今日は2009-09-11横濱俳句倶楽部ほのぼのとに掲載した
虫の鳴き声について
台風一過の夜の街に立つと、チラチラと星が瞬く空があり、足元からは虫の音が絶え間なく、
何処からか金木犀の香りが漂っていました。
虫 とすれば、俳句では、秋鳴く、蟋蟀として、秋の代表の季語になります。
虫の声 虫の音 虫すだく 虫時雨 虫籠(むしこ) 虫屋 虫売
虫合せ 虫聞 (虫の鳴き合わせをすること)虫狩 虫吹く 虫選び
虫すだく は、漢字で書くと、集く、になり、虫が集まる、という意味になりますが、俳句では、虫がしげく鳴く様子を言います。
万葉の時代には、秋に鳴く虫は、全て、蟋蟀と呼んだそうです。
また、平安の頃は、蜩もまた、鳴く虫に加えられていたそうです。
『堀河百首』の中に、秋の題として、 『虫』の他に、松虫、鈴虫 轡虫 蜩 蛬(きりぎりす)、と、蛬を、きりぎりす としていますが、現代では、蛬は、こうろぎ と読みます。
『堀河百首』平安後期の歌集。長治二年(1105)頃。堀河院御時百首和歌。
因みに高浜虚子は蟲と書いています。
虫の種類は
松虫 鈴虫のちょっと大型 チンチロリンと鳴きます。二昔前までは、松虫を鈴虫、鈴虫を松虫、
と呼んでいた事もあったそうです。
鈴虫 月鈴子 げつれいし 金鐘児 きんしょうじ 大和鈴虫 鈴虫は、リーン、リーンと鳴く。
幸田露伴の、『乃至百千萬億悉皆非なり』と、全てを非、と否定し、
『芭蕉は中気病みの独語、其角は幇間の太平楽、茶番師』と言い放つ、紅星 という題名の
哲学小説の中に、『金鐘児と如玉の紛紜にひとしく』という言葉として出て来ますが、
鈴虫を何故、月鈴子や、金鐘児というのかは、見つかりませんでした。
松虫 金琵琶 きんびわ ※青松虫 ちんちろりんと鳴く虫です。
澄み切った松籟の音色のような鳴き声から、松虫という名があるそうです。
金琵琶については、中国の、揚子晩報というサイトに、金琵琶又名金虫吉蛉、柴蛉,
是蟋蟀科中著名的鳴唱能手、と書かれていました。
青松虫は、外来種で、木の上にいて、チリリリと鳴くそうです。
鈴虫と松虫の混同については、今でも、地域によっては、鈴虫をチンチロリンと呼ぶところがあるそうですので、完全に解決されているわけでもないようです
蟋蟀 こほろぎ つづれさせ蟋蟀 姫蟋蟀 大和蟋蟀 東京蟋蟀 つづれさせ つづりさせ えんま蟋蟀油蟋蟀 三角(みつかど)蟋蟀 おかめ蟋蟀 ちちろ虫 ちちろ 筆津虫 ころころ
単に蟋蟀と呼ばれているのは、つづれさせ蟋蟀のことで、リーリーリーと鳴き、姫蟋蟀、大和蟋蟀、
東京蟋蟀とも言われるそうです。
えんま蟋蟀は 夜昼問わず、コロコロコロコロコロリーン、と、鳴き、大型で、頭が閻魔王に似ていて、また、前翅が油を引いたようなので、油蟋蟀ともいうそうです。
三角蟋蟀は、頭が三角で、リリー、リリー、おかめ蟋蟀は形も鳴き声も小さく、リリリリッリリリリッと鳴くそうです。
万葉の時代には、蟋蟀のほか、松虫 鈴虫 キリギリスなどは詠まれていないそうで、
その後、螽(キリギリス)や、竈馬(いとど)とも混同された時代があるそうです。
また、古歌 古句に、いとど鳴く、とされているのは、蟋蟀のことなのだそうです。
竈馬 いとど かまどうま かまどむし おかま蟋蟀 裸蟋蟀 えび蟋蟀 おさる蟋蟀
大きな蚤のような、と、説明しても、多分、そちらも解らない方がいらっしゃることと思います。
便所蟋蟀などという、気の毒な呼び方もされている、暗くじめじめした所にいることの多い虫です。
蟋蟀(こおろぎ)キリギリスと混同されているところがある。閻魔蟋蟀はコロリンリン、と鳴き、
つづれさせは、リーリー、と鳴き、ミカド蟋蟀は、リリリリと鳴き、おかめ蟋蟀は、リリリリッリりり、
と鳴くと、高浜虚子が書いておりました。
つづれさせ、とは、その鳴き声が、『寒くなるぞ、肩刺せ 裾刺せ 綴れさせ』と鳴いているように
聴こえるからです。
*学名を、おかまこおろぎ、という、竈馬(かまどうま、いとど)は鳴きません。
飯田龍太は、褐色の裸の体に、長い触角を振って、闇に跳ぶところは陰気くさいが、
