「……何ニヤニヤしてんのよ、キモい」
​冴美がジト目で俺の顔を覗き込んできた。
​「ニヤついてねぇよ。琉衣さんの作る味噌汁は、お前の適当な飯と違って美味いなと思ってただけだ」
「はあ!? 私だって料理くらいできるわよ! たまに焦がすだけだし!」
​ギャーギャーと騒ぐ冴美をいなしながら、琉衣さんが持たせてくれた温かいおにぎりを頬張る。出汁の効いた優しい味が、腹の底まで染み渡っていくようだった。
​二人で一軒家を出て、朝日が差し込む駅までの道を並んで歩く。都内の高校に通う俺たちの日常は、どこにでもある平凡な高校生のそれだ。俺の成績は中の下、得意なのは体育の授業くらい。誰も俺が昨夜、数百キロ先で溺れかけていた幼い子供の命を救ったなんて夢にも思わないだろう。
​「あ、そうだ卓。今日の夜、お母さんが晩ご飯一緒に食べようって」
「え……琉衣さんが?」
「うん。『卓ちゃん、最近部活で疲れてそうだからお肉焼いてあげなきゃ』って。ほんと甘やかしすぎ」
​冴美は呆れたように肩をすくめたが、俺の心臓はドキンと大きな音を立てた。
​その日の夜。俺はいつもより少し身なりを整えてから、徒歩数分の距離にある冴美たちのマンションのドアを叩いた。
​「はーい、卓ちゃん? 入って入って!」
​エプロン姿の琉衣さんが、柔らかい笑顔で出迎えてくれる。40歳という年齢を感じさせない凛とした美しさと、包み込むような温かさ。その姿を見るだけで、俺の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
​「お邪魔します、琉衣さん」
「卓ちゃん、また背伸びた? しっかり食べないとダメよ」
​そう言って、琉衣さんは俺の肩にそっと手を置いた。その手があまりにも温かくて、俺は照れくささを隠すように目を逸らす。
​「俺もう17っすよ。子供扱いしないでください」
「ふふ、私にとってはいつまでも可愛い卓ちゃんだわ」
​クスッと笑う琉衣さん。……でも、彼女が背中を向けた一瞬、その瞳がわずかに揺れたのを俺は見逃さなかった。
​(——ダメよ、私。卓ちゃんは、冴美の友達で……大切な男の子なんだから)
​トントントン、とトントン包丁を動かす琉衣さんの胸の中には、誰にも言えない秘密の熱がくすぶっていた。卓のまっすぐな視線を受けるたび、跳ねてしまう心臓。自分が彼を「息子」としてではなく、一人の「男」として惹かれているという事実に、彼女は必死で鍵をかけていたのだ。
​「卓ー! テーブル運ぶの手伝いなさいよ!」
「自分でやれよ冴美!」
​リビングからの賑やかな声を聞きながら、琉衣さんは愛おしそうに目を細め、小さく息を吐いた。
​食卓を囲む穏やかな時間。だがその時、俺の頭の奥で、カチリと冷たい音が鳴った。
​(……また、来たか)
​脳裏に浮かぶのは、ここから遙か遠く、夜の山道。途切れかけた誰かの命の鼓動。
​「卓? どうしたの、箸止まってるけど」
琉衣さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
​「あ、いや……何でもないです。めちゃくちゃ美味いです、これ」
​俺は笑ってみせた。
愛しい人の前で普通の高校生を演じながら、俺の pocket の中で、静かに光のオーブが宿り始めていた。


「卓ちゃん、本当に大丈夫? なんか顔色、白くない?」
​琉衣さんが身を乗り出し、俺の額に手を伸ばそうとする。その手から漂う優しい石鹸の香りに心臓が跳ねそうになり、俺は慌てて首を振って後ずさった。
​「だ、大丈夫だって! ちょっと喉が渇いただけ。洗面所借りるね!」
​座敷を立ち上がり、逃げるように洗面所へ駆け込んで鍵をかける。
​掌を開くと、そこにはピンポン玉ほどの大きさの光のオーブが、脈打つように淡く明滅していた。いつもならもっと穏やかに輝くはずの光が、今はどこか切迫したように激しく揺れている。
​(……どこだ? 今回は、かなりヤバい……!)
​意識を集中させると、脳裏に断片的なイメージが流れ込んできた。
雨の降る深い夜の山道。横転した一車の軽トラック。潰れた運転席で、血を流しながら息を絶え絶えにしている老人の姿。場所は……ここから200キロ以上離れた、東北の山奥だ。
​「頼む、間に合ってくれ……!」
​俺は目を閉じ、掌のオーブに強く念を込めた。
『行け!』
​指先を離れた光は、洗面所の天井をすり抜け、夜空へと一直線に跳び去っていく。力が抜けて膝をつきそうになるのを、洗面台の縁を掴んで必死に耐えた。冷や汗が額を伝い落ちる。
​「……ふぅ……」
​荒い息を整えながら、鏡に映る自分の情けない顔を見つめる。
遠くの知らない誰かは、こうして光を送るだけで救えるのに。
目の前にいる、一番大切で、愛おしくて堪らない琉衣さんの心すら、俺は救うことも、触れることもできない。
​「卓ー? 大丈夫ー? お腹でも壊したのー?」
​扉の向こうから、冴美の能天気な声が聞こえた。
​「壊してねぇよ! 今出る!」
​顔を洗ってリビングに戻ると、琉衣さんが心配そうな、けれどどこか愛おしさを噛み締めるような、複雑な眼差しで俺を迎えた。
​「卓ちゃん、無理はダメよ? 何か困ったことがあったら、私に何でも言いなさいね」
​「……うん。ありがとう、琉衣さん」
​琉衣さんの言葉の裏にある、本当の温もり。
そして、俺が隠し続ける初恋と、夜空に飛ばした光の秘密。
​静かな食卓の裏側で、俺たちの止まっていた運命の歯車が、少しずつ、けれど確実に狂い始めていた。


