米 | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

2006-10-6ameba俳句季語から
 

今年も新米をトラックに積んだ夫の兄が

北の町から我が家にやってくる季節に

なりました。
 

横浜でも地下鉄沿線には

まだまだ田圃がたくさんありますが

夫の郷里福島での田園風景を

三十数年前に初めて見たときは

思わず深呼吸をしたくなるほど感激しました

 

金色の波の上の木々の深緑と

その中に点在する赤い林檎と

その上の山並みと

もっと上の真青な空と

 

まさに美しま福島です

 

生まれて初めて訪れた筈の田園を見て

懐かしく思うのは

瑞穂の国の民の魂の原風景だから、

という文章を読んだ事がありますが

実際に経験すると

正にそうなのだと、遠い祖先からの

DNAを改めて実家案します

 

田には 山田 

峠田(とうげた //とおだ、と読ませる苗字があります) 

麓田(山の麓にある田) 

裾田(主に、富士山の裾野に広がる田) 

峡田(きょうだ 荒川区には、はけた、と読ませる地域や学校があります) 

棚田(急な傾斜地に、階段状に作った田) 

千枚田(棚田が集結している様子) 

 

神田(しんでん、古代、収穫を神社の祭事・造営などの諸経費に充てるために設定された田、公田に準ず


不輸租田であり、売買は禁じられた。御刀代(みとしろ)。)
※地下鉄舞岡駅下車で、舞岡公園方面に行く途中の神社の前の田んぼが神田です。
 
離宮田(皇居の中の田) 

門田(かどた・もんでん/門の前にある田) 隣田 町田 遠田 近田 小田 

開拓田(山や林を開拓して作られた田/開田村として、名前が残っています) 

干拓田(干潟を開拓して作られた田/八郎潟の干拓田が有名です) 

休田(やすみだ) 休耕田 廃れ田 枯田

新田(新たに開かれた田のことで、
かつて、家長制度の頃、新居を構え分家した家の田のことも言いました) 

美田(地味のよく肥えた田地。「児孫のために美田を買わず、の美田です。) 

隠し田(隠田=中世・近世に、隠れて耕作し、年貢や祖税を免れた田。かくしだ)

鋤田(鋤かれた田) 荒鋤田 打田 代田 水田 深田 泥田 浮田 植田 青田 

旱田(旱で、水が干上がった田) 

日焼田 稲田 稔田 穂田 晩穂田(おくほだ) 

風倒田(風で稲が倒れた田) 刈田 落穂田 

櫓田(ひつじだ/刈り取った稲の跡に、稲穂が生えた田)

金魚田 藺田(ゐだ/い草を植える田) 

紫雲英田(蓮華を咲かせた田) 

雪解田 葭田(葦を植えた田) 

田圃 田畑

そして、稲

稲刈 秋師 秋女 刈稲 田刈 小田刈る 秋田刈る 夜田刈 収穫(とりいれ) 
稲刈鎌 稲車 稲積む 稲舟 

俳句の中では、稲を積んで運ぶ車は、稲車 舟は、稲舟 馬は 稲馬としていますが、
これは、作者の造語であろうと書かれていました。

刈り取った稲は、稲架に掛けて、干し、乾燥した稲は、稲叢に積んだり、納屋の稲蔵に積んだりして、
稲扱きをします。

稲干す 刈干 稲掛 干稲 稲塚 稲堆 稲叢 稲垣 

稲架 はざ はさ はで はつき はさ木 稲木 稲城 田茂木 稲積(にお) 稲棒(ぼっち)
 
稲扱き いねこき 稲打 脱穀機 稲扱機 稲埃 いなほこり 

籾 もみ 籾干す 籾筵 もみむしろ 籾殻焼く 
※昔、近くの農家で稲作をしていた頃、籾を庭の中央に掃き寄せて、小山として燃やし、
その煙が夕暮れの中に白々と棚引いていたのを、懐かしく思い出します。

