今日という日 | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

■ 2002/05/15 (Wed)YAHOOブログから  

 

1932年、今から70年ほど前の今日(5月15日)、

「国家改造」を目指す海軍、陸軍の青年将校らが

犬養毅首相らを襲った。

「話せばわかる」という時の首相の言葉は

「問答無用」によって打ち消され

首相は将校たちによって撃ち殺された。

所謂、5・15事件。

その4年後の2・26事件を経て

日本は戦争の時代へと突き進んでいく。

そんな経緯のある同じ日

1932年の今日(5月15日)

女性専用おしゃれ煙草が発売されたそうだ。

 

その名は「麗」

「Frailty, the name is woman

フレイル、名前は女性

 

彼のシェークスピアがハムレットに云わしめた台詞。

まあ、母親が王である夫の死を悼みつつも

ひと月もしないうちに

王の弟クローディアスの妻になったことへの

皮肉が過分に込められているように思えなくも無いけれど。

「女は弱し、されど母は強し」

とおっしゃるのはビクトル・ユーゴー。

今日(5月15日)はまた、ストッキングの日でもある。

そうそう

今日(5月15日)は市川房枝さんのお生まれになった日でもあったっけ。

戦後は女と靴下が強くなった

なんて言葉があったなあ。

まあ、母は強くなければ。
何しろ「原始女は太陽であった」のだから。

そして今日(5月15日)は、沖縄県が出来た日。

今から丁度30年前の今日、午前零時。


 ============================

今日は、1945年に1939年9月から

1945年8月までの

丸6年に及ぶ戦争が終わった日

 

この日学校では

それまでの

現人神という天皇陛下を擁立した

軍事国家教育を悪として

教科書に載るその関連の文章を全て墨で塗りつぶし

昨日と今日で、常識というものが真逆になったそうだ

 

昨日まで正しかったことが今日は過ちになる

 

もっと厳しく、昨日まではそれが正義であったものが

その日を境に罪になる

そんな感じだったと母が話していた

 

最近のいろいろなルールの変化を見ていると

なんとなく戦後のその

教育の有り方と似ているのではと思うことがある

 

特にテレビの世界のコンプライアンス

 

コンプライアンスというその一言で

一人のタレントが業界から抹消される

 

そして、実際はその業界を支えているはずの

般視聴者にはその内容は一切伝えられず

 

番組を下ろされたり

所属先から排除されるのだから

たぶん

それに見合う違反をしたのだろうと思う

 

冷静に考えると

 

今の状態は

 

仲介の弁護士を立ち会わせた上で

当人とこのような話し合いをした結果

ということもなく

 

一人の人の罪を

企業の代表が断罪しているという形になっていて

それを誰も不思議に思わなくなっている

 

詳らかにしないことが当人のため

 

その奇妙な親切心が

いつか一般人にまで波及していきそうで

嫌な感じがするのは

今日が終戦記念日だからという訳でも無いと思う

 

 

実際の戦争というものは

実際に戦争を経験した人にとっては

 

戦争を経験し、他国に出兵し

相手の命を奪うべく戦うという

経験をした人の心の中の重責は

経験したことの無い人間には決して理解出来ない

まるで灰色の大きな幣のような怖さがある

 

それを知ったのは、私が中学生の頃

 

当時、テレビでは、不戦の誓いのためなのか

8月になると、日本軍の戦争時の映画を放映して

 

その日もテレビで零戦の映画が

報じられていたそうで

 

それを昼間テレビで観ていた

数軒先のおじさんが

夜、突然大声をあげて

そしてそのまま絶命したと

 

母が

その大声で驚いた隣人に聞いて帰って来た

 

死因は脳溢血ということだった

 

よっぽど戦争で怖い思いをしたのね

母が小さな声で話していた

 

戦争が終わり

既に10年以上経過しているのに

戦争に怯えるという

 

テレビに向かって何度も怒号を浴びせていたとか

 

そのおじさんは密葬として誰にも見送られず

荼毘に付したとして

家の前に祭壇が設えられることも

近所の人が焼香に行くこともなく

 

遺骨を抱えて

足早に家に入っていくおばさんと

その家の子ども達

 

戦争映画に怯えて死んだおじさんを恥だと思っている

というおばさんの言葉

 

私は

戦争は誰のことも幸せにしない

それだけを理解した

 

今日、80年目の敗戦の日

 

戦争に行き、戦争を経験した多くの人にとって

今日という日は

ただ穏やかなⅠ日であって欲しいと思う