ダダ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2010-10-22Amebaブログから

今日は、中原中也の亡くなった日。
中也忌。

40年前の女子高生達は、中也、そして、矢沢宰に惹かれていました。

早世された若者に、どこかニヒリズムを感じ、同化しようという乙女心があったのかも知れません。

横浜駅のダイヤモンド地下街に行き、(ふらんそわ)洋菓子店の包装紙を求めて、それを、文庫本のカバーにする。

その絵柄は、東郷青児の描く、優美な日本美人の世界。

いつもは、日に焼けて、健康そのものの友人も、彼等の詩の虜になっているときには、明日にでも労咳で死にそうなことを言う。

きっと彼女達の脳裏には、己が姿は青児の描く日本美人そのままだったのだと思います。

中学も、高校も、ボーっと空を眺めている、現実逃避型の私には測り知れない乙女の世界。

テストのたびに、字の書き方が汚いと、full markからマイナスしていく英語の先生がいました。

金曜日になると、土曜日は礼拝の為に、学校はお休み。

すると、その先生は不謹慎にも、教会に行く事をやめて、ご自身が授業を受け持っているもう一つの、近くの公立校の授業を見に来ないかという。

行く方も、行く方なのだが。

私の中で、中也や矢沢に憬れるのは、ミッションの女の子独特なものだと思っていたが、公立の高校の女生徒も、同様に彼らに憬れていると知って、少し驚きました。

しかし、彼女達の持つ本は、(ゆうりんどう)の包装紙で、そして薄汚れて。

その本を見て、汚れちまった悲しみ を思いました。

よその制服を、それも、女子高の制服を着ていくわけに行かないので、紺のブレザーを着ている私は、彼らには、その先生の助手に見えたようでしたけど、しかし、それでも、私は、その学校にとっては、全くの異端者。

生徒の一人が、中也の本を見せて、ダダイズムというのを知っているか、と。

ダダ、フランス語で、木馬のこと。

私は、知りません、と。

知っていたのかいなかったのかは忘れたが、知っているか?という言葉が凄く嫌だったことだけを覚えています。

巳年の女は執念深いのです。

大理石の、磨き上げられた床に、整然と並ぶ机と、スチームの音と、礼拝堂と。

雑然とした机と、黒々とした木の板の床と、達磨ストーブと。

私自身も、何処かでしっかりと、東郷青児の世界に埋没していたのでした。

既成を相容れない、それがダダイズム。

理性を優位におく既成のあらゆる価値観を否定し、芸術の自由な発想と表現を目指した。

反合理主義・反道徳の態度を特色とする。

ダダイズムに奉じる人をダダイストという。

何故それをダダイズムというのか。

フランスのキャバレー、ヴォルテールで、詩人T・ツァラが、酒の余興に辞書に適当にナイフを刺したところ、フランス語で、木馬、スラブ語で、相槌、という言葉に突き当たったからと。

人間の自己主張の始まりなんて案外そんなものなのでしょう。

私を公立高校に連れて行って下さった恩師は、英作文を絶対に直訳しない私に、君は駄々っ子のように頑固だね、と、言っていた。

先生、あれは、友人に向って、Will you be home this Sunday ?「今度の日曜日に、あなたは家に居てくださるでしょうか?」などという言葉でお話したことが無かったからです、
と、今、告白している。

ダダイズムは詩人からやがて芸術家に波及し、シュルレアリスムとなっていきます。

そして、中也に夢見た少女達は、リアリズムを信奉する、心身ともに立派な、お母さん達になっていました。

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昨日、日本の歴史史上初めて女性の総理が誕生した。

1993年8月
女性の総裁誕生のニュースが
巷に溢れてから約20年

女性が衆議院議員の議席を初めて得られた昭和21年4月から、既に80年近い歳月が流れている

漸くというには長すぎる歳月だと思う

そんななかで
失敗したら後進に悪影響だから望まなかった、と、女性総理の誕生を危惧する発言をする同性のコメンテーターが存在した

失敗したら

これまで歴代の総理に、失敗も失言も無い、国民やメディアから一度も悪評を買ったことの無い総理など存在しただろうか

その女性のコメントを聞きながら
始まりの無い物語など存在しないことを認識せず
ダダイズムという言葉のみに憧れた年頃の自分を思い出した