2003/09/21 (Sun)YAHOOブログから
子どもの頃、透明人間現る、という映画を見て、本気で怖くなり、家中の鍵を閉めて廻ったことがあった。
真夜中に、といっても、午後八時過ぎくらいのことなのだが、外で人の声がすると、今しも、体中包帯だらけの男が、家の中を覗いているような、そんな気がした。
そう思いながらも、私は、ハヤカワSFシリーズが好きで、良く読んだ。
その原作者、H.G.ウェルズは、1866年の9月21日に生まれたのだそうだ。
H.G.ウェルズは、アインシュタインが相対性理論を確立させる前に、小説の中で既に、四次元というものを作り出し、また、核兵器というものを作り上げている。
1938年10月30日のハロウィンの日に、これから始る、ラジオ劇場の、ウェルズの宇宙戦争の内容を、キャスターが、ニュース速報のように脚色して流したことから、本当に火星人が攻めて来ると信じ、全米中がパニックに陥ったそうだ。
その時のキャスターの名は、奇しくも、H.G.ウェルズと同じ、(オーソン)・ウェルズ。
彼は、この後、当時の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに、自ら脚本した市民ケーンを初めとして、第三の男、白鯨など、多くのアメリカ映画に、時には脚本家として、時には俳優として、関っていったのだそうだ。
多分、英語の教材のCMなどで、彼の髭の顔に見覚えのある方も多いことだろうと思う。
オーソン・ウェルズは、23歳のそのときに、もし、宇宙戦争の中の文章に現実味を持たせたら、と、空想したそうだ。
そして、その空想はラジオにより、彼の描いた現実
人々にパニックを与えるというシーンになった。
一方で1933年の今日、9月21日に亡くなった宮沢賢治は、銀河鉄道の夜によって、宇宙を空想しているが
賢治は、空想を空想のままにして、時空を彷徨うことを楽しんでいたのだろうか。
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古さとに帰る人は急ぎなさい、というHOMEにてという歌を聞くと
銀河鉄道を思い出し
一方でチャンスの後頭部には
髪の毛の無い話を思い出す
この瞬間扉に飛び込まなければ
故郷に帰ることは出来ない
それは同様に
チャンスと巡り会った時は
迷うこと無く前髪を掴むということであり
如何なる理由であれ
人が進む道を迷うなら
それは本当に自分が望んでいる道ではないということなのだろう
私は自分の人生において
それほどの何かを望んで生きたことが有るか
自問すると
即答で、無いとしか言いようがない
迷うことなく進んだ人が成功していく姿を
羨ましいと思ったこともない
たぶん、羨ましいと思う気持ちは
何かを目指した経験から
どこかで決断しなかったことへの
後悔の思いがあるからなのだろうと思う
私の、私自身のidentityというものが
確立した私の人生の始まりは
四歳の頃の
ドンリーブミーアローンという言葉で有り
常にその瞬間共鳴してくれる仲間を
求めていたことに始まっているように思う
瞬間、だから、その先に期待はしない
そして、小学一年の夏が来る前の
医師からの死亡宣告
これ以上の延命は不可能と
生命維持装置を外された時に蘇った意識
たぶん、そこで
生きるというのは自発以外に道はないと
経験したのだと思う
小学四年で、二十歳迄に再発すればと
だからその時はそれを受け入れろと
医師に言われて
何度目かの二十歳をクリアして
今現在に至るけれど、最初の死亡宣告の時に
経験した、魂の浮遊からか
子どもの頃、大人になっても、家族でさえ
俯瞰した目で見てきたように思う
なので私の人生の原点は
ドンリーブミーアローンの時代のまま
いろいろなものに好奇心を持って
頑張っている人の背中を見て楽しむ
電車やバスの中もいろいろな人の顔を
盗み見て、その人の背景を密かに空想する
そんな楽しみに浸っている私は
ある種人生道の変態かもしれない
しかし、ネット上で語られる
大半の人の意見は空想の範疇に過ぎず
結局、人の大半は人生道の変態ということに
なるのだろうと思う
だからこそ人生は楽しいのかもしれない