死生観 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/07/08 (Tue)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから


七月とは、日本書紀の、孝昭天皇の行に

元年秋七月(ふづき)都を掖上に遷したまひ

これを池心の宮といふを始まりとする。

というところから来ているそうだ。

ふみづきの成り立ちは

稲穂をふくむ、ふくみ月が転じたもの

また、織女に書文を供える文月でもある、といわれる。

別名には、星二つが合う月、あい月、七夜月、秋初月、

ふみひろげ月、涼月、親月、銭月、蘭月、孟秋、立秋、

新秋、処暑、桐秋、素商、夷則、桐月、流火、首秋、

上秋、金神、三陰、筆秋、となっている。
 

星が二つ合う、あい月、などは

七夕のことを言い表しているのだが

俳句ではしかし、夏の季語になる。

七月が始まり、雨脚が安定しなくなる頃、

梅雨の終わりが近づいて

本格的な夏が日本列島の南から始まる。

そして、子どもの頃の我が家では

やはり本格的にナイターを見始める。

円いちゃぶ台に西瓜と枝豆

そして蚊取り線香とテレビから聞こえる球場の声援。

夏の夜はそれが楽しみであったのだが

今年は、今日にでも、阪神の優勝が決まりかねない様子。

もっとも、枝豆も西瓜も、蚊取り線香も

まして、円いちゃぶ台など

端っから無いのだから、仕方ないか。

斯くなる上は、ポップコーン片手に

MLBの再放送でも観るかな。

因みに、ナイターは、俳句の、夏の季語になる。 

 

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最近はナイターという言葉さえ使われなくなっているようで

西瓜さえスーパーでは丸ごと売る店が少なくなった

 

仕事の帰りに、玄関の引き戸が開け放たれ

簾の下がった中から大人と子供の歓声が聞こえてくると

ああ夏だなあと、夏を実感する

 

その頃の街は夕方には大概の店が閉まっていて

道路には街灯の灯と

家々の玄関から漏れてくる団欒の灯

 

野球の中継が終われば、もう真夜中の光景になる

 

街に今のような街灯が普及したのは

昭和50年代に入ってからであり

それも商店街のような舗装された道路に限られていた

 

その頃の私は幼い頃の後遺症で連続テレビというものが

嫌いだった

月刊雑誌も然り 

続き物全てが嫌いだった

 

もし再発したら、再び病院に行き

最後の退院の時の医師の言葉、次に再発したら終わり

その為か、友人を作ることも苦手だった

人と群れることも苦手 人の集まりも苦手

 

そんな中で野球観戦だけはすぐに結果が出るから

何の心配もなく見ることが出来た

 

その分、頭の中の想像力だけは発達したようで

人との会話の中でも突然何かが閃いて

それを自力で解き明かしているためにか

常に、聞いているの?と聞かれた

 

実際あまり聞いていなかったから

大学の推薦入試の試験日を間違えたのだが

 

それが夫と一緒になると

いろいろなことが短期決戦の繰り返しで

悩んでいる暇など無かった

 

役所から届く山ほどの書類

黒いボールペンで書いて、書き損じは受け取らない

 

今のようなコピーではなく、カーボン紙を挟んで

一字一句書き込んでいるのだから

そのプレッシャーは半端ではない

 

漸く書き終えて提出した後に

もしかすると間違っていたのではという不安が襲ってくる

 

当時、後に日航の123便に乗って逝った経理会社の人に

相手も人間だから間違いはある 

少なくとも殺されたりはしないからと大丈夫と言われて

それ以来、何か事が有ると最悪な結果を覚悟して

後は結果を待つという形に変わった

 

結末が見えないから、最初から見ない

結末が見えないから、最悪な心構えをする

 

そこが結末なら、それ以上の問題は起きたりしない

 

会社のことでも、母の病状のことでも、夫のことでも

従業員や子ども達のことでも、常に最悪に備える

 

そうすると何故かそれほど大ごとにはならずに済んでいく

 

大事に変わりがないのだが心構えの問題なのだと思う

 

そうしているうちに、気がつけば私自身の死生観は

子どもの頃とはに真逆になっていた

 

最悪の結末を予見することで色々なことをやり過ごせるようになった

 

そして昨日のブログの認知

 

思えば私が思っていた最悪は

それほど重要な事でもなかったのだ

 

死亡率は100%

 

これは地球上に生きている生あるもの全てに言える言葉

 

厭でもいつかは終わるのだから

この先、今日、今日の午後、明日がどんな風に変わっていくのかを

楽しみにしたほうがずっと幸せなのだ

 

ただ、続き物に関しては、たぶんせっかちな性格もあるのだろう

先に結末を見てからゆっくりと本編を楽しむ癖は直らない