンパレードになり、面白く
ないはずがない
と賛辞。この映画の陽気さについても言及していますが、そのすぐ後でエピソード6については
良心を取り戻したダース・ベイダーが死亡し、銀河に
平和が戻る。こんな能天気な話が面白いはずがない。
と正反対の評価。
アクション映画はB級でもいいしアイデアを盗んでもいいし陽気でもいいけど能天気にやってはいかんのね。難しいものです。
絵を美味しく見るための本
『赤瀬川原平の名画読本』赤瀬川原平(知恵の森文庫)
いわゆる名画といわれている絵を15点あげ、それぞれの作品に対してまずカラーで絵を紹介、そのあと作品について赤瀬川さんなりの見方が展開されます。どのようにしてこの15点を選んだのかは不明です。
赤瀬川さんはこの本で、絵が『美味しい』という表現を何回か使っていて、これがとにかく気持ちいいのです。たとえばシスレーの絵を解説するときに、
しかしなんという気持ちのいい風景画だろう。
色が美味しいし、油絵具の伸びが美味しいし、その
タッチも美味しい。描かれている空気も美味しい。
なんて言われると、どれどれともう一回絵のページに戻ったりするわけです。
と当たり前のようにシスレーと言ってみましたが、シスレーが何者かはよく知りません。でも私にもこの絵が美味しく感じました。美味かったよ、シスレー。
美味しいという感覚は自分の体質や体調にも左右されるものなので、『最近は脂っこい絵ばかり見てたけどもたれちゃって、たまにはあっさり系の絵も美味しい。』なんて言い方もできますね。
これってちっとも絵を説明していないけれど、でもその感覚はだれでもよくわかる。確かに美味しいとは主観的だけど理解しやすい表現です。
で、このように随所に出てくる赤瀬川さん独特の表現に、ああ、よくわかるなソレ、とガツガツ美味しいご飯を食べるようにページをめくっていくと、14章(ルノワール『ピアノによる少女たち』)を読み始めたとたんにガツンとやられます。
ヘタな絵である。色が汚くて、筆先が説明ばかりしている。
ピアノの音なんて全然聞こえてこない。
と始まり、ひたすらルノワールの悪口が展開。赤瀬川さんいわく、ルノワールは『説明的』だそうで。たとえば、
椅子の背中もそうですね。いちおう金色の椅子だと、絵筆で
説明されてはいる。でも凄く安っぽく感じる。
~(中略)~
画家の絵筆は正直だ。表面だけ、説明的に描いた絵は、
それ自体を金メッキとしてあらわしてしまう。
おっ、世間の評価に対する挑戦か?と思いながら再度絵をじっくり見ると、不思議と椅子が安物の金メッキに思えてきます。
このピアノを弾く少女の手が、もう何日も風呂に入って
ないように見える。よく見ると垢だらけである。
少女に罪はありませんがとにかくひどい言われよう。どれどれ、と再度絵をじっくり見ましたが、私が見る限りこの少女は毎日風呂には入ってそうな気が。いや、風呂に入っても洗ってないという可能性も確かにあります。香水でニオイをごまかしたりしていかにも西洋の娘さんらしいですが、私の想像力はそこまでは及びません。赤瀬川さんの注意力と想像力恐るべし。
とにかく名画をけなすということに意外性があって14章(と、また別の画家の悪口をいう15章)がお勧めですが、1章から順に読むと14章でのびっくり度が増して更にお勧めです。
しかし、どんなものに対しても自分の目で見た評価を下せる人はかっこいいですね。
夏の3フェアブックレット比較
各出版社の夏の文庫フェアが始まっていますね。
『新潮文庫の100冊』に、角川文庫の『夏の100冊』、集英社文庫の『ナツイチ』ですか。
それぞれのブックレットを書店でもらってきて、パラパラとながめると、私が勝手に勘違いしていたことが二つほどありました。
一つ目。『ナツイチ』も対象の本が100冊あるのかと思っていましたが、86冊しかないんですね。確かに100冊とはどこにも書いていませんでした(笑)。
ちなみに『新潮文庫の100冊』では103冊、『夏の100冊』では104冊がフェア対象です。
フェア対象の本の中で、国語の教科書に載るようないわゆる『名作』の割合が多い順に
『新潮文庫の100冊』>『夏の100冊』>『ナツイチ』
のようですが、『新潮文庫の100冊』でも思っていた程名作は多くありませんでした。
これが二つ目。