反面、一種のおかしみを誘うところもある。馬とは面白い文字をあてたものである、
と書いていますけれど、古歌や、古句の中で出て来る『いとど』は、蟋蟀のことを言ったそうです。
他に、裸蟋蟀、えび蟋蟀、おさる蟋蟀、という季語があります。
*草雲雀 関西では、晩よりも朝鳴くので、朝鈴というそうです。フヰリリリ、と鳴くそうです。
*轡虫 ガチャガチャ、と鳴く虫です。ですから、がちゃがちゃ、という季語もあります。
馬の轡のような音を立てるので、そのような名前が付いたということです。
*鉦叩 チン、チン、チン、と、鉦を叩いているように鳴きます。
*螽斯 きりぎりす 機織 はたおり ぎす 藪きり 草きり 笹きり 萱きり
蝗に似て大きく、昼間、チョンギース、と鳴くそうです。
機織は、古く、機織女 はたおりひめ 機織る虫 と言われた名残だそうです。
馬追 うまおひ すいっちょ すいと
スイスイスイッチョ、と、馬を追う声に似ているからなのだそうです。
緑色でかなり大きいです。大佛次郎は猫のしろきちのお腹で鳴きだす、
『スイッチョ虫』という童話を書いています。
轡虫 がちゃがちゃ 駄菓子屋の前にある100円入れると、おもちゃが出てくる機械ではありません。
轡とは、口食みが転訛した、馬の手綱を付けるために、口に咬ませる金具のことです。
ガチャガチャと鳴く音がその音に似ているところからついた名だそうです。
飛蝗 (虫篇に奚 と、虫篇に斥) ばった(撃の上の部分の下に虫と書いたものと螽)
はたはた きちきち ばった ばたばた きちきちばった 精霊ばった
蝗 螽 稲子 いなご 蝗捕り 蝗串
昔、義母が、産後に良いからと、蝗の佃煮を持って、来てくれたことがありました。
生まれて初めて見、初めて食す、その様子と感覚はなんとも言えなかったのですが、今思うと、何故か、もう一度食べてみたいような気がするので、不思議です。
蟷螂 たうらう かまきり 鎌切 とうろう 斧虫 いぼむしり いぼじり 拝み太郎 かまぎっちょ 小かまきり 祈り虫
日本大歳時記を読みながら、時折疑問に思うのですが、俳句は詩でもあるから、美しい言葉、というのに、いぼむしりとか、いぼじり、などという季語が果たして必要なのでしょうか。
蟷螂の別名に、夜郎自大、というものがあります。
人民中国のサイトに、夜郎国の王が漢国の強大さを知らずに、尊大にふるまった故事によるものである。と、ありました。
*邯鄲 邯鄲の夢、という諺が中国にありますけれど、これは、盧生という青年が、栄枯盛衰の夢を見たところでもあり、儚げに鳴くこの虫の名の由来になった地名でもあるそうです。
レリレリ、ともフィヨロ、とも鳴くそうです。
*茶立虫
岡本綺堂の、むかし語り、の中の、江戸の残党、という作品の中に、この名前が出てきます。
茶立虫 茶柱虫 ちゃたてむし 小豆洗い 粉茶立 隠座頭
お茶を立てるような、とか、小豆を洗うような音を立てる、とあります。が、悲しいかな、私は、
この茶立虫の羽音を、未だ嘗て聞いたことがありません。
では、実際聞いた人によると、どのような音なのか。薄田泣菫の『茶立虫』という随筆に、
ふと気がつくと、すぐ側にたてかけた障子のなかから、微かな物音が伝はつて来ます。
「と、と、と、と、と、……」美しい銀瓶のなかで、真珠のやうな小粒の湯の玉が一つ一つ爆ぜ割れるのを思はせるやうな響です。間違はうやうもない、茶立虫の声です。
と書かれています。
もしかすると鳴くかもしれない、というのに、蚯蚓鳴く、螻蛄(けら)鳴く、けら鳴く
という季語があります。
螻蛄自体が鳴くことが未確認な頃は、蚯蚓鳴く、地虫鳴く、すくもむし、などどもしたそうです。
螻蛄はまた、泳いだり 飛んだり 木に登ったり 走ったり 穴を掘ったり、
五芸が出来るそうなのですけれど、どれも今ひとつ上手で無いので、多芸だけれど拙い人のことを、
けらの芸、と言ったそうです。
何でも出来て然れども芸の拙いのを螻蛄の芸といって軽蔑する、と、高浜虚子は書いております。
