こんばんは。
今夜はちょっと堅い話になるかもしれませんが、書きたいと思います。
家族や身内、恋人、夫婦、親友と呼ばれる関係性についてです。
昔にさかのぼる程、これらの関係性は深く、強く、信頼関係があったように思います。
一言で表すなら絆でしょうか?
昔と言っても、昭和50年代以降の僕の子供時代のあたりですかね。
もちろん現代でも絆がなくなったわけではありません。
それでも、僕が思う家族や親しい関係とは、現代では少し意味合いが違ってきている、家族、身内と言葉は同じでも、その言葉の認識が現代と一昔前では誤差が生じてるのではないか?と思うわけです。
何故、そう思うのか?
小学校で違いを説明してみます。
僕の時代は、担任と児童、保健の先生、用務員のおじさん、校長先生、教頭先生など、今でもいるんでしょうが、この先生達とおじさんなどと、児童の関係性がはっきりしていました。
担任はもちろん、自分の受け持つクラスに責任を持ち、クラス一人一人に対して、知っている事が出来ていた。
担任に話せない体の事は、保健の先生、勉強以外の事は用務員のおじさんと話したり、担任以外の先生達も、クラスが違う子でも話しかけたりと、学校全体で児童を育てていた感じでしょうか?
もちろん、いじめもありました。当時は殴り合いが基本で、物を隠す、無視などもありましたが、今と決定的に違うのは、いじめられる子が自殺までいかない、少なくとも孤立無援にまでなるケースはほぼ無かったと思います。
それは、人が人を自分の手で殴る、自分の足で蹴るというのは、このぐらいの力だと顔が腫れる、このぐらいの力で蹴られると痣ができる、というような力加減を学べるからです。
いじめはいけない
もちろん、昔から言われていますし、今もそうですが、何故なくならないのか?
僕はいじめた事もいじめられた事も、どちらも経験しています。
いじめられた経験は確かに嫌な経験ですが、いじめられなければ、僕はいじめた側にいた時、いじめが更にエスカレートしていたでしょう。
当時数人で1人をいじめていましたが、僕はこれ以上は、いじめられている子が可哀想だ、それ以上はやってはいけないと思えました。
もちろんいじめを正当化しません。
いじめられた側は一生忘れる事が出来ないのですから。
僕もそうです。
ただ、現代のいじめは僕の時代とは、次元そのものが違うのかもしれません。
一言で言うなら見えないいじめ
だからです。
先ほども書いたように、殴った、殴られたという物理的いじめなら、殴られた場所が痣になったり、服が破けていたり、汚れていたりと見えるいじめなので、友達や先生達も「どうしたんだ?」といじめた側を問いただす事が出来ますが、現代のいじめはインターネット時代に入って、携帯、パソコン、スマホ、iPhoneなどを持つようになり、日々の日記的な事はブログに、友達とのやりとりはLINEで、人間の根源的な言葉を交わす会話、会って話をする事が、ほぼパソコンやスマホで済んでしまう、声を発して会話する事よりも、一言も声を出さずにスマホやiPhone、パソコンでやり取りをする事の方が普通になってしまっている事で、いじめが起きていても担任が気付かないというニュースは、多分本当なのかもしれないと思うわけです。
だって、例えば1クラス30人で29人が机の下で、メールやLINEで1人の子をターゲットにしてたら、担任はどうやって気づく事が出来るでしょうか?
それでいて、クラスメイト以外の先生をはじめ、大人とは普通に声を出して普通に会話するのですから。
学校の問題、いじめ、不登校、ひきこもり、学級崩壊、教師の不登校など、学校、青少年、未成年の抱える問題は簡単ではありません。
僕は将来、カウンセラーになりたいと思っています。
主は子供です。
心理学やカウンセラーという言葉が、一般の人にも少しは知るようになったのは、おそらく90年代の神戸児童連続殺傷事件からではないでしょうか?
当時、犯人が14歳という事に誰もが驚き、事件の特異性も報道されました。
このブログを書いていたら、神戸の事件を思い出し、ネットで調べてみると、載っていましたが、細かい内容はほとんど今回初めて知る事ばかりで、しかも文を読んでるだけで顔をしかめてしまうぐらいの残虐な印象を受けました。この記事をネットで誰にでも閲覧出来ることが、良いのか悪いのか判りませんが、言葉の力はやはり影響が大だと思いました。そして、今この当時14歳の少年が大人になり、絶歌というタイトルの本を出版して、賛否両論を呼んでいます。
過去にも殺人事件を犯した犯人が後に本を出版することはありました。
何故、殺人をしてしまうのだろう?
何故、こんな酷いことが出来てしまうのか?
と、いつもニュースを観るとそんな思いがあり、そういう事が知れるのはどんな学問なのか?と本屋に行くと見つけたのは、犯罪心理学という分野でした。
【「犯罪心理学とは、犯罪者の行為、心理を解明していく学問。」】
作田先生が書いておられましたが、【犯罪が起きた時、私達はそこに憎悪や怒りを感じる。顔を背けたくなることもあるかもしれないが、そうした感情だけで犯罪そのものを正しく見つめることは出来ない。きちんと事件と向き合い、理解したい気持ちが犯罪防止に結びつくと考えています。】
と本の中で仰っています。
僕も作田先生と同じ考えです。
こういった事件が起きた時、私達は報道されるたびに、被害者には可哀想にとか、酷い事件だなとか、加害者には信じられない、何でこんな事するの⁉︎と憤ったり悲しんだりしますが、少しでも犯罪者心理を知る事で、何故、事件にまで到達してしまったのか、知っていれば少なくとも自分自身気をつける事が出来る、まさに予防の意味と、子供達が間違った方向にいかないように、大人になっていく過程の教育がその後の性格形成に多大な影響を与える事を理解した上で、将来、子供達と関わらなければならないという事を改めて突きつけられた気がします。
ここ10年~20年で報道されるような凶悪犯罪は、全体の数自体は減ってきているにもかかわらず、増えたように思うのはメディアで流される頻度や、同じ日に違う局で同じ事件を取り上げるやり方が、私達にある意味刷り込まれるからかもしれません。
事件に限らず、1人の芸能人が前述したやり方で番宣もしくは売り込みで、出るのと似ているかもしれません。
知ってもらうという意味では。
いつもの通り、話がずれたのでまた。
長くなりすぎたのもありますが。
注
最後に【 】の中の文は
著者 作田明さん
面白くてよくわかる!犯罪心理学
から引用、一部編集して使わせて頂きました。