食卓に戻ると、冴美はすっかり満腹になったのか、テレビのバラエティ番組を見ながらケラケラと笑っていた。
​「卓ちゃん、温かいお茶淹れたわよ」
​琉衣さんがトレイに乗せた湯呑みを置いてくれる。湯気が立ち上る中、ふと触れ合った指先。一瞬だけ通い合った体温に、胸が痛いほど締め付けられる。
​「……あ、ありがとうございます」
「うふふ、敬語なんていらないのに。なんだか寂しいわ」
​琉衣さんは可愛らしく首をかしげると、俺の隣にそっと腰掛けた。ほんの数十センチの距離。彼女の髪から漂う甘い香りと柔らかな雰囲気が、俺の脳内を痺れさせる。
​(近い……近すぎる)
​もし俺の手が伸ばせたら。この気持ちを言葉にできたら。
けれど、俺の「光」と同じだ。近すぎる存在には、俺の力も、俺の本音も、何ひとつ届かない。
​その時、リビングのテレビ画面が切り替わり、ニュース速報のテロップが流れた。
​『——本日午後8時頃、岩手県内の山道で軽トラックが滑落する事故がありました。警察と消防によりますと、発見当時、運転手の男性は心肺停止に近い状態でしたが、奇跡的に持ち直し、先ほど意識を取り戻したということです。医師は「まさに奇跡としか言いようがない」と——』
​画面に映し出される、夜の山道と横転したトラック。
冴美が「うわ、凄いね。命拾いしたんだ」とつぶやく。
​俺は静かに湯呑みに手を伸ばし、一口すすった。
(……よかった。間に合ったんだな)
​安堵と同時に、どっと押し寄せる疲労感。自分の命を少し削って分け与えたかのような、独特の倦怠感が身体を包む。
​そんな俺の横顔を、琉衣さんは静かに見つめていた。
​(……まただわ)
​琉衣さんの胸中で、小さな疑惑が確信へと変わりつつあった。
卓が洗面所に立った直後、いつも彼はどこか遠くを見つめるような、切なく疲れた表情をする。そして決まってその直後、遠く離れた場所で「奇跡の救出劇」がニュースになるのだ。幼い頃から、何度もあった。
​(卓ちゃん……あなた、一体何を選んで、何を背負っているの……?)
​そしてもうひとつ。
自分の差し出したお茶を受け取る時、微かに震えていた卓の指先。俺に向けられる、あまりにもまっすぐで、切なすぎる視線。
​(気づかないフリをするのは、もう限度かもしれない……)
​琉衣さんは胸元をキュッと握りしめ、溢れ出しそうな愛おしさを必死に抑え込んでいた。
​「ねえ、卓ちゃん」
「え……? はい」
​「今週末、久しぶりに買い物付き合ってくれないかしら? 冴美は部活で忙しいみたいだし……二人で」
​「えっ!?」
​不意打ちの誘いに、俺の思考は完全に停止した。
テレビの爆笑効果音だけが、虚しくリビングに響いていた。


「……ふたりで、ですか?」
​裏返りそうになる声をなんとか押し殺し、俺は琉衣さんを見つめ返した。
​隣でテレビを見ていた冴美が、「あ、いいじゃん卓」と気のない声で口を挟む。
​「土曜日は私、1日遠征で練馬まで行かなきゃいけないのよ。お母さんの重い荷物持ち、あんたがやってよ」
「お前なぁ……人の都合も聞かずに……」
「あら、卓ちゃん、迷惑だったかしら?」
​琉衣さんが少しだけ首をかしげ、小悪魔のように儚げな笑みを浮かべる。そんな顔をされたら、断れるわけがない。
​「……行きます。全然、迷惑じゃないです」
​「よかった! じゃあ決定ね。楽しみにしてるわ」
​嬉しそうに微笑む琉衣さんの顔を見て、俺の心臓は破裂しそうなくらい早鐘を打っていた。二人きりの買い物。デート……と言ったら怒られるかもしれないが、俺にとっては夢のような時間だ。
​その夜、自分の家へ戻った俺は、ベッドに倒れ込んで天井を見上げていた。
​掌をかざすと、先ほど東北へ飛ばした光の残滓が、ほのかに温かく残っている。
​「100キロ以上離れた誰かの命は救えるのに……自分のこの気持ちひとつ、伝えることもできないなんてな」
​遠くの奇跡を起こす力なんてなくてもいい。ただ目の前の、一番愛おしい人に「好きだ」と言える勇気が欲しかった。
​一方その頃。
隣のマンションのベランダで、琉衣さんは夜風に吹かれながら、卓の家のある方向を見つめていた。
​「二人きりなんて、意地悪言っちゃったかな……」
​夜風に揺れる髪を押さえながら、琉衣さんは自嘲気味に呟く。
卓が自分に向ける、あのまっすぐで純粋な視線。隠しているつもりだろうが、すべてお見通しだった。そして、そんな彼に触れられるたび、自分の胸が高鳴ってしまうことも。
​「私は大人で……冴美の母親なのに。卓ちゃん、そんな目で見つめられたら、私だって耐えられなくなっちゃうよ……」
​静かな夜の闇の中、琉衣さんの呟きは誰にも届くことなく溶けていった。
​互いにひた隠しにする、甘く切ない秘密の想い。
そして週末、二人だけの「デート」の日がやってくる。


土曜日。雲ひとつない青空が広がる新宿の街で、俺は約束の30分前から駅前の待ち合わせ場所に立っていた。
​部活へ向かった冴美の姿はなく、本当に琉衣さんと二人きり。ソワソワと足踏みを繰り返す俺の視界に、人ごみを抜けて歩いてくる女性の姿が映る。
​「卓ちゃん、お待たせ! 早かったのね」
​普段の家庭的なエプロン姿とは違う、上品な淡いフレンチスリーブのワンピースを纏った琉衣さん。軽く巻いた髪が風に揺れ、道行く男性たちが思わず振り返るほどの美しさに、俺は言葉を失った。
​「……卓ちゃん?」
「あ、いや! 俺も今来たところです! ……すごく、似合ってます」
​素直な本音が漏れると、琉衣さんは一瞬驚いたように目を丸くし、それから頬をほののかに桃色に染めてクスリと笑った。
​「ありがとう。……なんだか、特別な日みたいで緊張しちゃうわね」
​その一言に、俺の胸は激しく跳ね上がる。
​ショッピングモールを巡り、琉衣さんの買い物に付き合う時間は、俺にとって眩しすぎるほど幸せなものだった。重い荷物を持つ俺に「ごめんね、頼もしいわ」と微笑み、服を選ぶ時に「卓ちゃんはどっちが好きかしら?」と意見を求めてくる。
​まるで本当の恋人同士のような距離感に、俺は必死で「ただの弟分」「ただの居候」を演じ続けようと心の中で叫んでいた。
​だが、琉衣さんもまた、隣を歩く俺の横顔を盗み見ながら、胸の奥で秘めた感情と戦っていた。
​(大きくなったなぁ……昔は私の服の裾を掴んでついてきたのに。こんなに背が高くなって、頼もしくなって……)
​並んで歩く距離が少し縮まるたび、肩が触れそうになるたび、琉衣さんの胸の中にも甘い熱が広がっていく。冴美の母親として線を引かなければいけないのに、目の前の「男」として成長した卓に、心が揺れてしまう。
​ふと立ち寄ったカフェで、琉衣さんが向かい側の席から俺をまっすぐに見つめた。
​「ねえ、卓ちゃん」
「はい?」
​「卓ちゃんは……私とこうして出かけるの、嫌じゃない?」
​「嫌なわけないじゃないですか! むしろ……その、すごく嬉しいです」
​思わず強く言い切ってしまい、俺は慌ててコーヒーカップに口を付けた。琉衣さんはそんな俺を優しく、けれどどこか切なさを秘めた目で見つめている。
​「私ね、卓ちゃんがいてくれて……本当によかったって思ってるの。冴美のことも、私のことも、いつも助けてくれて」
​「俺なんて、何もできてないですよ。いつもご飯作ってもらって、世話になってるだけで……」
​「ううん。卓ちゃんは、そこにいてくれるだけでいいの」
​琉衣さんの手が、テーブルを挟んで俺の手元へとそっと伸ばされる。指先が触れ合う直前——。
​『ドクン!』
​突如として、俺の頭の中に冷たい衝撃が走った。
​脳裏に激しく拒絶するように浮かび上がる映像。
——炎。黒煙。どこかの古いビル。閉じ込められた幼い子供。
距離は……およそ120キロ。山梨の山あいに近い町だ。
​(くそっ……! なんで今……!)
​冷や汗が噴き出し、俺の表情が強張る。ポケットの中で、激しく光のオーブが熱を帯び始めるのが分かった。
​「卓ちゃん……? 顔色が……」
​琉衣さんが異変に気づき、心配そうに俺の手を包み込む。その温もりがあまりにも愛おしくて、けれど救わなければいけない命がそこにある。
​「琉衣さん……すみません、ちょっとトイレに……!」
​俺は握られた手を振り払うような形になってしまったことに胸を痛めながら、カフェの奥へと走り出した。
​残された琉衣さんは、離された自分の掌をぽつんと見つめ、悲しそうに眉をひそめた。
​(やっぱり……何かを背負っているのね、卓ちゃん。私には話してくれない『秘密』を……)
​洗面所の個室に飛び込み、俺は激しく明滅する光を手に掲げた。
​「頼む……! 早く消えてくれ、俺の、一番大切な人のところへ戻らせてくれ……!」
​祈るように叫びながら、俺は光を山梨の空へと解き放った。


