こんばんは。
今日、TVを観ていたらNHKで障害者リポーターの募集をしていました。
2020年の東京オリンピックに向けて、障害者として障害者スポーツを取材、情報の発信などをするというもの。
筆記、面接試験、採用後は東京のNHKに1年間通えるという条件が、いくつかの条件のなかにありました。
僕は北海道に住んでいるので、すごくやってみたい意欲はありましたが、距離的に難しく、今回は応募は断念しました。
しかし、この疑問をNHKに直接、問い合わせメールで送ったところ、先程、回答のメールが届きました。
正直、回答が来るとは思わなかったし、来たとしても時間はかかるだろうと思っていたので、驚きました。
その回答のなかで、筆記、面接をパスしたあかつきには、詳しい話を聞く可能性はある、という事でした。
これをよくとれば、受かれば然るべき対応はしますよ。
という風に僕は受けとりました。
なので、今このタイミングでは難しかったかもしれませんが、2020年までまだ時間はあるので、障害者リポーターを捨てたわけではありませんが(機会があればやってみたいし)、僕自身、障害者の立場で、同じ障害者のために何かやりたいと思ってます。
これは、生涯をかけて取り組む事だと、思っています。
今回の障害者リポーターの募集は、NHKとしても初めての事だそうです。
障害者の障害や、生活などを、正しい情報として知らない人に知ってもらったり、障害者の法律も障害者が知らないことも、たくさんありますし、そのなかで一般の人に障害者の事を知ってくださいと言っても、説得力がないので、障害者である僕がまだまだ、障害、障害者について知らなければならないことは、いくらでもあるので、日々勉強しています。
ある種、2020東京オリンピックっていうのが、合い言葉というか、日本のスローガンっぽくなってる気もしますが、そこに向けてやりたいことはたくさんあるし、今よりもっと新たな障害者の可能性を発見、発掘し拡げていかなくてはならないと思っています。それは仕事だったり、美術、音楽、芸能、創作など、多岐にわたります。
去年の障害者殺傷事件は、重度障害者、重複障害者はもちろん、日本に住む全ての障害者が、障害について色んな角度から、再考する大きな転機になったことは間違いないと思います。
その後のパラリンピックも、過去のパラリンピック以上に、メディアも取り上げたし、我々観ている人たちも、盛り上がったのではないでしょうか。
その後Eテレのバリバラで、感動ポルノが波紋を呼びました。
障害者がある人が一生懸命頑張るから、感動するという価値観はどうなの?
という疑問を視聴者に投げかけました。
障害者である僕自身も、そういえばそうだよなと、結構考え込んだ記憶があります。
という感じで、ここ数年、良くも悪くも障害、障害者を取り巻く環境や見方は、一昔前よりもスピードをあげて、変化している気がします。
障害者を理解しようというのは、昔から言われてますが、理解よりも先に、障害者自身が受け身から脱皮しなければ、障害者の未来に道が続いていく事はないと、障害者の僕は強く思います。