2008-10-30Amebaブログから
ハロウィンの頃の
まさに今、お花やさん屋レストランに飾られている、小さな南瓜のことです。
我が家では義兄が毎年送ってくれて
飾った後に、そのまま加熱してサラダにしたり、コロッケの具に
したりして食しましすがなかなか美味です。
大きな黄色いジャックランタンも
このペポ南瓜も
広く日本の文化に溶け込んでいったのは
私の記憶を辿って行くとナイトメアビフォアクリスマスが
1994年に公開された後からのように思えます。
丁度その頃、横浜から渋谷に向かう東急東横線の最後尾車両が
仮装をした外国人に占領されたという
ニュースが流れたりして、アメリカ人も大人のくせにハロウィンなんかするんだ
って思ったものでした。
川崎某所で、10月の最終日曜日にハロウィーンパレードと称した仮装パレードを行うようになって、
今年で12年だそうです。
因みに、東京ディズニーランドでハロウィーンのパレードが始まったのは
1997年とありました。
で、明日は、元町商店街で、ハロウィンがあります。
こちらは今年で八年目になるそうですけれど対称は子ども達で
明日には、
不二家のポコちゃんとペコちゃんも帰って来るそうです。
ハロウィンについての詳しい説明は、ネットの中にたくさんあり、元々は、万聖節前夜という
キリスト教の行事でしたけれど
今ではアメリカでも、宗教としてより、
年末のイベントとして楽しむ風潮にあるそうです。
私の手持ちの
俳句の季語集には
ハロウィンは無く
万聖節 としては
秋の季語になり、
諸聖人の祝日
聖徒祭
聖人祭とありますが、これは
11月1日のことです。
そして、その翌日
11月3日は諸霊祭 死者の日
奉教諸死者祭
とありますけど、
このような季語で
俳句を詠むというのは如何なのだろうと思います。
お菓子というか
食べ物を貰い歩く行事は
日本にも古くからあり
私の父は
現在の鹿児島県輝北町の出身なのですが
私が小学校に上がる年に
その父の郷里に行った際
私が七歳になるというので七軒の家から
七草粥を貰って歩くという行事をさせられた想い出があります。
また、初午の日には
子どもにお菓子を配るという風習もあり
私も小学生の頃、稲荷講をしている
近所のおばさんの家に貰いに行ったことがあり
中学生の頃には庭にお稲荷さんを祀っている
伯母に頼まれて
お菓子の袋詰めをしたことも有ります。
昭和23年生れの夫の郷里では
十五夜の夜、子ども達が
団子クンチコンコンと歌いながら月見団子や果物を盗んで歩く風習があったそうです。
日本古来の行事は廃れ
外国の行事が盛んになる
なんとも寂しい限りですが
私の幼いころの思い出の中には、紙袋を被って、襟に風呂敷を巻いて、Trick or Treatと言いながら
ご近所を回り、お菓子を貰った、というものがあります。
他所の家に行くと
入口で腕組みをして
待っているおばさん
(色白で顔は赤くて母の二倍くらい有りそうな)が怖かった思い出を懐かしみながら
明日、元町のハロウィンを見学してこようかと思います。
ハロウィンが終ると、町はクリスマスカラーに彩られ、山手の北原照久さんの、ブリキの玩具のお店の奥の棟でクリスマス装飾品を見に行くのが楽しみで
ここに入るたびに
万華鏡を思い出す私です。
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The Nightmare Before Christmasの映画の前のハロウィンは
1978年の
その名もハロウィン
というホラー映画から恐ろしいものという
イメージが強く
日本の家庭で話題に
登ることもなく
ミッション系の学校に通っていたり
教会の日曜学校に通っている人は
11月も半ばを過ぎると聖誕祭の歌の練習や山下公園通りの
産業貿易ビルの地下で行われる米軍の家族が主催するチャリティーの手伝いに行ったり
今年喜寿の夫は認知症になっても
十九の春をフルで歌えるが
私が認知症になった暁にはハレルヤをフルで歌えると思えるほど練習した思い出がある
そして厳格な
山手の教会に通う学校では待降祭が始まり
そうでない庶民的な
海岸教会に通う学校では
学校の廊下や窓ガラスにクリスマスの飾りつけをして
このブログを書き始めた頃、青年実業家という人達がネット上に
会員クラブを作り
そこで将来の子供たちのためにと
会社の上場と投資での好景気を造りだし
宝飾品を売る会社が
作った
アドベントカレンダー
という
クリスマスまでの毎日に
子どもの頃駄菓子屋に有った
めくって当たり外れが分かるような
実際は商品が決まっている
宝飾品のくじ付きカレンダーが売り出されて
元町商店街にも
平野紫耀君で有名な
ブランドの店もあったが
その後大手の経営陣は、安価な労働力と税金対策で日本を離れ
今は昔の話になって
しまった
夫の会社の事務を執りながら、社会の動向を
見ていると
景気の良い時期は
その頃の三、四十代の人の生きざまに
勢いという共通点が有ることが分かった
遊びに対しても精力的で
団塊の世代といわれる夫が20歳の時に
海外への渡航が自由になり
21歳になった夫は船でフランスに向かい
アジア大陸への旅に出るのだが
この同じ年に
二百万もの若者が同じように船で世界を目指していて
当時は敗戦国の人間であり、先人たちは進駐軍の司令官の許可を経ての渡航であり
ある意味未知との遭遇の世界だったと思う
その彼らが30代の頃に
バブルという好景気が始まっている
今の20代の人はどうなのだろう
そう言えば平野紫耀君が元いた事務所の
Snow Manという
グループの人が以前
モデルをやりたくて
自力で外国の事務所に売り込んだという話を聞いて
夢を叶えようとする姿に感動したことがあるが
今日のニュースで
そのグループの代表でもある目黒君が
映画の役をオーディションで勝ち取ったというニュースを見た
映画を撮るとなると
かなりの時間が必要だと思えるけど
それでも自分の夢に
一直線に向かうというのはカッコいいと思う
そして
自分の夢に向かって
生きている人は、周りの人のことも輝かせるのだろうと思う
そう言えば
Number_i の三人も
互いの相乗効果なのか
三人共にキラキラ度が
増してきているようで
生演奏で生歌 jazz&lap
本気で聞いてみたいと思う
コロナ自粛の始まりの年にペポ南瓜を作る
義兄が亡くなり
送別の機会もなく
実感も乏しく
賑やかな年の瀬に並ぶ
黄色い南瓜さえ見たくないと思っていたが
夢に向かって行く
Number_i と目黒君と
久々に楽しいクリスマス気分になりそうな
予感がする