個室の小さな窓を通り抜け、眩い光が北西の空へと消えていく。
​指先から急速に体力が奪われ、俺は壁に肩を預けて荒い息を吐いた。膝がガクガクと震える。だが、休んでいる暇はない。外には、俺の突然の不自然な行動に戸惑っている琉衣さんが待っているのだ。
​「……くそっ、しっかりしろ俺」
​冷水で顔を洗い、無理やり鏡の前で笑顔を作ってから、俺は琉衣さんの待つテーブルへと戻った。
​「琉衣さん、すみません! 急にお腹が痛くなっちゃって……」
​「卓ちゃん……」
​琉衣さんは、手付かずのまま冷めてしまった紅茶のカップを前に、じっと俺を見つめていた。その瞳には、心配と、それ以上に深くて切ない色が混ざり合っている。
​「本当に、ただのお腹の痛みなの?」
​「え……? はい、冷たいもの急に飲んだからかなって」
​下手くそな嘘をつく俺に、琉衣さんは静かに首を振った。そして、テーブルの上に置かれた俺の右手へ、そっと自分の手を重ねた。
​指先が微かに震えている。冷や汗で冷たくなった俺の手を、琉衣さんの温もりが優しく包み込んでいく。
​「卓ちゃん。私ね、バカじゃないのよ」
​「琉衣、さん……?」
​「昔からそう。あなたが遠くを見つめて、すごく苦しそうな顔をした後……必ず遠くで『奇跡』が起きる。今日もそうでしょう? 洗面所に行く前のあなたの目、何か遠くの恐ろしいものを見ているようだった」
​言葉が出なかった。まさか、俺がひた隠しにしてきた「ナニカ」の存在を、琉衣さんが察していたなんて。
​「私には言えないことなんだよね。……冴美にも、誰にも言えない秘密なんだよね」
​琉衣さんの声が、切なく濡れていく。
​「私、悔しいの。卓ちゃんがそんなに恐ろしい何かと戦って、一人でボロボロになっているのに……私はただのご飯を作るオバサンで、あなたの隣にいてあげられない。背負っているものを、何ひとつ分かち合ってあげられないのが……たまらなく悲しいのよ」
​「違います! オバサンなんて……そんなんじゃない!」
​思わず大声を出してしまい、カフェの周囲の客が一瞬こちらを振り返る。だが、俺はもう周りの目なんて気にしていられなかった。
​「琉衣さんは、俺にとって一番大切な人です! 頼りない俺に温かいご飯を作ってくれて、居場所をくれて……俺がどれだけ琉衣さんに救われてるか……!」
​重なる手と手。互いの体温が交差し、胸の奥に閉じ込めていた熱が溢れ出しそうになる。
​琉衣さんの瞳から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
​「……ずるいわ、卓ちゃん。そんな風にまっすぐ見つめられたら……私、もう『お母さん代わり』のフリなんて、続けられなくなっちゃうじゃない……」
​ぽつりと漏らされたその言葉の意味に、俺の息が止まる。
​互いに「言ってはいけない」と鍵をかけていた一線が、今、静かに、けれど決定的に崩れ去ろうとしていた。


「……琉衣、さん……?」
​胸の奥が激しく鳴り響き、カフェの喧騒も、周囲の人の視線もすべてが遠のいていく。
​「お母さん代わり」なんて言葉の裏にあった、琉衣さんの本当の熱。俺と同じように、バレないように必死で押し殺していた想いが、溢れ出た涙とともに零れ落ちていた。
​「ごめんね、困らせるようなこと言って……。私、どうかしてるわね」
​琉衣さんは慌てて目を伏せ、俺の手から自分の手を引き抜こうとする。愛おしい人のその指先が離れていってしまうのが耐えられなくて、俺は無意識にその手を強く握り返していた。
​「逃げないでください」
​「卓ちゃん……」
​「俺、子供扱いされるのがずっと嫌でした。琉衣さんの前で『隣の家の男の子』のフリをするのも、もう限界だったんです。……俺がずっと昔から、誰よりも好きなのは、琉衣さんです」
​言っちまった。ずっと心に鍵をかけて、死ぬまで墓場に持っていくはずだった言葉。
​琉衣さんの丸く見開かれた瞳から、ボロボロと大きな涙粒が落ちる。彼女は唇を噛み締め、握り返された俺の手を、同じくらいの強さでぎゅっと握り返してきた。
​「ダメよ……そんなの、絶対にダメなのに……」
​「ダメじゃないです。俺にとって琉衣さんは、冴美の母親ってだけじゃない。一人の……かけがえのない女性なんです」
​「卓ちゃん……私ね、あなたが大きくなるたびに恐ろしかったの。どんどん素敵な男の人になっていって、私に向けられる視線がただの近所のお姉さんに対するものじゃないって気づいた時……嬉しくて、愛おしくて、どうしようもなくなっちゃったの」
​静かなカフェの席で、二人の手が強く結ばれる。
100キロ以上離れた知らない誰かの命は光で救えても、一番近くにいる愛しい人の心を救うのは、俺自身の生身の手と、泥臭い本音の言葉だけだった。
​「私……冴美の母親なのよ? 卓ちゃんの倍近く生きてるのよ……?」
​「関係ないです。俺が琉衣さんを守ります。……光の力なんて使えなくたって、俺の全部で」
​泣き笑いのような、世界で一番綺麗な笑顔を浮べながら、琉衣さんは小さく頷いた。
​「うん……ありがとう、卓ちゃん」
​長年、二人を縛りつけていた目に見えない壁が溶け去り、互いの想いが重なり合った瞬間だった。
​だがその時、俺のポケットの中で、今まで感じたことのない異様な『冷気』が走った。
​光のオーブの温かさとは真逆の、不気味で禍々しい感覚。
脳裏に直接、嫌なノイズとともに誰かの声が響き渡る。
​『——見つけたぞ。遠くの命を奪う『光の主』よ……』
​(……何だ……これ……!?)
​俺は息を呑み、握りしめた琉衣さんの手を思わず強く締め直した。
​俺がこれまで遠くの命を救う陰で、何かが蠢いていた。
そして、互いの想いを通わせた俺と琉衣さんの日常に、暗く不穏な影が忍び寄ろうとしていた。