さて、そんな3フェアすべて対象となっている本が2冊ありました。
夏目漱石の『こころ』と太宰治の『人間失格』
各ブックレットでこの2冊の紹介文の内容に違いはあるのでしょうか。
まずは『こころ』
角川と集英社ではほとんど紹介文が同じ。
『エゴイズム』と『厭世』という、作品を解説する際によく使われそうなキーワードが両者の紹介文に入っています。
それから、本の内容についてはほとんど同じ文が書いてありますね。遺書の内容についての記述、
そこには、恋人を得るために親友を裏切り、自殺にまで
追いやった過去が克明に告白されていた。(角川)
そこには、恋人を得るために親友を裏切り、彼を自殺に
まで追いやった過去が克明に記されていた。(集英社)
この微妙な違いを味わうのが大人です(笑)。
この2社とは紹介文の雰囲気が異なるのが新潮社。
『エゴイズム』や『厭世』などの単語を使った解説はなく、あくまでも本の内容の紹介をしています。
それも、親友を裏切って自殺に追いやったといったことには触れず、
それは親友とともに一人の女性に恋をしたときから
始まったのだった。
というところでとめています。
未読の人に興味を持たせるのは角川と集英社の書き方かも知れませんが、個人的には新潮の書き方が好きですね。
それから、『人間失格』。
角川は内容について触れた文がもっとも少なく、『太宰が玉川上水で入水した後に世間に発表された』とか、『主人公が太宰自身の人生を投影している』といった解説があります。
集英社でもこの2点については記述がありますね。
(太宰が玉川上水で自殺するのは、この作品完成の1カ月後である。といった書き方になっていますが)
で、やっぱり新潮にはこの2点についての記述がありません。
いわゆる名作は、実際に本を読む前に、文学史上の位置づけだとか作者の生き方だとか哲学だとかの
周辺知識を先に得てしまうことが多いですね。
それで内容がわかった気になって実際に本を読まなかったり、余計な知識で先入観を持ってしまってから本を読んだり、それはもったいないような気がします。
ということで、『こころ』と『人間失格』の紹介文については、余計な解説がなかった『新潮文庫の100冊』に一票。
中目黒ブック戦隊企画 松久淳フェアがスタートしました。
毎度おなじみ、中目黒ブック戦隊企画のフェアのおしらせです。
7/7より、中目黒ブックセンターにて『松久淳フェア』が開始しております。
折しも夏の恒例新潮文庫の100冊フェアと同時期の開催。
あちらには松久作品が『天国の本屋』1冊だけですが、こちらはオール松久淳。
量でまずは1勝ですよくわかりませんが。
松久さんといえば『天国の本屋』しか知らないという方へ。
あの一冊で松久さんを判断するのは早計ですよ。
ブック戦隊が作成したフリーペーパーも参考にたくさんの松久本に触れて、それぞれの本でまったくことなる読後感を味わってください。
松久淳さんHPはこちらです。
読む肉体改造
世の中肉体改造ブームですが、この本を読めばきっと私も肉体改造に成功するだろうと、そう信じています。
『強くなれ!わが肉体改造論』大山倍達(幻冬舎文庫)
極真カラテの大山総裁は、あるとき医者に聞いた話から若い世代の体の弱さに危機感を感じたのだとか。
今も昔も若者は強くなりたいはずなのに、食生活の変化やらストレスやらがそれを邪魔しているのだと、大山総裁は気づきました。
現に大山総裁のもとには強くなりたいと願う多くの若者が日々集まってくるのです。
~わたしは、国内のみならず全世界の無数の十代、二十
代の若者たちと接してきているが、入門志望者の十人中
の九人までは「強くなりたい!」という動機を抱いている。
残りの一人の志望動機が非常に気になります。気になりますが、先に進みましょう。
大山総裁は考えました。そして、武道がもつ精神論は置いておき、肉体論に特化した本を書こう、しかも一般論ではなく、自分をモデルにした本にしようと思い立ったわけです。
それだけに世の一般健康書などと違い、もっともらしい
”科学的裏づけ”などはしなかったけれど、理屈はとも
かく、現にこの大山倍達という見本があるのだから、内
容については信じてもらいたいと思う。
相手に有無を言わせず突き進む力強さ。大山総裁、私は信じます。
