来年度から住むアパートを探している。

何軒も不動産屋を回り、間取りや周囲の環境、
家賃や交通の便などを考慮しながら家を探す。

実際に物件の内部に足を運び、不動産屋から説明を受ける。

物件を見ると、部屋のレイアウトをどうするかなど想像が膨らむ。
なかなか楽しい作業である。


しかし、様々な物件を見ていて、ふと疑問に思うことがある。

比較的最近できたアパートやマンションには、
カタカナの名前が付けられていることが多い。

ハイツ○○とかさ。

エスペランサ、アイビス、ユニティー、ドエル、
リマック、ジョイフル、ヴィラなんて名前もある。

????

不思議だ、不思議で仕方ない。

どのような理由で、
何が狙いで、
どのような文脈で、
どのような意味で、付けられた名前なのだろうか?

かつて、「マイアミ○○」という名前のアパートを見つけ、
憤慨したことがある。

ここは、マイアミじゃねーですよ!、と。

いずれにしろ、住所を書くときに、

自分が恥ずかしくなってしまうような名前のアパートにだけは住みたくないと思う。

コンドミニアムとコンドームを間違える私は、
どうかしていると思う。


[今回の参考文献]


マイアミ・バイス

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比較行動学者のEibl-Eibesfeldt(1970)によると、

ヒトにおける挨拶行動は、文化や社会に関係なく、種に固有の生得的行動だという。

挨拶行動とは、出会ったとき、お互いに目を見つめてから、

1/6秒だけ眉を上げ、それから微笑むことらしい。


これにより、お互いの攻撃性が弱められるという。


果たしてそうでしょうか?

日本でよく見かける光景に、子どもの挨拶を母親が促すというものがある。
「こんにちわは?」とかなんとか。

つまり、これは

挨拶行動が後天的に学習されるものではないかということを示唆している

それとも、挨拶行動は生体の内的状態に依存するのだろうか?
つまり、ある程度成熟したヒトにしか見られない行動だろうか?

これは研究してみる価値がありそうだ。


それでは、ヒトにおける生殖行動は生得的行動だろうか?

つまり、ヒトは生まれながらにして生殖できる素養を備えているのだろうかということである。

恐らく、性欲は生得的なものだが、生殖行動は習得的行動だろう。



子どもは、エロ本なりビデオなり、ありとあらゆるメディアから性的な情報を得るだろう。
それにより生殖行動を学習するはずである。
かくいう私もエロ本などを盛んに読み漁っていた記憶がある。

これをより明らかにする事実がある。

狼に育てられた少年・少女の話だ。


彼らは、性的に興奮することはあっても、ただ体を震わせるだけで具体的な行動を起さなかったという。
これは、どうしていいか分からなかったということだろう。

だが、地球で初の人類は、どうやって生殖行動を成し遂げたのだろうか?


誰も教えてくれない状況で、どのように生殖行動をとり行ったというのだろう。
試行錯誤の末の結果だろうか・・・・

ゾクゾクすんね。


【結論】
ヒトにおける生殖行動は、生殖だけを目的としているわけではない!!!


[今回の参考文献]


痛快!性愛学/福田 和彦

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国際コミュニケーション英語能力テスト、通称TOEICを受けてきた。 


なかなか厳格なテストのようで、

携帯電話の電源がOFFになっているかを確かめられたり、

カンニングや替え玉受験の取締りを強化している。


それは、受験生全員が公平に受験できるようにとの配慮からだろう。

しかし、どんなに公平性を保とうとしても、予測できないことは必ず起こり、

物理的に統制不可能な変数が混入する可能性を否定できない。

例えば、リスニング中の咳・くしゃみ、試験監督のヒールの音、会場における音響の違いなどである。
他にも、会場によって椅子の硬さや机の高さ・広さなどに違いが出てくる。

もしかすると、椅子が適度に柔らかく、

机が広い会場の受験生は他の会場の受験生よりもリラックスできるので、

得点が高くなるかもしれない。


しかし、これらの変数をすべて統制するのは、ほとんど不可能に近い。


これは、心理学実験における剰余変数の統制が困難であることと共通している

心理学実験で最も注意しなければならないのは、この剰余変数の混入である。
実験で操作される変数以外の変数が混入すると、研究としては致命的な事態に陥ることがある。

例えば剰余変数として考えられるのは、実験者効果・教示の仕方・音響・部屋の明るさなどである。
しかし、たいていの場合、無視できるほど小さい変数であることも多い。

他にも視覚系の実験ならば、視角によって対象の大きさや距離などが異なって見えるため、

視角1°単位で視点を固定する器具を装着してもらったりする。

認知系の実験だと、コンピューターで刺激を提示するのが一般的である。


TOEICでも、細かな剰余変数は無視されているようだ。

TOEICと心理学実験(個人差を扱う実験を除く)で違うところといえば、

個人のデータが重要かどうかぐらいだろうか。


センター試験もTOEICと同じである。

最近、センター試験への風当たりが強い。

今は、受験者と同じくらい、試験監督にもプレッシャーがかかる状況である。


だが、統制できないような変数でとやかく言うのは、あまりにも酷であろう。

真剣だからこそ、怒りもするのだろうが。


[今回の参考文献]


心理学研究法入門―調査・実験から実践まで

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おっぱい・・・

「おっぱい」と口に出して言ってみよう。
少し照れくさいような、少し懐かしいような気がしないだろうか?

