☆2003/10/30(Thu)Yahooブログから
最近
長い間にわたり 自分が記憶違いをしていたことに気が付いた。
否、教えられたというほうが正しいと思う。
短いスパンでの記憶違いは良くあることなのだが。
私は、子どもの頃Summerwineという歌が好きで
良く歌っていた、と、思っていたが
当時、レコードをかけてくれていたお兄さんによると
Are You Lonesome Tonight
だったという。
確かに
Are You Lonesome Tonight
という歌は知っているが
それほど懐かしいとは思わない。
何処かで記憶が混同していたのだろう。
脳の記憶を司る場所は海馬というそうだ。
この海馬が損傷すると記憶力に関しても障害が生じるそうだ。
人間の脳は
終脳(いわゆる人脳)脳幹(間脳、中脳、橋、延髄)
小脳からなっている。
と、図鑑などに書かれている。
その脳を包む頭は
サンスクリット語ではレーコン
マレーのマサイ族ではコービ
インドネシア語でウタマ。
最高、最上の意なのだそうだ。
インドネシア語のウタマとチベット語のカブリが
日本語のかぶりと頭になったといわれている
頭を使うとは
蜘蛛の糸を見て吊り橋を創造することだと書かれた本を読んだことがあった。
蜘蛛の糸を見て
レースのモチーフを想像してみては
などといっているようでは
あまり頭を使ったことにはならないのだろう
と思う。
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10月生まれの夫は
今年喜寿を迎えた
喜寿は、漢字の喜ぶという文字の
草書体(略字)が
七を重ねて表しているからだそうで
特に儀礼的な意味合いは無いようだ
因みに80は傘寿
90は卒寿になる
喜寿と同様に草書体が
80傘の崩し
90は
卒の崩しが
卆になるから
しかし99は白寿
百という漢字に
壱足りないから、と
長寿を祝うというのは古く平安時代に長老を尊ぶ儒教の国中国から
伝来したそうだ
その頃の日本人の平均寿命の記録は無いが
宮本武蔵は人生50年と謳っているのだから
喜寿どころか還暦まで
長らえた人さえ珍しかったのだと思う
私の記憶では中学生の頃まで
還暦が長寿の祝いとされ、80を越えて亡くなると大往生になり
同級生の家では
鯛のお頭付きの料理が出される祝宴が親族で催され
近隣の人には
家の前に設えられた
祭壇に 葬式饅頭と
黄色い箱のキャラメルが重ねて置かれて、
お饅頭は大人に
キャラメルは
通りかかった子ども達に長寿のおすそわけとして振る舞われていた
なので、傘寿や卒寿などの祝いはそう古くなく、たぶん祝いに紫の布団をと宣伝していた業界の営業戦略が産み出した習わしではなかろうかと思う
最近は介護施設で
ベッドで寝る人が多くなったためか、
その戦略のCMも観ることが無くなった
脳が元気でさえあれば
世界一長寿を目指すのも悪くはないと思うが
自分が知らないうちに脳が衰えて周りに迷惑をかけたくない
というのは歳を重ねた人の
共通の悩みで
出来れば健康で
ピンピンして、そしてコロリの
ピンピンコロリが理想で
たぶん、生活習慣病などになって、定期的に病院にかかる人は
健康体でない長生きの部類に振り分けられるのだと思う
認知症の症状自体は
解明されつつあり
進行を遅らせる薬も
既にあるけれど
認知症になることを
防ぐという予防策は
まだ無いようだ
生まれつき脳のキャパに制限があるかというと
子どもの頃当時特殊といわれた教室に通っていた知人は
70を越えた今も
介護施設の送迎車の
運転をしているから
その説は成り立たないと思う
一つ確実にいえるのは
私の知る限りでは
俳句を嗜んでいる人は
認知症になりにくい
ということだろうか
母や叔母にいわせると
言葉の閃きと整頓を
一度にするから、脳ミソ全体が使われるからたとか
確かに参加していた
句会の席には
九十になる方が
一人で横浜から東京の港区の会場に欠かさず
参加されていた
なので私も
駄作と理解しながら
俳句を詠んで
脳の鍛練をしている
今月は、その母が産まれた月であり
伯母が亡くなった月
でもある