「卓ちゃん……? どうしたの?」
​突然顔色を変え、自分の手を強く握りしめてきた俺に、琉衣さんが不安そうに顔を覗き込む。
​「あ……いや、すみません。ちょっと眩暈がしただけで……」
​俺は必死に動揺を押し殺し、作り笑いを浮かべた。だが、ポケットの中で冷たく脈打つ異様な感覚は消えない。
​(光の主……? 命を『奪う』……?)
​俺はずっと、遠くの命を「救って」きたはずだった。なのに、脳裏に直接届いたあの不気味な声は、まるで俺が誰かの命を奪っているとでも言いたげだった。
​「顔色が本当に悪いわ。今日はもう帰りましょう? 荷物も買えたし……ね?」
​琉衣さんは愛おしそうに俺の頬にそっと手を添えると、心配そうに目を細めた。その温かい手に触れている間だけ、脳内の不快なノイズが少し和らぐ。
​「……はい。そうですね」
​新宿からの帰り道、電車の中で俺たちは並んで座った。
吊り革を掴むふりをして、そっと重ねられた琉衣さんの手。互いの指を絡め合わせると、言葉に出さなくても胸の奥が熱くなる。両想いになれた喜びと、芽生えたばかりの愛おしさ。けれどその半面、俺の胸には暗い影が落とされていた。
​夕方、マンションの前まで琉衣さんを送っていく。
​「卓ちゃん、今日は……ありがとう。すごく楽しかったわ」
​「俺もです。……琉衣さん」
​「なぁに?」
​「俺、何があっても琉衣さんのこと……絶対守りますから」
​不意に溢れ出た言葉に、琉衣さんは一瞬目を見開き、それから愛おしそうに微笑んだ。
​「ふふ、頼りにしてるわ、私のヒーローさん」
​少し照れくさそうに手を振りながら、マンションのエントランスへと消えていく琉衣さん。その背中を見送り、俺は一人、静かな一軒家へと戻った。
​自室に入り、暗闇の中で自分の掌を見つめる。
力を込めると、そこにはいつもの淡い光のオーブが浮かび上がった。だが——その光の輪郭に、ほんのわずかだが漆黒の「モヤ」のようなものが纏わりついている。
​「なんなんだよ……これ……」
​その時、静まり返った部屋の固定電話が、甲高い音で鳴り響いた。
​ビクッと肩を揺らし、俺は受話器を取る。
​『——やあ、飯尾卓くん』
​受話器の向こうから聞こえたのは、先ほど脳内に響いたものと同じ、金属が擦れるような不気味な声だった。
​『君が遠くの誰かを『光』で救うたび、その歪みがどこへ行くか……考えたことはあるかい?』
​「お前……誰だ……!?」
​『君が救った命の代償は、君の『一番近くにいる人間』から削られている。……君の大切な、長谷川琉衣さんの命からね』
​「……は……?」
​頭を殴られたような衝撃が走り、俺の手から受話器が滑り落ちそうになった。
​『信じられないなら、確かめてごらん。彼女の体調が、ここ最近どうなっているか……』
​ブツッ、と電話が切れる。
受話器を握りしめたまま、俺は激しい恐怖に全身を震わせていた。
​身近な人間を救えないのではない。
俺が遠くの誰かを救うたびに、俺の初恋の人の命を……俺自身が削っていたというのか。
​闇の中に浮かぶ光のオーブが、嘲笑うかのように不気味に揺れていた。


「嘘だ……そんなの、嘘だ……!」
​落ちた受話器から流れるツーツーという無機質な不通音を背景に、俺はその場に崩れ落ちた。
​遠くの見知らぬ命を救ってきた俺の「光」。それが、あろうことか俺の一番大切な琉衣さんの命を削っていたなんて。
​『信じられないなら、確かめてごらん』
​男の嘲笑うような声が脳裏でリフレインする。
​俺は半狂乱のまま家を飛び出し、夜の住宅街をなりふり構わず走った。息が切れ、足がもつれても止まらない。向かうのは、目と鼻の先にある冴美と琉衣さんのマンションだ。
​エレベーターを待つ時間すら惜しく、階段を駆け上がる。息を荒らげながらドアノブに手をかけると、鍵は開いていた。
​「琉衣さん……! 琉衣さん!!」
​「卓……? どうしたの、そんな大声出して……」
​リビングから出てきたのは、パジャマ姿の冴美だった。俺の尋常ではない様子に、冴美は目を丸くしている。
​「冴美! 琉衣さんは!? 琉衣さんはどこだ!?」
​「お母さんなら、さっきお風呂から上がって……急に倒れて、今部屋で休んでるけど……」
​「っ……!?」
​冴美の言葉が終わる前に、俺は廊下を走り抜け、琉衣さんの部屋のドアを押し開けた。
​ベッドの上で、琉衣さんが浅い息を繰り返しながら横たわっていた。いつも暖かく俺を包み込んでくれるあの肌が、病人のように青白く透き通っている。
​「琉衣さん……!」
​ベッドの脇に膝をつき、俺はその細い手を握りしめた。冷たい。昼間、カフェで愛おしく重ね合わせたあの温もりが、まるで嘘のように失われていた。
​「卓……ちゃん……?」
​かろうじて目を開けた琉衣さんが、弱々しく微笑む。
​「ごめんね……なんだか急に、体に力が入らなくなっちゃって……。驚かせちゃったわね……」
​「いつから……いつから体調悪かったんですか!?」
​「え……? ううん、今日買い物から帰ってきてから急に……。でも大丈夫よ、ただの疲れだから……」
​言葉を詰まらせる琉衣さんの顔を見ながら、俺の血の気が引いていく。
今日。俺がカフェの洗面所で、山梨の火災現場へ光を飛ばした、まさにその直後だ。
​(俺だ……。俺が、琉衣さんをこんな目に……!)
​罪悪感と恐怖で、視界が歪む。
100キロ以上離れた誰かの命を繋ぎ止めるたび、俺は琉衣さんの命の灯火を奪っていた。身近な人間を救えなかったのではない。この能力の「代償」として、俺の最も近くにいる大切な人間の命が差し出されていたのだ。
​「卓……泣かないで……私、大丈夫だから……」
​琉衣さんが弱々しく手を伸ばし、俺の頬の涙を指先で拭う。その優しさが、今の俺にはナイフのように胸を刺した。
​その時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
​通知画面に表示されたのは、差出人不明のメッセージ。
​『分かったかい? 君がヒーロー気取りで遠くの命を救うほど、彼女は死に近づく。……さあ、飯尾卓くん。次に光を飛ばす時、君はどちらの命を選ぶ?』
​嘲笑うような文字を凝視しながら、俺は琉衣さんの手を強く、強く握りしめた。
​愛する人を殺す光か。見知らぬ誰かを殺す見捨てか。
残酷すぎる選択が、俺の前に突きつけられていた。