籾摺 籾摺臼 籾臼 籾引 籾埃 籾摺唄 籾摺機 夜庭 よには 朝庭 大庭 小庭 庭揚げ
※籾摺は大変な仕事で、夜遅くまでかかったことから生まれた季語なのだそうです。
この季語を見ると、安寿と厨子王を思い出します。

鎌祝い 鎌納め 鎌あげ 刈上げ 刈上の節句 刈上餅 秋収 あきおさめ 秋揚げ 
秋振舞 田仕舞 秋忘 
※秋収めとは、春夏に播いた五穀を秋の日に獲り収めたことと受け取りそうですけれど、
実際は、収穫が終わったあとのお祝いの飲食を言うそうです。

秋田県では、農機具の『埃払い』とも、
長野県では、『秋よび』『あきご』『こばしあげ』ともいうそうです。

豊年 豊の秋 出来秋 豊作

新藁 今年藁 

藁塚 にお 藁にお 藁ぐろ 藁こづみ

夜なべ 夜業 夜仕事

俵編 米俵編む 炭俵編む
※夜なべというと、勉強であったり、針仕事であったりを思いますが、
俳句では、稲作が終ってから、藁草履を編んだり、俵を編んだり、粉ひきをすることをいうそうです。
ですから、晩秋の、秋の季語になります。


田といえば案山子ですけれど、農作物を守る手段にはおおよそ三通りあるそうです。

一つは、田の神を迎え豊穣を祈りまた害を避ける方法で、神の依代の人形や神札を田畑に立てたり、
注連を張ったりするそうです。

中部では、そめ、北陸、近畿以西では、おどし、おどせ 、おどろかし、九州以西北では、とぼし、
とうぼし、というそうです。
鎌しめという、鎌と鍬とに菅笠を着せて立てるものもあるそうです。

二つ目には、襤褸、毛髪、獣肉、魚の頭などの悪臭を焼いて、注連に下げたりする、かがし、焼しめ、

三番目が、物音を立てる法方です。

添水 僧都 そうず ばったんこ 山田の僧都 唐臼 からうす 兎鼓 うさぎつづみ 
※田畑を荒らす鳥獣を追い払うために、竹筒の一端に水が一定量溜まると、水が弾けだした勢いで、
もう一方の竹がその下の石にぶつかって、音を立てる仕掛けになっているものです。

僧都もまた、少彦名神が顕した、久延毘古(くえびこ)の異名について、古事記、神代巻に
『今に山田の曾冨騰(そほど)といふぞ。この神は、足は行かねど、尽の天の下の事を知れる神なり』と、案山子のことをいうそうです。
唐臼は、それを使って米を搗いたことからいわれるもので、兎鼓は、九州で呼ばれているそうです。

案山子 かかし そめ おどし おどせ おどかかし とぼし とぼうし 鎌しめ 嗅し 焼しめ 
かかし かがせ 鳥威し 鳴子 引板 ひきいた 鳴竿 鳴子縄 鳴子守 鳥威し 威し筒
※よさこい踊の手に持たれているのが、鳴子です。

