こんにちは。

今日はちょっと考え込んでしまう、ある事について書きます。

えっと、大きなテーマとしてはスピリチュアルや仏教などの教えだったり、摂理、必然です。

僕はこのブログで幾度となく、世の中に偶然はない。
必然なんだということを書いています。
それは、江原さんから始まり、他のスピリチュアルの先生や、お坊さんの本などにも悉く記されてあり、それを僕が信じる信じない、という以前に、さらっと納得している自分が居て、しかもそれを疑いたくならないということ。

天の邪鬼の人って結構居ますよね?
僕もどちらかというとそうなので、例えば、誰かからの教えに素直に従いたくない反骨心みたいなのが、割と昔からあったんです。
でも、体調を崩し、眠れないキツイ日々が続き、人の有り難みに感謝をし、病気もほぼ治った今は、昔のように疑ったり、憎んだりという感情が湧かない。

人生を楽しく思い通りに生きるには、認める、許す、解放する、委ねるなど(まだまだあると思いますが、大まかなとこで)最近の本には大体書かれてます。

有り難いことに僕には、身内よりも理解し合える人物が居るので、その人と出会えたことに感謝、学べることに感謝なんです。

ここで、今日の僕の疑問。
詳しくは関連の本を観たり、ネットで検索してみてほしいのですが、世の中な起きることに偶然はない、全て必然だ。

という、絶対的な基盤がそれだとしたら、我々が嫌だなとか不快に思う、喧嘩、罵りあい、騒音、道にぺっと唾を吐く人、マナーを守らない人などは、居なくならない、無くならないのか?

規模を大きくすると、犯罪、事件、テロ、戦争も無くならないということなの?

じゃあ何で、世の大半の人は平和を望むのでしょう?
幸せになりたい!って人は、幸せに気付いてない人だと思うんです。

この世に生まれてきて、人それぞれ山あり谷ありの人生ですが、すごく身近な所でちょっと考えてみても、ご飯を食べられるって幸せじゃないですか?

病気になって、食事制限されたりしたら、固形物も禁止されて、液体しか飲めない。

好きな服が着られる、好きな音楽が聞ける、どんな事も初めの感動はそれなりに誰しもに大きな影響を与えています。
ただ、人は慣れてしまうので、感動が薄れて癖のようになってしまったりするんですよね。

だから、本当は僕達は言ってみれば、「生きている現在、常に幸せ」なんです。
すべてに慣れてしまう(それなりに生きることに)から、時々、偶然のような再会や宝くじに当たるとか、大なり小なりラッキーが現れてくるんだと思います。

どう思われたでしょうか?