こんにちは。

タイトルのあんぱんと牛乳は、今回の内容ともしかしたら、そんなに関係はないかもしれません。
が、世の中の出来事って、少なからず誰かと何処かと、繋がっている部分はありますよね?

ヘタな刑事物の上司と部下の会話で、「あんぱんには牛乳だよなあ。」と、今回のタイトルと似たような場面を、一度はご覧になったことがあるかもしれません。

これを僕は、当人にのみ通用する相性論と呼びます。
言い換えれば、当人にのみ通用する周知の出来事。

例えば、私って占い好きじゃない?
とか、夏はアイスだよね?など。
私って占い好きじゃない?
これを聞かされた側は、いや、しらないし・・。

夏はアイスだよね?
これを聞かされた側は、一般的にはそうかもしれないけど、かき氷でも悪くないし、逆に熱い食べ物を食べて汗をかいて、体温を下げて涼しくなる方法もあるし。

といったことである。

お互いが長いつきあいで、好みも大体知ってる場合は、私って~じゃない?が、通用するが、何かのパーティーや集まりで、その場でしか会わないような人に、私って~と言っても、え?と思われるので、心当たりのある方は、お気をつけ下さい。

この考え方で最近思うのが、自分が知ってるから相手も知っていると思いこんでしまって、ある時、○○だよね?と聞いて、相手が、えっ知らない。
と返されたときに、何で!?と憤りを感じる事ありませんか?
分かり易く言えば、何でこんな事も知らないの?と、ムカッとくることはないでしょうか?

僕は指摘されるまでは、ありました。
まあでも、今でも、指摘されたことを忘れてしまって、声が大きくなるときはありますが(反省)。

その指摘とは、自分の尺度で当たり前だと思っていても、他の人にとってはそれが当たり前ではないということです。

ちょっと説明が難しいのですが、同じクイズが好きな二人がいるとして、そのクイズのテストを10回行って、2人は10回とも満点をとった。
普通は、2人とも同じ点数をとったから、クイズに関しての知識は同等だと思いますよね。

しかし、内容を細かく見てみると、片方は問いに対して簡潔に答えだけを書いていた。
もう片方は、答えまでの概要も合わせて書いていた。
とすると、点数ではまったく変わりはないけど、補足説明の部分で差が明らかに出ていると。

人間は教育を受けなければ、人間らしく生きられないということ。

昔、ある幼い少女がオオカミに育てられた。
すると、オオカミのように育ってしまう。

僕がよく思うのは、私達日本人は余りにも、多数派の意見や、みんなしてるから、みんなそうだからということに、疑ってみることもせず、それらが正しいんだ、当たり前なんだと思い込みすぎてないかな?って、よく思います。

もちろん、多数派を認めても、みんながしてるから、それをしても悪ではないから、良いんでしょうが、そういう流れに乗ったために、マイノリティは、排除せよとか、認められないとか、言いやすい世の中になってるのかな?って、ぼくは異議を唱えたいんですけどね。

世の中で、良くも悪くも議論の対象になるのって、マイノリティな出来事が多くないですか?

人権問題、障害者、精神に関わる心の問題など、まだまだ真剣に多くの人が一緒になって考えなければ、専門家や資格者だけでは、とても解決出来る問題ではありませんし、もし、解決までたどり着いたとしても、相当な時間がかかるでしょう。

無関心と無知は全然違いますからね?
無関心は、俺は興味ないよ。
無知は、それを知るまで知らないだけですから、関心わ持ってくれる可能性があるわけです。

ただ、無関心はそれを知っていても、興味ないし協力する気もないわけですから、無関心な人に時間をかけて協力を求めるのは時間が勿体ないです。
それよりも、知らない人に宣伝する方が、協力してもらえる可能性は少しはあるわけですから、周知活動はどれだけ重要な活動かお分かりになると思います。

僕も、統合失調症という病気で4年ぐらいですかね?
キツかった時期がありましたから、心理士、カウンセラーになるという目標も出来ましたし、東北の震災もニュースで、震災そのものも、もちろん衝撃を受けましたけど、震災当時、本来遊んだり、駆け回ったり、無邪気なのが子供なのに、その子供達が大人に泣き顔も魅せず、動いてたのを見て、このままではダメだと、心理士になると決意したきっかけになっています。

傷は直ぐには治りません。
時間がかかりますからね。

ただ、早い段階で処置なり対応したほうが良い場合も、身体的な傷ではよくあります。
早期発見です。

でも、精神的な傷は例え、症状的に悪くても、発症しているときに、直ぐ対応して、良い場合と悪い場合がありますから、精神的な傷は時間と協力しながら快方に向けていくのが、大事かもしれません。

それでは、ありがとございました。