2003/10/01 (Wed) YAHOOブログから
今日は、十月一日。
今日から、石川町の駅から溢れる女子高生の制服は、いっせいに冬服になる。
昨日までの白い半そでのブラウスや、セーラーから、紺一色に変わっていくのだ。
制服が必要なくなって、そして、子どもにもまた制服が必要なくなった今、家の中の温度は一年を通して殆ど変わることがないので、あえて夏冬変える必要も無く、また、衣類をしまってある棚は全て見通しが利くので、衣更えというものを、意識することが無くなった。
よっぽど暑いか、寒いかのほかは、一年を通して、間着状態という方が正しいかもしれない。
月曜日の朝、数日お天気が続いたので、衣更えならぬ、虫干しをすることにした。
二階の、衣類部屋の窓も、箪笥の引き出しやクローゼットの扉も、全て開けておき、一緒に、今は全く着ることの無い、娘の成人式の晴れ着や、江戸褄や、絵羽織や道行をお茶箱から出して、部屋の中に渡した竿竹に広げて干した。
それらの着物は、風を通し、そして畳む。
着物の畳み方は、子どものころから母に教わっていたので、簡単だった。
夕方帰った娘に畳み方を教えながら、色とりどりの着物を畳(たとう)に収め、そして、紙縒りの紐を結ぶと、子どもの頃の、虫干しの日を思い出した。
母が家の中に干した全ての着物を、一枚一枚、身に纏っては、いつかお嫁さんになると、そんな夢を見ていた頃。
その頃の私の思うお嫁さんは、誰かのもとに嫁ぐ、というものではなく、紙で出来た、着せ替え人形の、お嫁さんだった。
そして、着物を畳むことが簡単であると思えるように私を躾けてくれた母をありがたいと思った。
それぞれの服も、着物も、穏やかな秋風を含んで、心なしか、ふんわりしたように思えた。
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衣替えの歴史を辿ると
日本の平安時代に中国の官僚登用試験制度という、有能な人物をあらかじめキープしておくシステムの中で、十月一日にその衣を夏から冬への様相に見合うものに変えたことに由来するとか
百人一首に出てくる歌人の、柿本人麿という日本人も
科挙で学んだそうだが、彼の地で病んで不帰の人となったそうだから、衣替えを伝えたのは別の人なのだろうと思う
科挙の決まりについては、四月の新年度や、二月の入試もそうと読んだ記憶があるが、入試については、現在の中国の大学受験になると
高校の学生生活の中で既に始まっているそうで、その結果で行く大学が決まるのだとか
つまるところ入試について
科挙の習慣を守り続けているのは
日本の学校や会社
ということになるのだろうか
思えば中華街にある学校でも、私が通っていた幼稚園でも、外国語に関して発音を中心にしていたが、日本の学校では単語の意味を中心に教えてくれていた
だからか、かつてテレビのアナウンサーはイントネーションに至るまで標準語を話さなければならず、そのために厳しい教育指導を受けてきたそうだ
しかし、今は標準語の、インとネーションそのものが珍しい存在になりつつある
なのに教育の現場では、相変わらず極寒の時期に受験させて、外国語に関しては正しい発音を求めて
若い世代に不必要な苦労をさせるという
若い世代といえば今の高校生達は自主的に得意分野を見つけて、そのスキルを伸ばしているそうで、企業ではその柔軟な思考のうちにと、高卒の求人を年を追って拡大し、今年はその求人数が過去最大になるというニュースを聞いた
時代に取り残されているのは、実は教える側の大人達なのかもしれない
今は十月一日で衣替えが出来るような気候でも無いように思う