心臓病に大人になってからかかった大人。

生まれたときから心臓病の子供。

手術しないと助からない場合
しかも億単位のお金が必要。

募金という形は、子供や赤ちゃんなら集まりやすいし、ニュースでもとりあげられることが多いが、これが大人だと同じ心臓病でも募金はしません。
出来ないといった方が正しいでしょうか。

それは、まず子供に比べて自分で動ける可能性が高い。
働けるということです。
もちろん制限はありますが。
子供はまだ働ける年齢でも、まして身体も小さい。
赤ちゃんなら何もかも自分で出来ないのですから、周りの大人、身近な大人(一般的には親)が、全てを負担します。
負担という言葉は適切ではないかもしれませんが。

ただ、こういった障害の重い赤ちゃん(例えば日本では手術不可能など)が、海外で手術するための渡航費用含め、莫大な手術費を捻出することが、そのご家族だけでは困難な場合が少なくありません。

そんな時、募金はある種の有効性がありますが、その一方でなりすましによる詐欺や、同じような病気、同じような環境の子は他にもいるのに、あなたのところにだけ募金するのはどうか?
といった考え方も中にはあります。

そんな考えも僕は一理あると思っています。
なぜなら、人間、困っている人が近くにいる場合、多くの人は何か力になりたい!と、思うのは普通の感情だと思います。
それは、お金の使い方は、普通は働いた対価として給料を貰います。
その給料は普通は自分が、家族が生きていくために1番に使うお金だと思うんですね。
生活費です。

その生活費を引いて、残ったお金を趣味に使うのか、募金に使うのか、仕送りに使うのか、何に使うかは、そのお金を稼いだ本人にしか決めることはできません。

ここが、お金を残す人と使ってしまう人の差ではないかと思います。
僕もどちらかと言えば、あれば使ってしまう方なので、偉そうなことは言えませんが、ひとつだけ言えることがあります。

論点は募金についてなので、その話をします。
確かに重い心臓病などで今すぐ募金が必要な人は日本にいるでしょう。
でも、その困っている人に直接、私たちのお金を善意で使ってほしいと思っても、届けることは出来ないのが本音ではないでしょうか。

今の時代、個人情報保護と言えば一見、個人情報が守られる時代なんだと、思うかもしれませんが、決してそれだけではなく、反対に私たちにとって都合の悪い話もあります。

例えば、お年寄りが財布を落とした。
ある若者が交番に届けてくれていたので、無事にこのお年寄りは、財布を取り戻せた。
ここまでは良いのですが、お年寄りが一言お礼を言おうと、交番にこの若者に会って、または電話越しにでもお礼を言いたいと言うと、個人情報保護の観点から、情報は一切教えられません。
といった返事が帰って来た。
これは数年前の話ですが、お礼も伝えられない世の中になりつつあります。

話がずれましたが、直接困ってる人にお金が届けられないのなら、他に募金をすれば良いのです。
人は自分に少しでも関係があったり、類似点があったり、共感できることにお金を使う確率が高いです。

僕は、コンビニのレジに置いてある募金箱に、買い物のお釣りをよく入れます。
多いときでも数百円ですが。
この募金箱は、全国のAMのラジオ局と連動していて、チャリティーミュージックソンという、目の見えない視覚障害者のために、音の出る信号機を設置するための募金箱なのですが、僕は身体障害者で、同じ障害者として、繋がりを感じるので、ここに募金を続けています。

もちろん続けられるのは少額だからです。
金額だけで考えれば、1度に数百万、たまに何億も募金する有名人がいます。
何が言いたいのかと言うと、出来る人が出来ることをする。
これに尽きます。

募金に限ったことではありません。
仕事でも趣味でも何でも、今出来ることを今すぐしている人は、後回しにする人よりも、人生が豊かであると断言します。
なぜなら、何でも後回しにしてると、やることが溜まります。
すると今日やるべき事が(それは宿題なのか、仕事なのかわかりませんが)、1つだったのに、2つ3つと増え、やがてはどれも手付かず、中途半端なものになる、すると宿題にしろ仕事にしろ期限がありますが、間に合わなくなり、その結果、取り返しのつかない状況にまで陥ることがあります。