「もう、使わない……絶対に」
​俺はベッド脇で正座し、琉衣さんの冷たい手を両手で包み込んだ。
​覚悟を決めた瞬間、胸の奥を重い罪悪感が押し潰しそうになる。だが、自分に何度も言い聞かせた。俺が遠くの誰かを救ったって、世間にとっては『感動の奇跡のニュース』が一つ増えるだけだ。でも、琉衣さんがいなくなったら……俺の世界はすべて終わりなんだ。見ず知らずの誰かより、俺は自分の愛する人の命をとる。
​俺の決意に応えるように、ポケットの中で冷たく脈打っていた不気味な気配が、スーッと引いていくのが分かった。琉衣さんの呼吸が少しずつ落ち着き、頬にほんのりと朱色が戻ってくる。
​「……卓ちゃん……?」
​「琉衣さん……顔色、良くなってきた」
​「ええ……なんだか、急に体が軽くなったわ。不思議……」
​琉衣さんは体を起こすと、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。俺の目が真っ赤なのを見て、胸を痛めたように愛おしそうに俺の頬に触れる。
​「ごめんね、卓ちゃん。怖がらせちゃったわね」
​「いいんです……本当、よかった……っ」
​俺は琉衣さんの細い肩に顔をうずめた。ふわっと香る優しい匂い。この温もりを奪うものなら、神様だろうが自分の能力だろうが、俺はすべて捨てる。
​「卓ちゃん……」
​琉衣さんの腕が俺の背中に回され、優しく抱きしめ返される。
娘の冴美の目を盗むような、密やかで切ない抱擁。二人の鼓動が重なり合い、互いの本気度が静かに部屋を満たしていく。
​「私、卓ちゃんのためなら何だって耐えられるわ。だから……もう悲しい顔しないで」
​「俺もです。俺が、琉衣さんを絶対に守ります」
​力を使わないと決めた。これでいい。これで俺たちの平和で、少し甘くて切ない日常に戻れるはずだった。
​だが——悪夢は、そんなに簡単に俺たちを解放してはくれなかった。
​翌日の夜。
冴美と琉衣さんと三人で、久しぶりに賑やかな夕食を囲んでいた時のことだ。
​テレビ画面が切り替わり、アナウンサーが緊張した面持ちで原稿を読み上げ始めた。
​『——速報です。本日午後7時過ぎ、山形県内の国道で大型バスが崖下に転落する事故がありました。乗客乗員30名以上が取り残されており、現場は激しい豪雨のため救助航行が難航。絶望的な状況と見られています——』
​事故現場の映像が映し出された瞬間。
​俺の脳裏に、かつてないほど巨大で激しい『拒絶の映像』が直接流れ込んできた。
暗闇の中、押しつぶされたバスの中で泣き叫ぶ子どもたち。血を流して助けを求める何十人もの命の叫び。
​そして、俺の掌が——俺の意思に反して、勝手に発熱し始めた。
​(な……んだ……これ……!?)
​使わないと決めたはずなのに。
光のオーブが、まるで救いを求める人々の悲鳴に引き寄せられるかのように、俺の意志を無視して、掌の上で荒々しく膨らみ始めていた。


「な……なんだよ、これ……っ!?」
​俺は咄嗟に右手をポケットへ突っ込み、拳を強く握りしめた。
​だが、発熱は収まらない。それどころか、いつもなら俺の意思で生み出していたはずの光が、今回は俺の肉体を媒介にして勝手に溢れ出そうとしている。
​『ドクン! ドクン!』と、手の中のオーブがまるで意思を持った心臓のように脈打つ。
​(使わないって決めたんだ! 出るな……出て行くな!!)
​必死で抑え込もうと歯を食いしばるが、脳裏にはバスに取り残された乗客たちの「死の恐怖」と「助かりたい」という切烈な感情が、濁流のように流れ込んでくる。30人以上の集団的な『絶望の波』。それが引き金となり、俺の意志など容易く踏みみじって、能力を強制的に暴走させているのだ。
​「卓ちゃん……? どうしたの、汗がすごいわ……」
​向かいに座る琉衣さんが、異変に気づいて目を見開く。
その瞬間——琉衣さんの顔から、急速に血の気が引いていった。
​「う……っ……!」
​「お母さん!?」
​冴美が悲鳴を上げる。琉衣さんは胸を強く押さえ、喘ぐように呼吸を乱しながら、その場に倒れ込んだ。
​(くそっ……! 抑え込めない……っ!!)
​俺の右手が熱を帯びるのと完全に同期して、琉衣さんの命が削られていく。
この「光の力」は、俺が自発的に使う奇跡などではなかった。遠くの悲鳴に勝手に反応し、近くにある大切な人間の命を燃料にして燃え上がる、欠陥だらけの残酷な呪いだったのだ。
​『——気付いたかい?』
​脳裏に、あの金属的な不気味な声が嘲笑うように響く。
​『君が救いたいかどうかなど、関係ない。強い絶望の磁場が発生すれば、君の体は勝手に命の変換器となる。彼女を助けたければ、君自身の『存在』そのものを光から引き離すしかないのさ……』
​「消えろ……消えろ!!」
​俺は叫びながら、左手で己の右腕を締め上げた。
目の前で苦しむ琉衣さん。救いを求める30人の命。
​俺の意志を無視して肥大化していく光が、部屋の闇を不気味に照らし始めていた。
「いい加減、姿を現せ!ベラベラベラベラ喋りやがって!」


『ふはは……ハッキリと喋れる相手に飢えていたのかな? いいだろう、そう熱くなるなよ』
​脳裏に直接響いていた嘲笑交じりの声が、不意に部屋の「隅」から漏れ聞こえた。
​ジジジ……と、テレビのノイズが酷くなり、室内の一角の空気が歪む。
そこに現れたのは、黒いフード付きのロングコートを纏った一人の男だった。顔は影で覆われ見えないが、口元だけが不自然なほど吊り上がっている。冴美と琉衣さんにはその姿も見えていないのか、倒れた琉衣さんに冴美がすがりついているだけだ。
​『初めまして、飯尾卓くん。……私は君のような『適合者』を監視し、理(ことわり)を管理する者だ。名前などどうでもいい』
​男は胸の前で細い指を組み、俺の手の中で暴走する光を冷ややかな目で見下ろした。
​「ふざけるな……! なんなんだこの力は! 琉衣さんの命を吸うのを今すぐ止めろ!」
​『無理だね。君の持つ光のオーブは、本来は『等価交換』の理で動いている。100キロ以上離れた未知の命を救うには、それ相応の密度の濃い『生命エネルギー』が必要だ。そしてその犠牲には、君が最も愛し、心的に最も近い人間の命が自動的に選ばれる仕様になっている』
​男は楽しそうに首を傾げた。
​『なんとか出来るのか、だったね? 答えは『イエス』であり『ノー』だ。この現象を止める方法は三つしかない』
​男が黒い手袋をはめた指を立てる。
​『一つ、君が死ぬこと。宿主が消えれば光も消える。
二つ、あそこに倒れている長谷川琉衣が死に絶えること。犠牲者がいなくなれば、次に近い娘の冴美にターゲットが移るだけだがね』
​「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!!」
​俺が胸ぐらを掴もうと跳びかかると、男の体は幻影のようにすり抜け、俺は畳の上に激しく倒れ込んだ。
​『……そして、三つ目だ』
​男の吊り上がった口元が、さらに深く歪む。
​『君と彼女の『絆』を完全に断ち切ることだ。物理的にも、精神的にもね』
​「絆を……断つ……?」
​『そう。君が彼女を『愛おしい』と思えば思うほど、二人の魂のパイプは太くなり、吸い上げられる命の量も跳ね上がる。君が彼女を心底拒絶し、二度と会わず、二度と愛さないと魂に刻み込めば……パイプは切れ、彼女に被害は及ばなくなる』
​男は嘲笑うように俺を見下ろし、床で苦しそうに息を吐く琉衣さんを指さした。
​『さあ、選ぶといい。遠くの30人の命を見捨て、彼女を愛し続けて一緒に死ぬか。それとも……彼女を冷酷に突き放し、彼女の命だけを救って一生他人として生きるか。タイムリミットは、彼女の息が止まるまでの数分間だ』
​「琉衣さん……っ……!」
​荒い息をつきながら、俺は青ざめた顔で倒れる琉衣さんを見つめた。
せっかく想いが通じ合ったばかりの、俺のたった一つの宝物。それを、俺自身の手で「嫌いになった」と踏みにじらなければいけないというのか。
「本当に彼女は助かるんだな?もし助からなかったらどんな手を使ってもお前を消してやるからな!」


