2009年11月18日Amebaブログから
私の持っている本には
香具師とは、矢師 野師ともして、源頼朝の頃に始まっている、とありました。
元は隠密を務めながら主として薬を売る…。水戸黄門のヤシチみたいな人でしょうか。
『いわゆる歩き医者の徒であったものが、居合い抜きや、独楽回しなどの遊芸をして、人を集め、
商品を売る』露天営業者になったそうです。
その本の中に
江戸香具師の総領の
答申書が記載してありましたけど
凄く長かったので省略します。
で、その答申書には
徳川のことを御当家
と書き表して
隠密の訳心得方の儀は職祖長野録郎高友儀
文治の頃旧領を差上げ
准医浪人と相成り
旧従医道の門弟四百八十人を持って
香具職と唱へ候
と有り
続いて
源頼朝や後白河法皇、平家の残党云々
なんて言葉も出てきます。
そんな香具師を生業にしている人たちの事務所を近くに見つけました。
刻まれた長ネギが山のように積まれてその脇にはプロパンのボンベが並んでいて。
それらを車に積むのに際して一つでも順番を間違えると
大変らしく、
いろんなものを
出しては入れ
入れては出してと、
それはそれは
手際の悪い作業をしていました。
そして、そのほどに
トラックや
乗用車に乗って何処かに行ったんですけど
この世界も高齢化しているらしく
出かけていくトラックには
紅葉マークが貼って有りました。
私はそのトラックの後姿を見ながら
ふと、寅さんの、
『夏になったら帰ってくる、あのつばくろさえも、ある時を境にぱったり来なくなることもあるんだぜ』
って台詞を思い出しておりました。
あの人たちは、何処から来て、何処に帰っていくのか…。
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縁日の夜店の屋台で商売をする人を
的屋(てきや)というが
これは
うまく客を騙して
当たれば儲かり
外れれば損をする
として
弓が的に当たるごとに準えた言葉なのだとか
当たるも当たらぬも
というと八卦見という
占いを思い出すが
当たるも八卦、当たらぬも八卦は、客だけでなく売る側もまた常に不安定な生き様
だからヤクザな商売
同様に映像に映る人もまた
ほんの少しの自我で
今日と昨日の生活が
変わってしまう
ヤクザな商売
これを言ったのは当時
テレビに出たり、映画に出たり、ライブには
たくさんの女性が
集まっていた
グループ・サウンズの
メンバーのお姉さん
そのメンバーが結婚したという報道で
潮を引くようにファンが離れていったそう
○○○ちゃんはファンでいてくれるわよね
そう言われたので
その人が亡くなられた時にカサブランカの
花束を送ったら
○○の棺に入れさせてもらったと、お電話を頂いた
歌を聞いたことも
ライブに行ったことも
無いのだけど
笑顔のお兄さんが
幸せそうに笑うのを
見ていると、こちらも嬉しくなった
女優さんとの
結婚の挨拶に自宅に
帰る様子を
週刊紙が報じて
それ以降町内で見かけることもなくなり
お兄さんに似たこどもが早く産まれないかな
なんてことも忘れた頃
離婚したという週刊紙
その後そのお兄さんが
どんな風に落ちぶれたかという醜聞の記事の数々
一度メディアに乗った人は 全くの無名になることは無いんだなと
しみじみと思った
そしてその醜聞は幾らでも作り出せることも
最近、姉の幼馴染みで
一緒に遊んだことのある、今は既に亡くなられた歌手の方のことが悪し様にネットに書かれていて、その言葉に反撃するコメントがあり、その人の芸術性を観ている人は、その人の生きざまなど問わないんだな
と、感動した
そしてそう言えば、と
香具師の元締めの
奥さんの話を思い出した
元々は北陸の方で
何代も続く香具師で
元締めの夫が亡くなり
皆で横浜に出てきたと
夫の生きざまを見てきたから、こんなやくざな生活にも耐えてこられた
自分自身でこの年までの人生を省みると
実際は人の人生自体が
ヤクザな世界なのだと思う
人はこの世に出る時は
たった一人で、逝く時もまた、一人であり
生きざまもまた
最終的には自分自身で決めていく
自分一人が歩く道
だから時には
誰かの笑顔が
無性に恋しくなったりする
香具師という収入の不安定な生活の中で
香具師の元締めの妻で有ったことを誇りに思い、その郷土で営んでいた屋台を異郷の地でも建てているあの人も
祭りに集う人々の笑顔を生きる力にしてきたのだろう
あのお兄さんも
週刊紙に何も触れられることなくいたとしたら、かつて自分に向けられた
たくさんの笑顔が
なかったように思えて寧ろその方が辛かったのかも知れない
そう言えば
今年の二の酉は24日
彼女に会いに
行ってこようかな