先日、教育テレビで被災者の事を取り上げた、放送をやっていたので、ふっと吸い込まれるようにテレビを観ていました。
内容は、震災でお子さんを亡くしてしまったお母さんの話。
その中の1人のお母さんの話を聞いた瞬間、ショックを受けました。
「絆、絆って言うけど、私達はその絆を失ってしまった。同情してほしいとは言ってない、ただ、1人ではないことを感じたい。」
震災後、地域の絆、人と人との絆、日本人の絆と、合い言葉のように掲げ、復興のための各ボランティアなり、節電、物資支援、募金活動にみなさん動いてきたと思いますし、今も継続中だと思います。
それが、被災者のためにと、やってきた私たちのモチベーションの一つとして、絆という言葉は被災者の立場になれば、決して応援と取れるフレーズではなかった。(全員ではないと思いますが)
これは、ショックでした。
人と関わる中で難しいと思うのは、困ってる人や悩んでる人、泣いている人に、立ち上がって欲しいと思うときです。
余計なお世話と言われても、偽善者と言われても、僕は困ってる人や泣いてる人と出会ったら、何もしないでいられない。
見返りなんか考えてないし、感謝されるために動くでもない。
一言でいうと周りが笑顔だらけになれば、みんなが楽しくなるから。
ということだけです。
快楽主義の博愛主義者。
自分を大切にしなきゃいけないんですけどね?
なかなか、後回しになっちゃいますね。
今回、いちばん言いたいのは、例えば、何かで悩んでる人がいて、この人には詳しく話を聞くのが良いのか、一切ノータッチで遠くから見守るのが良いのか、それとも一言、助言するのが良いのか、はたまた、黙って隣に寄り添うのが良いのか。
みたいな、元気になってもらえるアプローチが複数あるということです。
だからこそ、私たちは、空気をよむし、タイミングを見計らうし、言葉を選びます。
もし、悩み相談のプロ(カウンセラー、心理士)なら、これらの複数のアプローチから、この場合はこれ、この場合はこれ、と、判断が的確で早いです。
素人にはいくら力になりたいと思っても限界がありますし、相談事だけに時間を費やせません。
だから、ぼくはプロを目指しています。
世の中の全ての弱者、困り事、悩み事の力になるのは不可能です。
これだけの数の国があって、言語があって、人種がいて。
たぶん、神様はあえて、バラバラにしたんでしょう。
意見が違えば、ぶつかります、それが、発展すれば、口論になり、やがて戦争になります。
病に苦しむ人間を救うために、起きる戦争もあるんですよ。
マウスの実験はよく観ますよね?
昔は、一時期、爆発的に流行したペスト(黒死病)など、一気にたくさんの人間を救うには、同じだけの数の人間で、人体実験をしなければなりませんよね?
戦争で亡くなった尊い命が、全て丁重な扱いで葬られたわけではありません。
現在を生きる我々のために、医療の発展の名の下に、ぞんざいな扱いをされた同じ人間が居たことも、知って欲しいです。
医療の話になってしまいましたが、よく、思うところがあるんですけど、何のために医療があるの?
誰のために治療をするの?ということです。
人間、人類は時代が進むほど、それと比例して、文化なり言語なり、もちろん医療も進歩していますよね。
どんな仕事でも同じですが、初めは何も出来ない新入社員も、2年、3年と経てば例え嫌な仕事だったとしても、一通りの事はこなせるようになりますよね。
慣れですよね?
じゃあ、医療はどうなのか?
