Facebookである人が、フランスのテロで亡くなった事に対して、アイコンをフランス国旗に替えている人がいて、トルコの時は何故トルコ国旗に替えなかったのか?
善意は時に恐ろしい。

この記事だけではないが、例えば戦争は国と国だが、規模は違えど人と人のケンカも対立するから、意見が違うから、自分の思い通りにならないからなど、恐ろしいのは善意だけではない。

人として生きている以上、多かれ少なかれ誰かと議論する事、意見を交わす事、人として基本のコミュニケーションの一つが、話す事である。
こういったブログや本の音を発しない文字も、ある意味話をしている。

人は元々議論するのが好きだというのを、何処かで聞いたが、多分それはそうなんじゃないかと思う。
人と人が出会う時、初対面で出会いから別れるまで一言も話さない人は、おそらくいないだろうし、人は脳で考え、言葉を話せる動物であるから、話すという事は非常に重要なコミュニケーションの一つであると考える。

現在、世界の人口は70億人を超えている。
小さな島国日本でも1億3000万程。
もし、地球で暮らす人々が、話し合いのみで全てを解決出来るなら、武力戦争や暴力は存在しないはずだ。

戦争が世の中でいちばんあってはならないみたいな考えは、僕は違うと思う。
二者択一の例え話で、トロッコが猛スピードでレールの上を暴走している。レールが二股に分かれていて、一方は1人もう一方は5人いる。
途中の行き先を変更するレバーはあなたが握っている。
どちらにレバーを倒しても必ずどちらかは死んでしまう。
あなたはどちらにレバーを倒す?








この問題は白熱教室のサンデルさんが、出した問題である。
ちなみにこの問題の正解はない。
つまり、レバーを倒しても、何もしなくてもこれといった答えは無いのだ。

この問題で僕が今、思うのは、1人が死んで5人が助かる、逆に5人が助かり1人が死ぬ、何もしなくてもどちらかにトロッコは進みどちらが死んでしまう。
多くの人が助かるほうが、建設的な意見という人が多い気がするが、数の問題ではない。

人が死ねば1人でもニュース報道されるのである。
生命は尊いものであるという考えであるからこそ、トロッコの例も、たくさん助かるから正解、1人が生き残るから正解ということではないのだ。

ただ悲しいかな、少数派(マイノリティー)は何処の世界でも、どんな場面でも、安易に特異な視線で見られたり、排除されたり、排除されないまでもチクチク責められたりと、なかなか認知されにくい。
それでいて集団の時代から個性の時代になると、もっと自分を出しなさい!とか、何か人と違う特技は無いの?とか、学校でも社会でもその他大勢ではない何かを、求められる事が多い。
でもその実は初めは目立ったり、人より秀でている事で良くも悪くも注目を浴びるのだが、半年、一年も経てば自分も周りも慣れてしまうのである。
芸能人で例えると解りやすい。

彗星の如く現れ、人気者になるが我々の見る目が慣れてしまうために、初めはその人が出る番組はいつも観ていたのに、半年経てば、またこの人か?となる。
いわゆる一発屋と呼ばれる人である。

人と違うことで有名になるのに、今度はその人と違うことが、珍しくなくなってしまうのだ。

しかし不思議なことに、一発屋と呼ばれる人達は、一発では終わらない。
必ず再ブレイクする時が来るのだ。

歴史は繰り返す

トレンドも繰り返す

例えば、今の人は知らないベーゴマやけん玉も、時代が変わると光ったり軽量化されたりして、子供達が遊ぶのだ。
アナログなものは今、大人の人は懐かしく感じ、今の子供には初めて見るので新しく感じるものだ。