『威勢がいいねぇ……いい度胸だ、飯尾卓くん』
​男は心底楽しそうに喉を鳴らし、深く吊り上がった口元を歪めた。
​『ああ、約束しよう。君が魂の底から彼女を拒絶し、二人のパイプを完全に断ち切れば、彼女の命がこれ以上削られることはない。今すぐに体調は元通りだ。……もっとも、私を消すなどという青臭い脅しが通じると思っているなら、おめでたい話だがね』
​男の姿が、ジジジ……とテレビのノイズに紛れるように薄くなっていく。
​『さあ、時間がないぞ。彼女の命の灯火が消える前に、その口で絶望を叩きつけてやるといい』
​フッと男の気配が消え、静まり返った部屋に、琉衣さんの荒い呼吸音だけが虚しく響いた。
​「ハァ……ッ、ハァ……っ、卓……ちゃん……」
​床に倒れたまま、琉衣さんが血の気の失せた手で、必死に俺の裾を掴もうと手を伸ばしてくる。その瞳には、苦しみの中でも俺を心配し、愛おしむ色が宿っていた。
​隣で冴美が「お母さん! しっかりして! 卓、救急車! 早く救急車呼んでよ!!」と泣き叫んでいる。
​(……ごめんな、琉衣さん)
​俺は歯が折れるほど強く噛み締め、両こぶしを握りしめた。
命を救う光なんて要らない。お前を消してやるという怒りすら、今はどうでもよかった。ただ、この人を生かすためなら、俺の心なんていくらでも悪魔に売ってやる。
​俺は琉衣さんの手を、冷酷に振り払った。
​「……触るなよ」
​「え……? 卓……ちゃん……?」
​琉衣さんの目が見開かれる。冴美も驚愕で声を詰まらせた。
​俺は胸の奥が引き裂かれるような激痛を押し殺し、人生で一番冷たい、嫌悪に満ちた目で見下ろした。
​「重ぇんだよ、あんた。オバサンの分際で気安くベタベタ触ってんじゃねぇよ」
​「……っ!?」
​「気持ち悪いんだよ! 母親面するのも、女気取るのも! 全部吐き気がするんだよ!! 二度と俺の前に面見せるな!!」
​叫んだ瞬間、胸の奥で大切な何かが音を立てて木っ端微塵に砕け散った。
​それと同時に、俺の掌で暴走していた激しい熱が、嘘のようにスッと消え去った。
同時に、琉衣さんの荒かった呼吸が落ち着き、青白かった肌に急速に血色が戻っていく。男の言った通り、絆のパイプが切れ、命の吸い上げが止まったのだ。
​助かった。琉衣さんは、助かったんだ。
​「卓……あんた……何言って……」
​立ち上がった琉衣さんの瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。それは先日の愛おしさの涙ではなく、心底傷つき、絶望した人間の涙だった。
​俺は何も言わず、背を向けて二人の一軒家を飛び出した。
​夜の冷たい風が、涙で濡れた頬を刺すように叩く。
これでいい。琉衣さんが生きていてくれれば、俺が世界で一番嫌われたって構わない。
​掌を見つめると、そこにはもう、何の光も宿っていなかった。
「お前に感謝なんか死んでもしないからな。」


​暗闇の路地裏に、あいつの嘲笑うような声が木々に混ざって響く。姿は見えない。だが、闇の向こうで愉悦に浸っている空気だけが肌に刺さる。
​『感謝なんて頼んでもいないさ。君は愛する女の命を救うために、その手で彼女の心を未来永劫、引き裂いた。最高の選択だよ、飯尾卓くん』
​「失せろ……」
​『言われなくても行くよ。……だが覚えておくといい。人間は愚かだ。断ち切ったはずの絆を、もう一度繋ぎ直そうと足掻く。もし君が寂しさに負けて彼女に真実を明かしたり、再びその愛を受け入れようとした時……その時は、今度こそ命のパイプが破裂して、彼女は一瞬で灰になる』
​気配が完全に消え、街にはただ、遠くを走る車のエンジン音と夜風の音だけが残された。
​俺は一人、冷たいアスファルトの上に崩れ落ちた。
​「……あぁぁぁぁぁっっ!!!」
​夜の闇に向かって、俺は声が潰れるまで叫んだ。
溢れて止まらない涙が、地面を黒く濡らしていく。
​(琉衣さん……琉衣さん……っ)
​脳裏に焼き付いて離れない。俺に冷酷に突き放され、信じられないものを見るような目で涙をこぼしていた琉衣さんの顔が。俺を信じて、愛してくれた人を、俺自身の言葉で地獄に突き落とした。
​もう、あの優しい朝の味噌汁を飲むこともできない。
「卓ちゃん」と柔らかく名前を呼ばれることもない。
隣を歩いて、内緒の恋に胸を躍らせる未来も、すべて俺が踏みつぶした。
​ふと空を見上げると、山形県の事故現場へ飛んでいったはずの『俺の光』が、最後の一筋となって夜空の雲の隙間に消えていくのが見えた。
​遠くの知らない誰かの命は、きっと救われたのだろう。
だが、その代償に俺が失ったものは、俺の世界のすべてだった。
​誰もいない暗闇の中、俺はただ一人、二度と戻らない温もりを思って震えていた。


(ふっ、と自嘲気味に息を吐いて)
​……ほんと、笑うしかないよな。
​あんなに当たり前で、あんなに温かかった「日常」は、もう二度と戻ってこない。
​毎朝、冴美が「遅刻するわよ!」って鍵を開けて入ってくることも。
琉衣さんが「卓ちゃん、野菜も食べなきゃダメよ」って、優しく微笑んでご飯を持たせてくれることも。
そして、二人きりの時にそっと手が触れ合って、互いに言葉にできない愛おしさに胸を躍らせることも……全部、俺自身の手で壊しちゃったんだから。
​でもさ。
​あの時、あの冷たい廊下で、命が消えかけていた琉衣さんの頬に血色が戻った瞬間を、俺は忘れない。
琉衣さんが生きている。これからも冴美と一緒に、泣いたり笑ったりしながら、この街のどこかで生きていってくれる。
​それだけで、俺の「選択」は間違いじゃなかったと思いたい。
​俺の心がどれだけボロボロになっても、琉衣さんに「最低のクソガキ」って思われたままでも、あいつが生きていてくれるなら……俺はこの消えない地獄を、一人で背負って生きていくよ。
​……なぁ、俺の選んだ道、これで良かったんだよな?


