オー・ヘンリー | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

2002/09/11 (Wed)Yahooブログから

 

今日は彼が生まれた日。

 

高校時代、彼の短編小説をたくさん読んだ。

 

The Last Leaf、The Gift of the Magi、

そして、The Romance of a busy Broker・・・。

 

彼は、医師の子として生まれるが

三歳で母を亡くし

未婚の叔母によって育てられたそうだ。

 

そして、18の頃から作品を作り出し、

29で銀行の勤めた折

雑誌の出版をするのだが

そのとき、銀行のお金を流用し、

妻を亡くした後、5年の刑に服し、

そこでまた作品を作る

という人生だったとか。

 

その後、47歳でこの世を去るまでに

短編集13冊、短編272を作り出した。

 

彼は言う、Write what you like,

 there is no other rule.

 

彼の中にあったのは

若くして亡くなった母と妻とへの

限りない慈しみと悲哀だったのだろうか。

 

どの文章にも、人の世の、如何ともし難い、優しさと、寂しさが漂っている。

 

彼の作品で最も印象的なのは、After Twenty Years だ。

 

二十年後に再会を約束した二人の男。

 

興味のある方は是非読んで欲しい。

 =======================

 

Write what you like, there is no other rule.

 

好きなことを書くのにルールなどいらない

 

これは私が物を書く時の指針になっている

 

私が東京の出版社に勤め始めた頃

オタクの始まりの

同人雑誌を作る人達が世の中に増え出し

神田の古本市には

大きなリュックを背負って買い出しに行き

そこで文学論に花を咲かせた人同士が

嘗てはラジオ少年のたまり場だった

秋葉原の喫茶店に向かい同人雑誌を作る

 

その時集まった人達は名前を名乗らずペンネームで参加して

個人的にはペンネームを名乗ることもなく

お宅は、と質問する

 

そのお宅をヲタクとして

アニメのマニアを言い表すようになったのは一つの残酷な事件の加害者の存在から

 

秋葉原電気街は、かつて十代の少年が

真空管ラジオを作るために集った場所

 

私の兄や先輩たちも、日曜日になると

早朝、当時省線と呼ばれた電車で出かけて

コイルや真空管を買って自作のラジオを作り

何を言っているのか

たぶん、ロシアとか北朝鮮とか

アメリカの基地から発信される

短波放送を聞いて楽しんでいたが

仲間と言っても

ラジオを作るのが目的であったらしく

お宅などと呼ぶ必要は無かったみたいだ

 

昭和の頃、ママ友とか、〇〇の会とか

そんな親睦会がたくさん出来て

 

そのことを揶揄して

とかく目高は群れたがる

などという言葉が

流行ったことが有ったが

それは実名で有り

 

近年はネット上で

同じ趣味嗜好で知り合った人同士が

ハンドルネームで一堂に会するという

嘗てのお宅と何ら変わりなく

 

それはカタカナのヲタクではなく

 

同じ世界を楽しむ同士が匿名で

現実の世界で集うという

原点回帰のように思えて

歴史は繰り返すんだなと

しみじみと実感したりする

 

そう言えば

1960年代から70年代の

古本市の頃に

神保町に溢れていた同人誌のお宅たちは

どこで何をして暮らしているのだろうか

 

当時、仕事で博報堂に行く私と出会って

君も行くのかと、イッパシの女史のような

言葉を発していた友人も

今は古希を越えていると思うのだが

 

オーヘンリーの

After Twenty Years のような結末に

なってさえいなければ、それでいいかな