しかし、今やるべき事を今やる人は、期限に遅れることもありませんし(もちろんすべてではありませんよ。)、むしろ、今日の夜までに出来れば良い仕事を、その日のお昼で出来てしまったとしたら、ほら、夜が他の事に有効に時間を使うことが出来るのです。

せっかちな人は、なんかあくせくして、見てる方まで気持ちが休まらないと言う人もいますが、そう感じるとしたら、あなたもたまにはせっせと動いてみませんか?ということなのです。

他人を変えることはむずかしいですが、自分を変えるのは、瞬間の強い決意と覚悟があれば、自分が思うより実は簡単です。
周りからどう見られるか、ではありません。

あなたは誰かに評価されるために生きているのですか?
誰かに認められたくて頑張っているのですか?
多少はそう言う部分もあるでしょうが、ちょっと時間をとってゆっくり考えてみてください。

もちろん一人で。

あなたの人生はあなたを主役に選んでいます。

ということは、例えばあなたが何かのグループのリーダーであっても、リーダーでなくても良いのです。

ドラマで言えば、主役と呼ばれない脇役、エキストラの立場でもあなたは主役なんです。
周りからの評価や意見は、もちろん色々あるでしょうが、自分が主役なんだと自分自身で決めつけてしまえば、その瞬間からあなたが主役なんです。

言葉は大切です。
それと同時に大切なのは思い(想い)です。

ナニか新しいことを始めるとき、新しい事にチャレンジするときは、誰しも不安かもしれません。
しかし、人生の勝ち組負け組関係なく、輝いている人に言えるのは、新しいことを始めるとき、チャレンジするときに、この人たちには不安は一切ありません。
あるのは、何が待ってるんだろう!どんな楽しいことがやって来るんだろう!、というわくわく感しかありません。

起きてもいないことを不安に思うよりも、どんな楽しいことがあるんだろう!という、わくわく感を感じようということなんです。
思考は現実化する。

これが本当ならば、楽しいこと、自分にとって良いもの、良いこと、好きなことを考えて行動すれば良いのです。

キーワードは、誰かのため、貰うよりもあげる、自分が心地よい場所を自分のテリトリーにする、嫌だな怖いな合わないなと感じる人とは距離を置く、我慢しない、お金は貯めるより遣おう(出来れば誰かのために)








半分以上、食べてから写真に気付いた。

お分かりの通り、すき家のうな丼。

土用丑の日のその日に初めてうなぎを食べた。

皆さんもバテないように是非。

今年は稚魚が多く育ったみたいで、去年より安いんですって!スーパーでも鰻屋でも。
こんにちは。

最近というか、数年前からメル友とのやりとり、文通のやりとりをしています。
今の人は文通って知らないだろーなー。
まあ、早い話が手紙に自分の近況などを書いて、相手とやりとりするんです。

もちろん、相手も近況を書きますが、聞きたいことは手紙に書けば、相手が答えてくれます。

この手紙でやり取りする文通の1番、良い所は嘘がつけないこと。
そりゃあ、書こうと思えばいくらでも書けますよ?

でも、人対人 、お互いが手紙でのやり取りをしたいんだから、まず余程のねじ曲がったかんがえでない限りは、相手の情報、何が好きなのか、何が嫌いなのかなど、知ることができます。

例えば、今書いているこのブログは、全部出来てから載せるので、文字を打つ前に頭の中で訂正が利くわけです。
載せた後も、編集できますよね?

ところが、文通は便せんに文字を書いて、それを封筒に入れて、封をすればもう書き直しはできません。
だからこそ、手紙に文字を書く作業は神経を使うし、曖昧なことも書けないわけです。

これが、実際に対面して会話してる状態なら、例えば「麺類なに好き?」と聞かれて、「ラーメン!」とすぐ答えても、「あっ、ちょっと待ってやっぱパスタかな。」
というような、訂正が手紙では出来ない。

だから、手紙で相手が自分の事を聞いてくれて、自分がそれに答えるときは、どんな質問でもすごく考えるので、自分の好きなものだったり、自分の考え方を改めて精査する事が出来る、非常に有効なツールではないかなと思います。

手紙って速達の指定がないものは、空輸じゃなく陸路なのかなあ?


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