秋桜  | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

 2003/09/20 (Sat)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから  

今日は彼岸の入り。

今の時期になると、久里浜緑地公園のコスモスが、満開になって

それは見事な花の絨毯を作り上げている。

コスモスは、その名の通り

COSMOS、宇宙のことだが

語源は、ギリシャ語の、秩序、飾り、

美しい、と言う言葉から来ているそうだ。

コスモスの花が風に揺れながら

群れて咲いているさまを

宇宙で輝く星に擬えたのだろうか。

コスモスは元

メキシコのもので、日本に入って来たのは

江戸時代のこと

そのときは花弁が桜に似ていることから

秋咲く桜として

秋桜(あきざくら)と言われていたそうだが

コスモスが観賞用の植物として広まったのは

1876年に東京美術学校の講師として

イタリアから来た

ラグーザという人物によってなのだそうだ。

彼は、教え子の後に日本人として初めての

女流画家になった清原玉

本名、清原多代を見初め

いろいろな贈り物をし

結局は妻として

お玉をイタリアに連れ帰ったというが

恐らく、コスモスの種で

この花の由来でもある、ギリシャ語の

KOSMOSの解説でも

されたのではなかろうかと思う。

コスモスといえばもう一つ

水上勉の

釈迦内柩唄、という小説を思い出す。

これは、火葬場の、遺体を焼く

所謂、隠亡(オンボ)の女性の半生を綴った作品だが

この女性の父親は、焼いた遺骨の残りを

裏の草原に撒いて

そこにコスモスの花を無数に咲かせるのだ。

私は、後にこの作品を映画によって観たが、多くの葛藤を乗越えて

父の跡を継いだ女性が

その職業によって、人から忌み嫌われ

蔑まれながらも

父が残したコスモスを見ながら

人の顔がそれぞれに違うように

コスモスもまた

一輪ずつ違う顔をしていると

 

「こいはお母はんがもしれねぇな」

という姿に

仕事の尊さというものを深く感じさせられた。

釈迦内とは秋田県の花岡鉱山の近くに

実在する地名なのだそうだ。

彼岸 コスモス 宇宙

人は死して何処に向かうのか。

もしかすると、想い出という

遺された人の心に向かうのかもしれない。

どれだけ多くの人の心に向かえるのかは

その人それぞれの生き方に拠るのだろう。

コスモスは、俳句では秋の季語だが

私の持っている歳時記には

『「秋桜」は名だが、ダリア、チューリップなどと同じように、コスモスはコスモスがいい』

と、飯田龍太によって書かれてあった。

しかし

嘗て師と仰いだ高浜虚子に反旗を翻した

水原豊は

それには賛同しないだろうと思う。

何故なら、彼の俳号は、秋桜子なのだから。 
=====================

昨日の過去のブログと

今日の過去のブログは日にちがずれているが

過去の話なのでこのままでいいかな、と

 

 

何年くらい前からだろうか

墓終いという言葉が

ネット上で見られるようになったのは

 

このお墓というものは

もとは

ピラミッドとか、前方後円墳とか

その時代の高貴な人物を祀るもので

 

一般人は山や谷底に放り投げていたそうで

 

その放るが葬るに転化した

という文章を読んだことがある。

 

その後

仏教伝来と共にお墓という概念が伝わり

寺の僧兵がいる江戸時代辺りになると

名字帯刀を許された者が個々に墓を建て

 

いみじくもこの仏教伝来が日本人の中に

人の差別というものを創り出す訳で

 

ジョン・レノンの

人と人との隔たりは宗教が創り出す

というのは合っているように思う

 

総国民に名字が付くようになると

そのあたりの名主などの墓が出来

 

一般人個々の墓というものが出来たのは

案外新しく、昭和の、戦後なのだとか

 

私が子どもの頃

親族の墓があるお寺に行くと

その墓地の一角に

無縁仏を埋葬する場所が有って

家族のいない人や

今はホームレスという形しかないが

当時は旅をして、途中病死や事故死をして

身元の判明出来る

米穀通帳などを持っていない人は

その場所に葬られると聞いた

 

そこには家族のお参りに来た人が

花や線香を手向けていたが

造園という形で作られたお墓には

そのような場所は無かった

 

団塊世代になり、お墓のブームが起き

横浜の郊外もいろいろと造成されて

雛段のような場所に同じような墓が並ぶ

 

その姿はまるで団地の建物群に似て

 

それを揶揄して

団地で生まれ、団地で育ち

団地の墓に入る

などという

四コマアニメを描いた人もいたりした

 

そこで問題です、という話でもないが

横浜の地に地方の人が移り住む

団地というものが出来たように

個人で一区画を買うという霊園というものが出来た時

ある元総理は

その土地を造成する建設会社に

人生修行として勤めていたことがあると

戦後、

公職追放令で無職になった時

知覧の空港跡の造成を

その方の父親と一緒にやったという

父に聞いたことが有った

 

奇しくも夫がその会社と縁があり

部長さんが見えた時にその話をすると

無いとはいえないですねというお返事で

 

父が存命だったら

外洋船の船長だった父と同じように

船で海外に出かけたり

父との関りのある会社と取引していたりする

夫といろいろな話が出来たのかも知れなかったかも知れないと

 

ナントカ構文のように

そんなことを思ったことを思い出す

 

夫は、魂になって暗い石の下にいるのは

厭だということで、私もそれに同意だから

夫婦で海か山に散骨して貰うという話になり

山よりは海が良いということで

海洋葬というものを希望しているが

ネット上で、予約可という文字を見ると

どれくらい先まで

予約可能なのか聞いてみたくなることがある

 

もし、夫の父のようであれば

今から30年以上先になるかもしれないが

その頃、御社は健在でしょうか、と

 

 

世の中には案ずるより産むがやすし

という言葉があるが亡くなる時も同様に

日々思い煩うこともない、と

 

私は今年もお墓参りに行く予定はないが

久里浜のコスモスは見に行ってみたいなと

思っている

 

その前に

奇跡の豊漁と言われる秋刀魚を

出来れば今週中に食べたくて

酢橘と大根だけは手に入れてある