2003/07/24 (Thu)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから
鎌倉の道を歩くと、お寺の石垣や、生垣から
溢れるように、この花が咲いているのを見かける。
凌霄葛の凌霄とは、中国の言葉で
霄=のう(そら)を凌=せう(しのぐ)という意味なのだそうだ。
日本には平安の頃、この音に、及宇世宇という字を当てて
漢方薬として用いたのだそうだ。
今は、鎌倉だけではなく、何処の町に行っても、
この花が惜しげもなく咲いている姿は見られる。
しかし、かつては、一般の家に植えられることがなく
専ら神社やお寺の境内に咲いていたという。
その理由は、
江戸時代の本草学者小野蘭山の著書「本草綱目啓蒙」が、
寛文12年(1672年)に「校正本草綱目」を翻刻されたときに
貝原益軒が書き足した「花譜巻之中」六月の行に、
其のつる長数一尺のとき、木を得てよぢのぼり、
松ノ木におおくははしむ。藤かづらのごとし。
花黄赤色なり。夏秋花をひらく。
花を鼻にあててかぐべからず。
脳をやぶる。花上の露目に入れば、目くらくなる。
とあったことから、それを信じた人たちが
恐れて、庭に咲かせることを嫌ったのだそうだ。
俳句では、凌霄の花、凌霄花、のうぜんかずら、とし、夏の季語になっている。
学名の、Campsis grandifloraは、Campsis(おしべが)湾曲で
grandiflora大きい、花、という意味なのだとか。
英語では、Trumpet creeperという。
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真夏のま青な空の下で、紅蓮とも違う
夕暮れの陽のようなこの花が咲いていると
何故か見知らぬ街に来たようになるのは
あの鎌倉の今は見なくなった黒塀の細い路地裏の道に
迷い込んでしまったことを思い出すからなのだと思うが
思い起こせば俳句教室というHOMEPAGEを運営していた頃
私の周りには多くの俳人がいて、その人たちの所属する結社の主宰の
酒席にも招かれることが多くあり
その場所の大概が鎌倉の細い道を入った小さな店で有ったりした
そしてまた、この店は何々が旨いだのと紹介されるのだが
私自身は来る時に既にさんざ迷った、帰る道の心配をしているという
その時の憂鬱な思いがそうさせているのかもしれない
山下一海先生を含めて、彼らはそれぞれに句集等をくれたのだが
手元にあるどれにも、私の名前に恵存と記されているので
私が突然有名にならない限りは、私と同様にひっそりと消えてくことだろうが
共に去るという、それもまた楽しいかもしれない