そうだな……言い訳ひとつできないのが、一番きついよな。「本当は助けるためだったんだ」って抱きしめて伝えられたらどんなに楽か。でも、それを言った瞬間に彼女の命が消えてしまうなら、一生「最低の奴」として嫌われたまま離れるしかないんだ。
​遠くへ引っ越す、か。
文字通り、彼女たちの視界からも、この街からも消える。それがきっと、今の卓にできる唯一で最大の「愛し方」なのかもしれない。
​遠く離れた知らない街で一人、琉衣さんが元気に暮らしている空を見上げながら生きていく。
​……本当、切なすぎるよ。でも、卓。お前が命をかけて守った琉衣さんの命だ。お前自身も、絶対に投げ出さずに生きていけよ。


数日後。俺は引っ越しの準備をすべて一人で終わらせた。
​両親の離婚後、実質的に俺のものになっていたこの古い一軒家を売り払い、手元に残ったわずかな資金。目的地は、都心から遥か遠く離れた北の果て——北海道の小さな港町だ。これなら「100キロ」どころか、物理的にも彼女たちの生活圏から完全に姿を消すことができる。
​学校には退学届を提出した。理由を尋ねる担任の言葉も、どこか遠くの出来事のようにしか聞こえなかった。
​出発の朝。雨が静かに街を濡らしていた。
​俺は大きなボストンバッグひとつを肩にかけ、長年過ごした家屋の鍵を閉めた。
通りに出て、最後にもう一度だけ、すぐ斜め向かいにあるマンションを見上げる。
​(……琉衣さん。冴美)
​その時、マンションのエントランスの自動ドアが開き、人影が現れた。
傘を差した冴美だった。俺の姿と、その肩にある大きな荷物に気づいた冴美が、息を呑んで足を止める。
​「……卓? あんた……その荷物、何よ」
​「……」
​「どこ行くのよ!? 学校も急に来なくなって……お母さんにあんな酷いこと言っておいて、黙って逃げるつもり!?」
​冴美が雨の中を走り寄ってくる。その瞳には怒りと、困惑と、そして幼なじみを失う恐怖が入り混じっていた。
​「……探すな」
​俺は立ち止めず、前だけを見据えて歩き出した。
​「待ちなさいよバカ卓!! お母さん、あんたにあんなこと言われてから……ずっと泣いてるんだよ!? ご飯も食べないで、自分の何が悪かったんだろうって……ずっと自分を責めてるんだよ!!」
​背中に突き刺さる冴美の叫び。
胸が引き裂かれ、血を流すような激痛が走る。琉衣さんが自分を責めている。俺を庇って、傷ついて、泣いている。駆け寄って「琉衣さんは悪くない! 俺がバカだったんだ!」と抱きしめてやりたい。
​(——ダメだ。言えば、彼女が死ぬ)
​俺は歯が折れるほど強く噛み締め、溢れそうになる涙を必死に堪えて、足を止めなかった。
​「もう関係ねぇよ。二度と俺に関わるな」
​吐き捨てた冷たい声が、雨の音に溶けていく。
​「卓のバカ!! 最低!! 二度と顔見せないでよ!!」
​泣きじゃくる冴美の声を背に受けながら、俺は駅へと向かって歩き続けた。
​電車の窓から、見慣れた都内の景色が流れていく。
ポケットの中に手を入れると、そこにはもうあの不気味な熱も、温かい光も存在しなかった。ただの、何もない空っぽの手だ。
​これから俺は、誰も俺を知らない土地で、一人で生きていく。
琉衣さんに嫌われ、冴美に蔑まれ、思い出のすべてを灰にして。
​でも、北へ向かう列車の中で、俺は静かに目を閉じた。
​どこか遠い空の下で、今日も琉衣さんが息をしている。冴美と二人で、温かい朝ご飯を食べている。
それだけでいい。俺が失った日常の代わりに、彼女たちの未来が守られたのなら。
​雨の止んだ窓の向こうに、見たこともない広い空が広がっていた。


「この街にも慣れるよな」
(冷たい潮風が吹き抜ける港町。波の音とウミネコの鳴き声だけが静かに響いている)
​そうだな。
​最初は潮の匂いも、刺さるような風の冷たさも、街の静けさも違和感だらけかもしれない。誰もお前を知らないし、誰も「卓ちゃん」なんて呼んでくれない。
​でも、人は生きていく生き物だからさ。
寂しさに慣れて、一人で食べる素っ気ない飯の味に慣れて、気づけばこの街の景色が「日常」になっていく。
​ふとした瞬間に、あの温かい味噌汁の匂いや、二人の笑顔を思い出して胸が締め付けられる夜もあるだろうけど。それでも、お前が自分の手で守り抜いた「琉衣さんの命」がこの世界のどこかで巡っている限り、お前の歩んできた道は絶対に間違いじゃない。
​この北の街で、しっかり地に足つけて生きていこうぜ。お前が元気に生きていくこと自体が、もう一つの小さな「祈り」なんだからさ。


北の果ての港町に身を寄せてから、三年の月日が流れていた。
​20歳になった俺は、早朝の港で水揚げの手伝いをし、昼は小さな食堂で働きながら、海の近くにあるボロアパートで一人静かに暮らしていた。
​手作業でゴツゴツと硬くなった自分の掌を見つめる。
あの頃のような怪しい光が宿ることは、二度となかった。あの冷酷な男も、奇跡を起こすオーブも、すべては過去の出来事。俺はただの、どこにでもいる一人の若い労働者としての日々を消化していた。
​刺さるような冷たい潮風が、潮の匂いとともに頬を撫でる。
最初は余計なことばかり思い出して眠れない夜もあったが、人間というのは恐ろしいもので、この殺風景な街の景色も、一人で食べる不器用な飯の味も、すっかり「日常」として身体に馴染んでいた。
​「卓ー! 明日の朝は早いからな、酒飲むのもほどほどにしとけよー!」
​港の親方が、トラックの窓から声をかけてくる。
​「分かってますよ。おやすみなさい」
​軽く手を振り返し、俺はアパートへの坂道をゆっくりと上った。
​部屋に入り、電気をつける。
テレビをつけると、夕方のニュース番組が流れていた。画面には都内の街並み。かつて俺が歩き、愛しい人と手を繋いだあの街だ。
​『——続いてのニュースです。本日都内で開催されたアパレル展示会にて、新人デザイナーの長谷川冴美さんが大賞を受賞しました。会見には、冴美さんの母親であり、ブランドの共同経営者である琉衣さんも同席し——』
​画面に映し出された映像に、俺の息が止まった。
​洗練された大人の女性に成長し、カメラの前で誇らしげに微笑む冴美。
そして……その隣で、あの頃と変わらない、ううん、以前よりもずっと穏やかで美しい笑顔を浮かべる琉衣さんの姿。
​琉衣さんは、生きている。
元気で、健康で、娘の成長を隣で愛おしそうに見つめている。
​「……よかった」
​ポツリと漏れた声が、誰もいない六畳間に響いた。
​画面の中の琉衣さんが、ふと一瞬だけ、カメラの向こう——まるで遠く離れた俺の視線に気づいたかのように、切なく柔らかい目を向けた気がした。
​俺の胸の奥が、熱く締め付けられる。
俺の存在は彼女たちの記憶の中で「最低の裏切り者」のままだろう。俺が彼女たちの隣に戻ることは二度とないし、真実を伝えることも絶対に許されない。
​けれど、俺が差し出した日常の代わりに、彼女たちの眩しい未来がこうして存在している。
​「……元気でいてくれれば、それでいい」
​俺はテレビの電源を消し、静かな暗闇に戻った部屋で窓を開けた。
北の夜空には、どこまでも澄み切った満天の星が広がっている。
​もう光の奇跡なんて起こせないけれど、俺はこの遠い街で、誰にも知られない祈りを抱きしめながら、これからも力強く生きていく。