今は見られないそうですが、その昔は、田守 小田守る 稲番 田の庵 田番小屋 
など見張りを立てて、収穫の前の田を守ったそうです。

俳句では田を守る番をいう田守は、稲田を守る神様のことをいうのが通例だそうです。

鹿や猪に荒らされないよに、火を焚いて番をするのは、鹿火屋 かひや かびや 鹿火屋守 鹿垣 
ししがき 鹿小屋 ししごや 犬垣 猪垣 いがき ししぐね

というそうです。

新米の炊き立てに

横浜橋通り商店街の真ん中あたりの

お惣菜屋さんに売られている

初卵という卵かけご飯にして食べるのが

ここ数年の我が家のブームです。

この初卵、サイズはSSで

鶏が初めて産む卵のことだと思うのですが、殻が硬く、黄身は大きくて、
お箸で持ち上げることが出来るほど

新鮮なのです。

我が家に届くのは玄米のままですけれど

お店で買うときは

一度にたくさんではなく、
少しずつ買うほうが良いそうです。

お米といえば

私達が10代の終わり頃の世代までは

お米は配給制で米穀手帳なるものがあり、
その手帳がないと

お米が買えなかったそうです。
 

その通帳の威厳は大きく

身分保障にもなり

質屋でお金を借りることも出来たくらい

だったとか。

それから、お塩や煙草、樟脳もまた

専売公社の許可が無ければ

売ることが出来ず、その最後の砦
煙草の専売が撤廃されたのは

昭和60年のことです。

お米にしても、自主流通米としながらも

作農家が

実家から娘の家にお米を送る量さえ

規制され、
作主でも自由に売り買い出来る民間流通米となったのは

ほんの数年前2004年のことだそうです。

私が子どもの頃千葉県から

山下公園へ渡る船に乗って

背中に担いで売りに来るオバサンの
持ってくるお米は

闇米と言われていました。

誰々の専売特許、とは

そのような独占的なことを揶揄して

生まれたのだそうです。
 

お米でも、お塩でも

自由に買えるようになったのですから

日本も進化しているんでしょうね。

===========

お米の漢字の成り立ちは八十八

 

八十八は、

 

八十八日間の日数を要するからとか

田を起こし、苗を植え、下草を刈り、稲を刈り取り、波佐にして干し、脱穀して、米糠を払い、白米にするまでの

手間の数を表しているとか言われるけれど

 

実際はその手間や日数に加え、天候や作柄

そして出来高によっても、農家の人には

大変な苦労があるそうで

 

昭和の大恐慌と言われて

第二次世界大戦への引鉄になった

東北の飢饉は、その前年の豊作による

お米の価格の下落が一因ともなっていたと

記録されている

 

東日本大震災のおり、避難準備区域で

暮らしていた義兄は

作物を作り、売ることを禁じられたそうで

横浜に来て農地を買って、と勧めた私に

自分は自分が食べるだけの米を作って

この街で暮らすという返事をして来た

 

その後、長い間福島のお米はスーパーの棚に

遺されたまま

 

そして巷では、コンビニやスーパー

そして自宅から出るご飯の廃棄量が

年間数百万トンという事態になり

海外に販路を作り、売り出そうとした

その矢先に

メディアで大きな地震に対する

個々のお米の備蓄を報じると

安価なお米が一斉に商品棚から消え

 

通年なら当たり前の価格の

所謂高額のフランド米だけが残り

 

メディアが海外に売り出していると報じれば

日本人の主食を海外に売るという話になり

 

政府が備蓄米を一般に開放すると

いつもはブランド米を食べている人が

大量に買い占めるという

 

この様子を見ながら

 

嘗て日本が

帝国陸軍の支配下に有った頃の話を

親達から聞いたことを思い出した

 

天皇陛下を盾に国民を弾圧して

時の政府をも無視して

国民を独裁的に支配した陸軍

 

その陸軍の裏についていたのは

今でも残っている

多くの商社だったということ

 

昭和40年代に、当時小豆相場という

投機が目的とされていた大福の中身が

何を理由にか、突然市中から消え

それに伴って多くの品物の値段が上がり

 

その結末は商社の倉庫を調査したことで

明るみに出た買占めであったこと

 

嘗ての日本には身分制度というものが有り

 

士農工商とされていたが

商人がその一番下にされているのは

実際は商人が武士、政を諮るる人々を

牛耳っているのが悟られないため、という

 

ある国に行き、そこで仕事をして

ある時、商社とその国の役人との結託で

即日仕事を失くした夫を見ていると

何百年経とうと、商人の力は

変らないのだと、しみじみと思った

 

そして

島国で有った日本が二百年以上もの長い間

鎖国で来られたのは

周りが海に囲まれた田園の国であったから

という話を思い出した

 

海幸彦と山倖彦の国

 

確かに

おにぎりは塩だけでも十分に美味しいと思う