「忙しい」って
「心を亡くす」って書くんですよ。
「忙しい」って言いたくなった時は
「やることいっぱいあって充実してるぅ!」
に変換することをオススメします。
で、私がまさに今
「やることいっぱいあって充実してるぅ!」
イベント用の作品制作もそうですけど
いちばんはコレ!!
多肉植物の植え替えの時期!!!
多肉植物は不思議でしてね、
断水して土から抜いて
根っこをしばらく乾かして
植え替えしてからも断水です。
一週間ほどして新しい根が出始めたら
やっと水をあげられる。
水を絶つことで生きようとする力が生まれ、よく育つのです。
人間にとってのストレスもそうですね。
苦しい産道を通ることで
赤ちゃんの身体機能が高まる。
菌やウイルスに感染すると
より強く生きようと免疫力が強化される。
ストレスへの抵抗が
よりよく生きようとする成長や進化を促します。
時には起爆剤のように。
過去に壮絶な貧乏生活や
悲劇的な経験をしてる方が
今、成功者として名を馳せていたりしますよね。
ストレスを起爆剤にした結果でしょう。
ぎゅっと抑え込まれたバネが
ぐんっと解放される感じ。
もし今、ストレスを抱えたり
思い通りにならない人生に悩んでいるならば
それが大小どんな規模であれ
エネルギーを生み出す起爆剤です。
さあ今後どんな成長に繋がるのか。
抱えているものが大きければ大きいほど
楽しみになるでしょ?
多肉植物は
ポロポロ落ちてしまった葉からも
根っこが出て芽が出て成長します。
左の親株の、一枚の葉っぱから成長したのが
右の鉢の子株。
葉に蓄えた養分と水分で自分を生かして
こんなに立派に成長できるのです。
もし今ストレスの最中だったとしても
心を亡くさないで、
たくさん蓄えて、感動を。
心のおもむくままに、知識と経験を。
で、心のおもむくままに過ごしていたら
不思議なご縁?で私の前に現れたMATRIX。
自我との戦い
固定観念との戦い
これは解脱の物語なんだな、
という目で見てみたら
20年前にこの作品を作ったことに脱帽です。
でも書きましたが、
フィクションの中にこそ真実があると
私は感じるのです。
Aだと言われていたことは
本当はBだ!
こんな風に、
確認しようのないことを
真実のように断言し語ることに私は違和感を感じます。
理系のサガというより直感ですよ。
いくらチャネリングやら不思議な存在から降ろされたという情報であろうと
それを感知し伝えるのは肉体を持ちこの世界で生きている人間。
自我の主観が混ざってしまう。
経験と知識による制限がかかってしまう。
解釈に歪みが生じてしまう。
本人がそこに気づかず
自分が「本当」
だとして断言し語る言葉は
本人にとって「本当」だけれど
他の人にはそうとも限らない。
フィクションは断言しない。
自分で感じ考える余白を与えてくれる。
自分の琴線に触れた部分だけ、
自分の養分にすればいい。
用意されたドアを開けるのは自分。
断言するフレーズに
強制的に特定のドアを開けさせられそうになってません?
一旦立ち止まる猶予をくれるフィクションのほうが、
自分にとっての「本当」のドアを開けれる気がします。
その特性を分かっていたからこそ
古事記もギリシャ神話も歴史書ではなく
神様の物語として語り継がれたんじゃないかな。
さてMATRIXの話がほぼできてませんが
長くなったのでまとめに入りましょう。
映画マトリックスでは
電話をとることで仮想現実から脱出し実世界に戻れるという設定だけど、これは映画の制作が1999年だから。
(電話回線を使ってインターネットをしてた時代です)
Wi-Fiの今なら電話も使わずいつでもどこでも
あっちとこっち、自由に行き来できるんじゃないかな。
カンフーもヘリの操縦も、フロッピーのデータじゃなくクラウドから自由にダウンロードし習得できるんじゃないかな。
それって最強かつなんて恵まれた時代!!
私たちは自我との戦いに、とても有利な時代に生きていますよ。
解放されたバネがどこまで伸びるのか。
自分のドアを開ける旅。
楽しんでください。