初めの善意は時に恐ろしい。
という意見に対して思う事は、善意は善意だし、正義は正義だ。という事です。
どういう事かというと、例えが悪いかもしれないが、普通、法律に基づいて安全に暮らす民間人が、何か事件を起こすと警察が介入するが、その警察の飲酒運転、暴行、自白強要、殺人まで、捕まえる側の立場が逆に捕まえられる時代。
だから、警察官だからとか、医者だからとか決してステータスがその人の信頼度を図れる物差しではないというのが、僕の考えです。
お世話になった人だから、恩人だから、家族だから、恋人だから~しないとか、~なはずというのは、こちらの思い込みである。

もっと言えば、事件を起こした恩人、恩人でも事件を起こすんだ、恩人の前に1人の人間なんだ、という考えです。
あまりにもこの人は自分にとって大切な人だから、お世話になったから、頭が上がらないから、といってその人の言いなりになるのは、それは慕っているとは違うと思います。
お金の貸し借りも、お金を貸す側は返してもらう、貸してもらった側は返すだけなのに、貸した方が返せと言いにくかったり、貸してもらった方がさらにまた貸してとなったり、不思議な関係です。
とかくお金の貸し借りは、円(縁)が関係するので、なるべくならしたくないですね。
特に仲が良い関係なら尚更。
仲が良い人にお金を借りようとは僕は思いませんが。
というか、お金の貸し借りは基本しません。


家族?のブログの続きが、今書けたような気がします。

関係性の話です。

人は人。

昔、小さい頃に親に言われた、○○ちゃんは○○ちゃん!
うちはうち!
というとは案外、今の僕の考え方だったのかもしれません。

世の中みんなそれぞれの意見や考え方があるから、いろんな事が起きても知恵を出し合い、解決する方向に進んでいくのではないでしょうか?
全ての人間が全く同じ考え方だとしたら?

それがいちばん恐ろしい

かもしれませんねニヤ


暖かい陽射しが続くけど
時折この身体を通って行く
風がやさしいから抱えてた痛みさえ
ちっぽけな事に思えてくる

自分以外のせいにする事で
未来(つぎ)に進むパワーにはならない
誰のせいにもしないと決めた
その瞬間から自分が自分になる

生きる事は傷つく事
思い通りにいかない事
理不尽でも認める事
嫌な事が日々起こる事

その全てに振り回されるの?
起きた事はもう終わった事
あれこれ心配する事よりも
今出来る事やれる事しよう
こんばんは。
まずは犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
と同時にフランス国内の緊迫した状況で、外出もままならないでしょう。

少し前までは日本では起こらないと思っていた、日本人。
が、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起き、想像すらしない事がおきてしまった日本。

そして、アメリカの同時多発テロ。

イスラム国の攻撃。

不謹慎ですがイラク戦争のアメリカのミサイル攻撃?の映像が、たまにニュースでもいまだに流れますが、当時の僕は10代でしたが、一瞬、綺麗だなと思ってしまいました。

アメリカの同時多発テロの時も、テレビを観ていて、飛行機がビルに突っ込んだ映像を観て、何これ?映画?と思ったのを憶えています。
それだけ現実味を感じなかったのです。

しかし、現実に起こっています。

テロだけではありません。

天災です。

日本では阪神淡路大震災が起き、町が復興してきて、それでもまだまだ完全な復興ではないと頑張っている中、東北の大地震、津波による甚大な被害。
更に今年は日本各地で震度5以上の地震が関東で起き、集中豪雨で鬼怒川が決壊し、季節外れの爆弾低気圧、さらには火山の動きが活発化して入山制限されたりと、自然による災害が今年2015年は多いと思いませんか?

残り2ヶ月を切って、クリスマス、忘年会、愉しむだけのイベントでは元々ないはずです。
危険を煽る(あお)わけではありませんが、必要最低限の準備はしておいたほうが良いですよね?
かくいう私も準備はしてません。
皆さんに注意喚起して、自分も用意周到な出来た人間ではありません。

ただ、今の世の中、何がいつ何処で誰の身に起きても、不思議ではないし、何で!?
と焦ったりパニックに出来るだけならないような冷静さは持っていたいと、思っています。