「胸」と口に出して言ってみよう。
男性的な感覚を抱き、何か硬いイメージを連想しないだろうか?

「乳房」と口に出して言ってみよう。
医学的・生理学的な響き、もしくは少しの気恥ずかしさを抱きはしないだろうか?
もしくは、美容整形的なイメージを抱く。

「鳩胸」と口に出して言うと、少し吹き出してしまいそうになる。
ハト胸って・・・


このように、言葉は何らかのイメージや感情を抱かせることがある。




かつて、「♪おっぱいが~いっぱ~い」という歌があった。
「おっぱい」を連呼し、しかもいっぱいあると主張するこの歌は、甘く切ない思春期を彷彿とさせる。


小学生のとき「『いっぱい』の『い』を『お』に変えて!」という質問が流行ったことがある。

答えは「おっぱお」なのだが、誤って「おっぱい!」と言ってしまうと、

「エロい」ということになってしまう痛い質問なのだ。

これは、「おっぱい」を強く意識している人々に効果的であり、

ある種のプライミング効果なのかもしれない。

私は答えを知っているにも関わらず、この質問がされると迷わず「おっぱい!」と答えていた輩だ。


「おっぱい」に纏わる様々なエピソードは、私の原点を表しているのかもしれない。
つまり、「おっぱいへの回帰」もしくは「おっぱいに帰れ!」が私の原点であり、永遠のテーマなのである。


人は「おっぱい」より生まれ、「おっぱい」により育まれ、

やがて「おっぱい」へと帰るのである。


[今回の参考文献]

オーチンチン / おっぱいがいっぱい / SLAVE&QUEEN/岩田光央

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現代は、症候群と名のつく病気が氾濫している。

症候群が病気か否かという議論もあるが、ここでは症候群を病気として扱うことにする。


その症候群の中でも非常に興味深い(といっては失礼にあたるが)症候群がある。


例えば、ジル・ド・ラ・トゥレット症候群である。


この病気は、意識を集中している時は正常だが、

集中が途切れたり感情が高ぶったりすると症状が現れる。


主な症状としては、チックや動物的な奇声をあげ、汚言を口ばしるという。

ちなみに汚言とは、糞便関係の言葉である。

トゥレット症候群は、医者に多い病気だという。
 

他にも、クルーバー・ビューシー症候群というものがある。


これは、側頭葉の前側皮質や扁桃体の損傷により起こる病気である。

主な症状としては、身近にあるものを何でも口に含んだり、

それらとセックスするという。


この症例では、歩道相手に激しく腰を打ちつける男性や、

ガードレールを腰で揺さぶる男性などが報告されている。

 これらは深刻なものだが、現代は何でも症候群という名をつけたがり、

病気に仕立て上げる傾向にある。


人前で上手に話せないのも病気、

社会に出たくないのも病気、

タバコを吸うのも病気、


という具合である。
 

このようにして社会から排除されていく人々がいるのである。


異常と正常の境目は非常に曖昧だというのに。


常識的なことが正常なのか?

合理的なことが正常なのか?

現実的なことが正常なのか?

それとも、安心感を得られるものが正常なのか?


いずれにしろ、人間が異常者を排除しようとするのは、

不安を低減しようとしているからである。


そんなことになってくると、いろいろな症候群が考えられる。

例えば、「独身」症候群とか、「面倒くさい」症候群とか。


ニート症候群、おたく症候群、ロリコン症候群、IT症候群、

Web2.0症候群、下流社会症候群、バカの壁症候群、ヒルズ族症候群

なんてものまで出てきそうな勢いだ。


こうなると、正常な人がほとんどいなくなる。


健康増進法だとか健康グッズ・サプリメント

などが氾濫している現代なのにもかかわらず、病名は付けたがる。


全くおかしな話である。


本来、症候群とは適切で厳格な診断基準の下に名づけられるべきである。

しかし、安易に症候群と名づける行為により、

面白おかしく語られる風潮ができつつある。


これは、「症候群」症候群といえるのではないだろうか。

と、私も症候群と名づけてしまいましたが。
 

国民総病気化の日は、着々と近づいていると思える。



[今回の参考文献]

ビジュアル版 脳と心の地形図―思考・感情・意識の深淵に向かって/養老 孟司

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バカの壁/養老 孟司
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異常の構造/木村 敏
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