10月 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

横濱俳句倶楽部ほのぼのとから

 

10月の異称は長月から始ります。 

 

そして、菊月、菊咲月、菊の秋、色どる月、

紅葉月(もみじづき)、梢の秋、寝覚め月、稲刈月、小田刈月、紅樹、玄月

 

とも表現します。 俳句では、季節を、初秋、仲秋、晩秋 (孟秋・仲秋・季秋)

と分けて表現して

 

10月は晩秋になります。 

 

晩秋は、おそあき、とも読み、季秋、末秋、末の秋、ともいいます。 

 

三つを通して表現する季語は、

三冬三春、三夏、三秋という風になり

 

 初秋は、残暑の頃であり

仲秋は、お彼岸の頃です。

 

そして、三秋には

秋日、秋の朝、秋の暮れ、夜長、秋麗、

爽やか、身に入む(みにしむ)などの季語があります。

 

 晩秋になると、秋寒、うそ寒、夜寒、など、寒さがやって参ります。

 

 俳句にはまた、中国古代の文学や天文学から来た独特の表現があります。 

 

狼獣を祭る(おおかみけものをまつる) 

狼が獣を生贄にして天に祭る、

という意味で、天文学から、

旧暦の九月の第一候を言っているそうですが、私には、深い意味はよく判りません。 

 

雀蛤となる(すずめはまぐりとなる)/雀大水に入りて蛤となる(すずめうみにいりてはまぐりとなる)/雀化し蛤となる 

 

これも中国の天文学から来ていて

旧暦九月の第二候なのだそうです。

 

 全て飛ぶものは化して、潜物になると考えられていたそうです。雀の羽と蛤の色が似ているので、このようにいわれたと

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amebaのブログに関するヒントで過去の投稿を載せてみようと思ってフロッピーやUSBを

見つけ出し、いろいろと探していく中で

2002年以前の文章が見当たらず

 

1999年に

さるさる日記というブログサイトが出来て

それ以降、Exciteやgooなど

いろいろなサイトで書き綴って来て

それぞれ保管してあったはず

昨日その保存されているUSBを見つけた

のだが

 

その大半は当時のメールアドレスに

保存されていて

今のパソコンのアドレスでは開くことが

出来なくなっていて

 

ウェブサイトは変遷が多く、心配だからと

メールに保存したのだが、メールも

やっぱりウエブサイトに変わりなく

自分の知識の至らなさを痛感するばかりで

 

痛感と言えば、夫が骨折で入院している間に

コロナで病院が閉鎖され、看護の手が不足したのか、カンファレンスでは二足歩行が可能だったのに、退院時には要介護4という状況になっていて

 

その状態で自宅介護し始めた頃、歩くことが出来なくなったので

ほぼ1日中聞き出していた夫の青春の日々の旅物語のコースを真逆にとらえて書いた

ブログもまたメールに保存していて

 

なるべき早く正しいコースのお話を書かねばと思っているのだが

 

 

夫をお願いしていた介護施設の方の

思い遣りで

薬を飲みやすくして頂いたために

その効能が得られず

血糖値が上昇しての反抗的な言動が

施設側から

認知症によるものと判断され

退所とともに入院することになって

 

医師からは血糖値は改善出来るが

認知症の余命に関しては

覚悟も視野に入れるようにと

 

 

YAHOOブログを書いている頃

父の主治医であった医師に

母がお世話になった時

 

その医師が

ご自身は糖尿だが70を過ぎているので

食事制限はしないと言われた

 

糖尿による余病を心配して

家族に迷惑までかけて老いていくより

 

好きなものを食べて早〇したほうが

家族のためにも

自分自身の精神衛生上にも良い、と

 

夫のタイプの認知症は発症後の余命は

10年とされているそうだが

その計算で行くと、あと1年になる

 

末期の方は行動が攻撃的になるそうで

夫もまたそれを疑われた施設からの

強制入院だったが

実際は施設の方の投薬法の誤算での

血糖値の上昇による苛立ちという

医師の診断だった

 

薬に関して錠剤では飲めない

だからと言って飲むたびに粉にする

そんな手間が掛けられるほど

今の施設の人手はたりていないと

 

私の身内で介護の現場にいる者から

常に伝えられていることもあるが

妻が介護することが不可能だから

あかの他人にお世話になる

 

その時点で

快癒して退院するという選択肢の無い夫の、夫としての人生は

実際は費えているのと同じようなもの

 

病院に入院する夫は

私に対して他人に話すような

丁寧な言葉で応答していて

人格そのものは変わらないのだと思った

 

その夫を

このまま医療の現場にお願いするか

自宅に連れて帰るか

 

もし自分が強制的に連れ帰って

夫の満足心に応える為に

意図的に夫への投薬を止めたり

夫の欲しがるものだけを与えたり

他の医療機関にかけなければ、

私自身が法に触れてしまう

 

妻に対するプライドから

全身をかけて介護拒否する夫を

何かの形で拘束すると

それもまた罪になる

 

本当の意味で人間の、家族の

尊厳を守るとは

どんなことを言うのだろうか

 

介護の現場にしても、認知症の末期で

暴力的になった人に対して

何の措置も出来ず、一方的に廟力を受け

介護する側が少しでも間違えれば

それが時には利用者への配慮で有っても

 

家族から多額の損害賠償を請求される

 

そういう形で良いのだろうか

 

ある意味、介護の現場の人に対する

人権蹂躙にも思える

 

そう思うと、効能の無い薬を投与して

病状を悪化させた施設側に対して

私は何も責めることが出来ない

 

夫への薬を粉にしたことは

けして悪意からとは思えないから

 

私にとって夫は

夫以前に、尊敬出来る人であり

いつでも誰に対してでも

丁寧な言葉で接する人であり

他人に迷惑をかけることを

何よりも嫌う人間であり

要介護4になっても

ありがとうございます

という

感謝の言葉を言える人であり

 

家族に対するプライドだけは

失くして欲しい人であり

 

10月は夫が生まれた月でもある