というわけでできたこの本、総裁の経験から得られた強くなるための方法が、呼吸法から風呂の入り方まで多岐にわたって記されています。
その中で、もっともページを割いているのが食事に関する章。
想像力が豊かなファンなら、総裁に食事を作る家政婦の気分も味わうのも一興です。
毎朝、起きぬけにコップ一杯の酢をグーッと飲みほすことから、
わたしの一日は始まる。
えー、意外と、いまどきの女性誌にも載っていそうな健康法から一日がスタートしました。
ただ、酢といっても水で1:9くらいに薄めるらしいですよ。ちなみに薄める水は湯冷まししたものを冷蔵庫に
いれて冷やしたものだそうです。
こうすると水道の水特有のカルキ臭さが抜けて、水がう
まくなる。岩清水とでもいうか。
自らが蛇口からひねり出した水を岩清水だと思える、この想像力の豊かさももちろん総裁の魅力です。
酢を飲んだ後の総裁は、新聞に目を通し、まずは梅干、酢大豆を食べてお茶を飲んでから、最低30分費やすという朝食を開始。そのメニューは、
洋食ならばトースト2枚にバターと蜂蜜。ハム2切れかベーコン3~4枚、半熟卵2個に皮ごとのジャガイモ2個。野菜サラダ。牛乳とデザート。
和食の場合はご飯に味噌汁、干物、シラスなど混ぜた大根おろし、タタミイワシかイリコを煎ったもの、ほうれん草などのおひたし、のり、半熟卵2個と皮ごとのジャガイモ2個。野菜サラダ。
味噌汁に入れるゴマにはリノール酸やリンが含まれているだとか、大根おろしにはジアスターゼなどの消化酵素がどうのこうのと書くわりに、結局は「体にとてもよく効くような気がするから」という理由で食べてます
難しいことはよくわからない、とにかく体に聞いて、よいと思えたものを食べるのだ、という態度が一貫しており、それでいておそらく現代の科学的にも正しい食生活をしているところが大山総裁のすばらしいところ。
さて、実は洋食、和食問わず総裁の朝食のメインは野菜サラダなのです。
自称『七種混合サラダ』らしいですよ。
~最低七種以上の各種の野菜を大皿に盛り上げたもので、
決してお上品ではない。それを手づかみでバリバリ、ム
シャムシャと頬張る姿は、おそらくどうみてもスマート
とは思えないはずである。
と総裁はサラリと書いて次の話題に移っていますが、手づかみにする必要性がさっぱり理解できません。
私の肉体改造は前途多難です。
自転車がこんなにサスペンスでいいかしら
『男たちは北へ』風間一輝(ハヤカワ文庫JA)
この小説の主人公は桐沢風太郎。44歳。フリーのグラフィックデザイナー。
旧友に立てた誓いを果たすために、東京から青森まで自転車で旅に出ます。
自転車は長年愛用したサイクリング車で、キャリアに荷物を山ほど積んだもの。
格好はというと上半身がTシャツの上にフィッシングベスト、下はGパンにハイカットのコンバースという実用性重視。
Gパンだと熱射病になりやすいので自転車での旅行にはよくないですよ、と心配のひとつもしたくなりますが。
しかもこの男アル中で、あちこちでビールだのウイスキーだの地酒だのをしょっちゅう飲みます。サイクリング中に昼間っからビール飲んだりして青森までたどり着けるかますます心配。
さて、著者は実際にこの主人公と同じ装備、同じスケジュールで東京-青森間の自転車旅行をしているそうなので、小説ではあるけれどもしっかり自転車旅行記として楽しめます。
桐沢の目線での風景描写が多く、これらは著者が事前の旅行で確認した実際の風景と変わらないのでしょう。また、急な上り坂をやっと上りきったすぐ先に更に高い上り坂が待っていた時の絶望感も、自動車が邪魔だという愚痴も、自転車で山を越えたことがある者なら共感することばかり。おまけに、いく先々で飲む地酒の銘柄とちょっとした味の感想なども旅心を誘われます。
そして、旅につきものなのが他の旅人との交流。一泊目の野宿では青森までヒッチハイクする若者に出会い、その後何回か偶然会うたびにこの若者が精神的に逞しくなっていく。会うたびにこの若者の成長を見守りながら人生訓をたれる桐沢のハードボイルドさも魅力です。
さて、桐沢は予定通りに青森にたどり着けるのか。
というのが実は桐沢から見た表の話。
この本、なんと自転車旅行記とサスペンスの異種混合小説なのでありました。いや、ほんとびっくり。
ああ、何たること。実は桐沢は、旅の開始直後に偶然にも自衛隊の機密情報を知らず知らずのうちに入手していたのでありました。
