■ 2002/05/27 (Mon) YAHOOブログから
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今日、早朝雷が鳴った。
それが合図かでも有るように篠突くような雨が降り出した。
子供の頃、遠足や運動会の朝に、花火が上がった。
今のように生活騒音の無い時代には、かなり遠方まで、その音は届いた。
お昼に食べるお弁当は茣蓙と一緒に父と母が持ってくる。
そしてお昼は、まるでお祭りのような賑やかさで、校庭いっぱいに、宴会の席が出来る。
ヒトは何であれ、ヒトが集まることは嬉しいものだ。
あと数日で、サッカーのワールドカップが始まる。
テレビも新聞も、挙って開幕を待ち切れないという様子を連日伝えている。
サッカーのワールドカップの開催地が日本に決まった瞬間は、やはり私も嬉しかった。
そして、四年。多くのことに感激し、期待もした。また、随分長かったと思うが、過ぎてみると、もう、という感じだ。
そういえば、オリンピックも四年毎。
次回の開催国のヒトは、きっと心弾ませていることだろう。
今日(5月27日)は1959年に、日本の東京がIOCによってオリンピック開催の地に決まった日。
あのオリンピックの時のように
世界のヒトとともに楽しみたいと思う。
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先日、日本のサッカーの先駆者ともされる
釜本さんが亡くなられたというニュースが
スマホ画面に流れた
サッカーと言えば、私が幼い頃
暮らしていた街にはYC&ACという
古くからサッカーやテニスを楽しむ
広場があり、当時はアメリカ人の
私が高校時代になると日本の若者が
サッカーを楽しんでいた
釜本邦茂さん
この方の名前を知ったのは
中学の同級生の家に有った冊子からだった
その家のお父さんは
どこかの会社の部長さんで
その当時の部長さんは
お抱え運転手とお手伝いさんがいる
広い庭を板塀で囲む家に住んでいた
今なら上級市民とでも言われるのだろうか
その当時は三畳一間に親子三人
中には四人暮らしをしている家庭が有っても
また、親の都合で施設から通う子がいても
同級生の間で
貧富の差というものを感じることは無かった
たぶん、当時は、大人と子どもの間に
大きな境界線が有ったのだと思う
世の中というものはその時代時代に依って
その時代の人の生き方で変化していく
昨日のブログに関してコメントを頂いた
昨今の猛暑に着いて、どのように対処するか
横浜市では、戦後、社会党の飛鳥田さんが
長い間市長をしていて
横浜の形をいろいろと変えていった
みなとみらい地区の展望も
赤レンガ倉庫の再利用も
この市長さんが発案したものだと
記憶している
ただ一つ、赤レンガから山下公園
そしてその先までの電車を走らせるという
構想は、先立って造られた高架線のお陰で
公園前の建物からの眺望を
10年以上に渡り塞いでしまい
最後には有志により、一億のお金をかけて
撤去することになった
物事の良しあしは共兎も角として
そんなふうに改革的な市長さんゆえに
一般市民からの提言を
「市長への手紙」として受け取るという
素晴らしいシステムを残してくれた
当時は実際に市長さんに届くという
そんな形でお返事も頂いた
私自身も石川町駅周辺の路上駐車や
街灯など、気が付くと気軽に手紙を書いて
石川町の駅周辺が駐車禁止になった時は
自分の手柄のような気分になった
昨日の、猛暑日の対処
個人一人が頑張ったところで
猛暑への対策が出来るものでは無い
私も確かにそうだと思う
暑さ対策
それで思い出したが
家の近くのスーパーには
双方に出入り口のある
真っすぐな通路が有って
昨今のように暑い日や、また寒い日
風の強い日など、近隣の保育園の子が
一列に並んでその通路を通過している
そして昼近くになると
どこかのディサービスの利用者と
付き添いの人がフードコートの一角で
談笑して過ごしている
いずれも平日だけのことのようで
日曜日に見かけることは無い
そのお店にしても、近隣の人達や
その子ども達なので、顧客にもなる
ということなのか、注意を受けている
場面を見たことは無い
たったこれだけのことなのだが
たった一時間でも、どちらの施設も
冷暖房機器を使わなければ
空気汚染の軽減になりそうに思う
そして、韓国のテレビの
バラエティー番組で、どこなの離島で
俳優たちが畑や海で獲れたものを使い
自炊する番組の中で
大きな木の下に縁台を造り
その縁台で
島の人達が涼んでいる様子が映り
近くの公園にこんな木が有ったら
木陰で涼むことが出来る上に
近隣の人と顔見知りになれて
何かあった時に助け合えるのでは
なんて思った
コメントをくださった人には
私は思いついたことを市長への手紙に書くと
お返事したが
具体的なことは書いていなかった
結果的に言えば、やはり一人だけでは
どれだけ頑張っても
温暖化を止めることは難しいことだと
分かった
しかし、声一つでもあげて行けば
その声が大きく成長して
生き方の形を変えるきっかけに
なるかもしれない
蒔かぬ種は生えぬ、ということだろう
ところで、他の市町村では
横浜市のように
市長への手紙という形で個人からの意見を
受け入れるシステムは有るのだろうか
最近はlineというものもあるのだから
以前より一層意見を聞きやすく思うのだが