もちろん、手術とか注射の打ち方といった技術面は上に書いたように、だんだん上手くなるでしょう。
しかし医療には看護といった、術前、術後の患者のケアや、精神面のお手伝いも含まれます。
極端な話、手術だけやってればいいなら、医者と数人の助手だけで済みます。
看護師は要らなくなってしまいます。
ましてや、ここ十数年で精神面で体を悪くする人が、一気に増えています。
自殺者の増加もこのことが、少なからず関わっているでしょう。
肉体的な疲労は、日々の食事や睡眠で回復出来ますが、精神的疲労は食欲不振を招き、不眠症にも悩まされたりと、心の元気度は体の健康面にも直結する、非常に重要な問題です。
僕が勉強中の心理士も、心のケアのお手伝いをする仕事です。
体の疲れは若いときは1日寝れば、次の日は満タンです。
年をとれば若いときよりも、数日かかりますが、回復します。
しかし精神面は、1日寝て治るものじゃありませんし、長引く問題もありますから、1人でも多く精神面のケアが出来るプロが、どんどん出てくれば良いなと思います。
来月末の試験に向けて、勉強中。
内容は、震災でお子さんを亡くしてしまったお母さんの話。
その中の1人のお母さんの話を聞いた瞬間、ショックを受けました。
「絆、絆って言うけど、私達はその絆を失ってしまった。同情してほしいとは言ってない、ただ、1人ではないことを感じたい。」
震災後、地域の絆、人と人との絆、日本人の絆と、合い言葉のように掲げ、復興のための各ボランティアなり、節電、物資支援、募金活動にみなさん動いてきたと思いますし、今も継続中だと思います。
それが、被災者のためにと、やってきた私たちのモチベーションの一つとして、絆という言葉は被災者の立場になれば、決して応援と取れるフレーズではなかった。(全員ではないと思いますが)
これは、ショックでした。
人と関わる中で難しいと思うのは、困ってる人や悩んでる人、泣いている人に、立ち上がって欲しいと思うときです。
余計なお世話と言われても、偽善者と言われても、僕は困ってる人や泣いてる人と出会ったら、何もしないでいられない。
見返りなんか考えてないし、感謝されるために動くでもない。
一言でいうと周りが笑顔だらけになれば、みんなが楽しくなるから。
ということだけです。
快楽主義の博愛主義者。
自分を大切にしなきゃいけないんですけどね?
なかなか、後回しになっちゃいますね。
今回、いちばん言いたいのは、例えば、何かで悩んでる人がいて、この人には詳しく話を聞くのが良いのか、一切ノータッチで遠くから見守るのが良いのか、それとも一言、助言するのが良いのか、はたまた、黙って隣に寄り添うのが良いのか。
みたいな、元気になってもらえるアプローチが複数あるということです。
だからこそ、私たちは、空気をよむし、タイミングを見計らうし、言葉を選びます。
もし、悩み相談のプロ(カウンセラー、心理士)なら、これらの複数のアプローチから、この場合はこれ、この場合はこれ、と、判断が的確で早いです。
素人にはいくら力になりたいと思っても限界がありますし、相談事だけに時間を費やせません。
だから、ぼくはプロを目指しています。
世の中の全ての弱者、困り事、悩み事の力になるのは不可能です。
これだけの数の国があって、言語があって、人種がいて。
たぶん、神様はあえて、バラバラにしたんでしょう。
意見が違えば、ぶつかります、それが、発展すれば、口論になり、やがて戦争になります。
病に苦しむ人間を救うために、起きる戦争もあるんですよ。
マウスの実験はよく観ますよね?
昔は、一時期、爆発的に流行したペスト(黒死病)など、一気にたくさんの人間を救うには、同じだけの数の人間で、人体実験をしなければなりませんよね?
戦争で亡くなった尊い命が、全て丁重な扱いで葬られたわけではありません。
現在を生きる我々のために、医療の発展の名の下に、ぞんざいな扱いをされた同じ人間が居たことも、知って欲しいです。
医療の話になってしまいましたが、よく、思うところがあるんですけど、何のために医療があるの?
誰のために治療をするの?ということです。
人間、人類は時代が進むほど、それと比例して、文化なり言語なり、もちろん医療も進歩していますよね。
どんな仕事でも同じですが、初めは何も出来ない新入社員も、2年、3年と経てば例え嫌な仕事だったとしても、一通りの事はこなせるようになりますよね。
慣れですよね?
じゃあ、医療はどうなのか?
もちろん、手術とか注射の打ち方といった技術面は上に書いたように、だんだん上手くなるでしょう。
しかし医療には看護といった、術前、術後の患者のケアや、精神面のお手伝いも含まれます。
極端な話、手術だけやってればいいなら、医者と数人の助手だけで済みます。
看護師は要らなくなってしまいます。
ましてや、ここ十数年で精神面で体を悪くする人が、一気に増えています。
自殺者の増加もこのことが、少なからず関わっているでしょう。
肉体的な疲労は、日々の食事や睡眠で回復出来ますが、精神的疲労は食欲不振を招き、不眠症にも悩まされたりと、心の元気度は体の健康面にも直結する、非常に重要な問題です。
僕が勉強中の心理士も、心のケアのお手伝いをする仕事です。
体の疲れは若いときは1日寝れば、次の日は満タンです。
年をとれば若いときよりも、数日かかりますが、回復します。
しかし精神面は、1日寝て治るものじゃありませんし、長引く問題もありますから、1人でも多く精神面のケアが出来るプロが、どんどん出てくれば良いなと思います。
来月末の試験に向けて、勉強中。