しかもこの情報は自衛隊でも一部の者しか知らず、公になると日本中がパニックになろうかというもの。
そして当人の桐沢はそんな情報を入手したことにまったく気づいていない。
情報が桐沢に渡ったことを知った自衛隊、桐沢がその情報の意味に気づく前にこれを取り戻そうと特別チームを組んで、国道4号線を北上して桐沢を追いかけます。
桐沢を追う自衛隊。
自衛隊に追われていることも知らずに青森に向かう桐沢。
桐沢に接触しながらも情報を取り戻せず、次第に状況が悪くなる自衛隊。
さらに北へ旅をつづける桐沢。
そしてしょっちゅう登場するのにサスペンスとは関係ないヒッチハイクの青年。
緊張と弛緩が交互におとずれて、読み手の感情を揺さぶりながらも一気に読ませ、しかもサスペンスを盛り上げる構成のうまさ。その上読後はすがすがしさが残る本でございました。
自転車好きと旅好きは読んで損なし。
中目黒ブック戦隊企画 岡本太郎フェア実施中です
毎度おなじみ、中目黒ブック戦隊企画のフェアのおしらせです。
ただいま、中目黒ブックセンターにて『団鬼六フェア』と平行して、『岡本太郎フェア』を実施中です。
(岡本太郎フェア自体は以前から行っていましたが、フリーペーパーがやっとできあがりましたので、いつものようにフェア台においてあります。)
太陽の塔などの作品をみて彼の芸術作品のインパクトに圧倒された人は多いと思います。
しかし、実はそれと同様に文章もインパクト大。
彼は考え方がストレート。しかもそれをそのまま文章に表すことができるので、文章が力強い。
簡潔でわかりやすい。
いや、実はわかりにくいところもちょっとある。一見突拍子もない発言がでてくることもある。
でもでもそれは太郎さんとコチラの頭の構造の違いで、よく読めばちゃんと理解できて、太郎さんの考え方のシンプルさに感心するばかり。
元気がでる文章をぜひ読んでください。
今回の『岡本太郎フェア』フェアは7月初旬まで続きます。
部落の問題
部落問題はムズカシイ。
どのあたりがムズカシイかというと、 あまり学校では教えてくれなかったのに、大人になるとみんながなんとなくわかったふりをして日常を過ごしているように見えるからムズカシイ。実際は本を読んだりすれば問題は理解できるからムズカシクハナイ。
でも、まわりのみんなに部落問題についてどう思うの?と聞くのもオカシイような、そういう話題はこんなトコロで言わなくてもイイジャナイカって雰囲気が大人の社会にはあるような気もして、だから実際のところみんなどのくらい問題を意識しているのかがワカラナイからムズカシイ。
『被差別部落の青春』角岡伸彦(講談社文庫)
(単行本は1999年刊行)
この本では、被差別部落出身者である作者が、世代の異なる多くの人にインタビューをしている。
印象に残るのは部落問題なんてキニシナイっていう被差別部落出身者たち。
本を読んだ限り、被差別部落出身者には、ワタシは我慢してきた、という世代と、ワタシは問題をこうやって解決した、乗り越えたという人もいる世代と、ワタシはハナからそんなの気にしていないという世代がいるようである。もちろんこんなに単純に世代を分類できるワケではないけれど。
問題をハナから気にしない人に対しては、著者がインタビューに困っている。相手があまりに部落問題に対してアッケラカンとしすぎていて、著者の方が部落問題は大変なんだよと意地をはる変な人にもみえる。
おそらく現在日本中の若者に調査すれば、部落問題なんてキニシナイっていう回答が多い気がする。
その中には、問題を理解した上で差別意識はモタナイヨって自分の意思で言う人は当然多いと思う。
でも、自分に関係ないことにはキョウミナイヨっていう意味でそういう回答をする人も多い気がする。
過去の多くの人の努力で部落問題は次第に解決されてきた。
楽観的な人達には、部落問題を意識することが昔に比べて少なくなっているんだからわざわざこれ以上問題として取り上げる必要はないという人もいる。それだと、ひょっとすると部落問題は問題としないでいるうちに自然消滅に近くなるかもしれない。
気がする、ばっかり言うのはヨクナイんだけれども、問題が、それを問題と考えていた世代がいなくなることで自然消滅するというのはヨクナイ気がする。
