■ 2003/08/05 (Tue)横濱俳句倶楽部ほのぼのものとから
鶴を燃やした青年が通っていた大学に
在校生や卒業生から20万羽のお詫びの鶴が届いたとか。
この広島に原子爆弾が落ち
一帯が焼け野原になり
もう二度と、草木は生えないだろうとされていた所に
一番先に蘇ったのは、夾竹桃の花だったのだそうだ。
夾竹桃という名は、桃に似ている花と、竹笹に似ている葉から来ているのだそうだ。
この夾竹桃は
しかし、オレアンドリンやネリオドレインという
有害成分が入っていてとても危険な植物でもある。
今から数年前
海外で、ピクニックに行っていた若者が変死するという
事故があり、いろいろな検査の結果
この、夾竹桃の枝を
バーベキューの串に使っていたことが判明されたのだそうだ。
英名の、Rose laurelとは
月桂樹に咲く薔薇、という意味になる。
この夾竹桃は排気ガスを除去する機能を備えているので
高速道路などの街路樹としても用いられている。
俳句では、叫出冬(きょうしゅつとう)
半年紅(はんねんこう)
桃葉紅(とうようこう)ともして、夏の季語になっている。
=============================私が勉学を学んでいた頃
元々は、広島城の地下に作られた陸軍の基地を
標的にしていた
とか
数日前に求められた降伏を拒絶したためだとか
いろいろな人が語っていた
海軍の下士官として徴兵されていた父は
アメリカの軍が狙わないように
山手の某女学校の地下にも
少年兵の鍛錬の場が有ったと話していた
数えで13、4歳の子が天井からの
落下傘降下の訓練をすると
夜中に怯えて、血の混じったおしっこをする、と
父の経験以外は、真実は分からないし
例えば陸軍が早期に敗戦を認めて
果たして今のような、八十年に渡る
不戦の国を貫けたのか
また、主権が在民で有り得たのか
分からない
分かるのは
今、日本国民はこの80年
武器を持たされて、戦争に行く
という経験をしてこなかった
ということだけだと思う
この先、世界の事情がどんなに変わろうと
その事実だけは有り続けて欲しいと思う
豊かな国の人は戦争はしない
豊かでない国
働く場所がないからと
旅人に銃を持たせて
空に向かって射撃させる
その射撃した弾をお金欲しさの子どもに
競わせて拾いに行かせ
時には不発の弾が暴発して
子どもの命を亡くす国
荒れ果てた地で食物が育たず
食べるものが無くて、親から見捨てられて
マンホールの中で暮らし、成長して
母親になっても
生まれた子をマンホールで育てる国
路上で競って通る車の洗車をしたり
物売りをする子どのいる国
小学校に入る年になった女の子は
海外からの旅人に身体を与えなければならない国
これは1960年代から90年代の
海外の子ども達の実際の様子で有り
その全ての子達は日本のいうところの、義務教育さえ受けていない
しかし、本当に貧しいと思えるこの国々の国民は
実際は自分達から戦争をしていない
戦争を起こすのは、よりお金が欲しい商人と
その商人からよりお金を得たい政治家
最近、今の時代は昭和に比べて貧しい
という言葉を
ネット上で多く見かけるようになったが
その比較対象にされる
1960年代10年間の
中学生の就職率は男女合わせて60%以上
10人の内、6人が中学を卒業したら
親元を離れて他人の家で暮らし
朝から晩まで仕事をしている
ということになる
その働きに行く人の夢の大半は
自分が働いたお金で
お腹いっぱい饅頭を食べること
幸せであるということに慣れてしまうと
幸せであるということに渇望して
もっと幸せになりたい
という気持ちが起こり
そして他人を羨み、時代を恨む
少し前に、一人の歌手が、彼に憧れているという
一つのグループの歌手に
楽しんでやれてますかと
聞かれた彼は
楽しんでやれてます、と答えていた
1960年代に懸命に生きていた人たちに
今、今の時代に生きる人達は
楽しんでやれてますか、と聞かれて
何と答えるのだろう
例えば夾竹桃のように、実生活の中では
毒になりかねないような植物でも
未来の見えない地に咲きほこれは
人に希望を与えてくれる
1960年代の人達が
生き生きとして見えたのは
他人から与えられる
楽しみや幸せを求めていなかったから
なのだと
楽しんでやる、楽しんで人生を生きる
それは、全てに恵まれているから適うという訳ではなく
いろいろな環境を乗り越えて
自分自身が創り出すことで得られる感覚なのだと
そう思う