ニュースを消した直後、トントン、と部屋のドアがノックされた。
​こんな夜遅くに、俺のアパートを訪ねてくる奴なんて港にはいない。不審に思いながらドアを開けると、そこには冷たい夜風に肩をすくませた、一人の女性が立っていた。
​「……卓ちゃん」
​思考が真っ白になった。
​そこにいたのは、テレビ画面の向こうにいたはずの、琉衣さんだった。
​3年ぶりの再会。少し痩せたかもしれないが、その瞳はあの頃と変わらない温かさと、深い決意を秘めて輝いている。
​「な……なんで、琉衣さんが……ここに……」
​声が震えた。男の警告が脳裏をよぎる。『真実を明かしたり、再びその愛を受け入れようとした時……彼女は一瞬で灰になる』と。
​「来ないでください! 俺は……俺はあんたに言ったはずだ、二度と前に現れるなって!」
​俺は冷酷な仮面を必死で被り直し、ドアを閉めようとした。だが、琉衣さんは躊躇うことなく、その細い手でドアを力強く受け止めた。
​「逃げないで、卓ちゃん。私ね、冴美の賞のついでに、ずっと探していたの。あなたがどこへ行ったのか……あの男の人に聞いて」
​「男……? 何のことだ……!」
​「黒いコートを着た、不気味な男の人よ」
​琉衣さんの口から出た言葉に、俺の全身の血が凍りついた。あいつが……琉衣さんの前に現れたというのか。
​「あの人は言ってたわ。『あいつはお前を嫌いになったんじゃない。お前の命を守るために、己の魂を削って嘘をついたんだ』って。……そして、『お前が真相を知ったところで、もう二人の絆のパイプは切り離された。一度完全に途切れた呪いは、二度と発動しない』って……笑っていたわ」
​「……は……?」
​あいつの嘲笑が、頭の中で再生される。あいつは俺たちを試していたのだ。絶望に突き落とし、絆を切り裂かせた上で、なお生き残った俺たちの運命を愉悦として観察するために。
​「私ね、卓ちゃんに酷いことを言われた時、生きていけないくらい傷ついた。でも……どこかで信じていたの。あんなに優しい目をして私を見てくれた卓ちゃんが、私を嫌いになるはずないって」
​琉衣さんが、一歩、部屋の中へ足を踏み出す。
​「もう……誰も死なない。あなたの不吉な光も、あの男の呪いも、全部終わったのよ」
​「琉衣さん……っ……俺は……俺は……!」
​溢れ出す涙を止められなかった。
3年間、凍りついていた心が、彼女の体温で一気に溶かされていく。琉衣さんはそっと腕を伸ばし、ボロボロと泣きじゃくる俺の頭を、優しく胸に抱きしめた。
​「頑張ったわね、卓ちゃん。一人で……こんな遠いところで、ずっと私を守ってくれていたのね」
​「ごめんなさい……酷いこと言って……ごめんなさい……!」
​「いいの。全部、分かってるから」
​背中に回された琉衣さんの手の温もりが、俺の知っているあの日のまま、優しく背中を撫でる。
壊れたはずの日常は、形を変えて、けれど確実に俺たちの元へ戻ってきていた。
​窓の外では、北の海の静かな波音が、祝福するように優しく響いていた。
俺は泣き続けた。

3年分の孤立と、背負い続けてきた絶望。
琉衣さんの温もりと、「全部、分かってるから」というその一言に包まれた瞬間、俺の胸の中で堰を切ったように涙が溢れ出してきた。
​声にならない嗚咽が漏れ、俺は子供みたいにしゃくりあげながら、琉衣さんの背中にしがみついた。
​「うあぁぁぁ……っ……琉衣さん……っ、琉衣さん……!」
​「いいのよ、卓ちゃん。もう泣いていいの……」
​頭を撫でてくれる指先も、背中をトントンと優しく叩いてくれる体温も、全部あの頃のままだ。いや、俺の嘘を知り、乗り越えてここまで逢いに来てくれた彼女の愛は、あの頃よりもずっと深くて、強かった。
​「冷たかったでしょう。寂しかったでしょう……。一人でこんなところで、私を守るために……っ」
​俺を抱きしめる琉衣さんの声も震えていて、俺の肩にポロポロと温かい涙が落ちてくる。
互いの涙が混ざり合い、3年間凍りついていた小さなアパートの六畳間が、一気に二人の体温で満たされていく。
​どれくらいそうやって泣き続けたろう。
ようやく息を整えた俺の顔を、琉衣さんは両手でそっと包み込み、指先で俺の目元を優しく拭ってくれた。
​「……ブサイクな顔になっちゃってるわよ、卓ちゃん」
​少し目元を赤くしながら、悪戯っぽく微笑む琉衣さん。
​「……琉衣さんが急に来るからですよ」
​照れくさくて目を逸らそうとする俺の頬を、琉衣さんは逃がさないように優しく固定して、まっすぐに見つめてきた。
​「ねえ、卓ちゃん。もう『お母さん代わり』のフリも、嘘の嫌いも……全部おしまいね」
​「……はい」
​「私ね、冴美にも全部話してきたの。最初はあの子も驚いていたけれど……最後は『卓を連れて帰ってきなさい』って、笑って送り出してくれたわ」
​琉衣さんの瞳に宿る、揺るぎない愛おしさ。
もうそこには、命を削る呪いも、二人を阻む偽りの壁も何ひとつ存在しなかった。
​「東京へ、一緒に帰りましょう。私たちの家へ」
​俺の手をギュッと握りしめる琉衣さんの手に、俺も力を込めて握り返す。
​遠くの奇跡を起こす光なんて、もう二度と生まれない。
けれど、俺の手の中には今、世界で一番大切で、かけがえのない温もりだけが、しっかりと残っていた。


いかがでしたでしょうか?
登場人物の主な3人と、基本の形は僕が作って、あとはAIに任せました。