天文学的な話 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

大学院の学生時代、東京天文台台長の古在由秀博士の数理解析学特論という講義の冒頭で 「君たちは宇宙に星がどれだけあるか知っているか」と尋ねられ、 われわれは 「???」 すると先生はうれしそうに 「星の数ほどあります」 「古在先生、音楽も星の数ほどあるのです」昭和39年の春のことでした。 


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20年ほど前に

ネット上で見つけた 

ジャズに関連する文章


星の数ほど

この文章の前段は音楽の話なのだが

それこそ天文学的な内容で

理解しながらか書き写していくには

限界があり

天文学を学ぶ人の脳の構造は私とは違うのだということをしみじみと悟った思い出がある


そして、あまりにも高度な脳を持つと、時折、常人の思いもしない発想をすることもあるということを人生の途上で知った


その一人

従姉の夫はある分野でフランスから招かれて大学で講義をするような人なのだが


ある時、伯母から従姉の家を建て直すと聞いた母が
大工さんの義兄に話し

義兄が当時は貴重な
サッシの引戸を枠ごと貰えないかと言い出し

それを聞いた母から
その義兄との
同行を頼まれた

従姉の家に着くと
義兄がいきなり
リビングに道具を並べ始めたので
夫が慌てて車から
養生シートを持ってきて床に敷いて
家具を動かしたその時
酩酊した従姉の夫が帰宅して

そのシートを見ると
何ですかと聞いた

夫が養生シートですと答えると

養生という言葉の意味を夫に問い詰めていた

その質問の内容の詳細はあまりにも変哲なので忘れたが

義兄が作業を終えて、荷物を積み込んだトラックで帰宅してしまってからも
ずっと続いていた

今思うと
養生という言葉とmasking seat
を頭のなかで結び付けるのに難儀していたのだろうけど
その質問のなかに学術的な言葉を加えてくるから 
いっそう複雑になり  

家に帰る車の中で夫が
こうであろうと想定しながら説明してくれてなんとなく理解出来た

養生という
言葉の使い方に疑問を抱いたらしい

らしいとしか理解出来なかったが、それでも
話していた内容は見えた気がした

ようは、入り口から
自分自身が拒絶しているから、相手の言葉や文章が頭に入ってこないのだ

音楽も星の数ほどある

それもまた理解出来た

歌は、この世に生きてきた、生きている
全ての数だけ存在する

そして新たに産まれ続ける

喃語(産まれて始めて発する言葉)
言葉をリズムにのせる
それが歌の始まりなのだと