実際は、残暑の寝苦しい夜に、ジージー、と、送電線のような音を立てる虫が螻蛄です。
幼い頃、大人から伝え聞いた言葉遊びでは『お前の○○○○どのくらい?』と聞くと、螻蛄が、
これくらい、と大きさを示してくれるそうです。
放屁虫 へひりむし 三井寺ごみむし へっぴり虫 へこき虫 三井寺斑猫 みいでらはんみょう
この虫については、三井寺ごみ虫の別称と、カメムシ、ごみ虫、オサムシなど、
捕えると悪臭を放つ虫の総称と、二説あるそうです。
いったい、こんな季語で俳句を作る人がいるのか、と思っていたら
御仏の鼻の先にて屁へり虫 と、一茶が詠んでおりました。
そして、秋の野の枯れ木に、枯れ枝のようにぶら下がっている、蓑虫
みのむし 鬼の子 鬼の捨子 みなし子 親無子 木樵虫 蓑虫鳴く
蓑虫の雄は春になると蛾になって飛び立つのだけれど、雌は一生を袋の中で過ごすそうです。
蓑虫鳴く そして、鬼の子 とは、枕草子 第40段の『虫は』の
蓑虫いとあはれなり。鬼のうみたりければ親に似てこれも恐しき心あらむとて親のあやしき衣ひき着せて
いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」と言い置きて逃げて去にけるも知らず風の音を聞き知りて八月ばかりになれば「父よ、父よ」とはかなげに鳴くいみじうあわれなり。
から来ています。
蓑虫の蓑を取り外し、いろいろな色の毛糸の切り屑を入れた箱に、入れておくと、
とても綺麗な蓑を作ります。(絶滅危惧種なのだそうで、今そうすると、逮捕!されるかも)
実際に蓑虫が鳴くわけではありません。
同じように、鳴くことの無い蜘蛛が鳴くとして、芭蕉は、蜘蛛何と音をなにと鳴く秋の風
という俳句を作っています。
秋の昆虫は稲舂虫 いねつきむし 米搗飛蝗 米を搗くような動作をする飛蝗のことです。
稲虫 いなむし 稲の虫 稲子麿 全般的に稲に集る虫をいい、実盛虫と呼ばれる害虫を指し、
虫送りの対象となる虫のこと、なのだそうです。
浮塵子 うんか 糠蠅 泡虫 実盛虫 『実盛虫』実盛とは、斉藤別当実盛という、平家の武将で、戦いの最中、稲の切り株に足をとられた恨みにより、虫に変じた、と、俳句の季語集にありますけれど、謡曲実盛、というものによりますと、元は源氏であった実盛が、倶利伽羅峠から、小松へと、追い詰められた平家のために、御歳、72歳を、髪を染めて偽り、かつて懇意にしていた、木曽義仲と戦って討ち死にしてしまう、と、何処にも、恨みというものは見当たりません。
しかし、老いた身で、我が年齢を悟られないために髪を染めて戦う、ということには、やはり、壮絶さを感じさせて、芭蕉は、奥の細道の途で、『むざんやな兜の下のきりぎりす』と詠んでいます。
窓の外から今聞こえている虫の音は、綴れさせのようです。
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チンチロリンという賭博用語は賽子が壺のに振れて立てる音をいうとか
壺に賽子と言えば、中華街では丼に大豆で
戦う、シーコーという博打があるそうで
博打打の人も風流を求めるのだろうか
などと
秋の夜長でもないのに当てもないことを考えていると
まるで割れ鐘を叩くような雨音がしてきて
見に行くと、息をするのも苦しくなりそうな
その雨を見ながら、テレビで報じていた
昨日の東京の水害の様子を思い出し
今の時代はお店の前とかに
土嚢などは積まないのだろうかと
不思議な気がした
過去に
同じような突然の雨で地下のお店に
水が流れ込んで犠牲者が出だり
通学中の小学生が通学路を帰る途中
水に流されたというニュースが報じられ
その後、雨の予報が出ると
家の前に土嚢を積む様子が報じられていたが
今回のニュースには
そんな様子は映っていなかった
最近は土嚢でなくても
今の時代は土を使わなくても
水を防ぐものがあるそうだが
個人的に用意するには場所も取るだろうから
自治体や企業などで準備するべきではと思う
どれだけ時が移ろうと
人を助けるのは
結局人の力でしかないと思う