夏越の祓  | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

 2004/06/30 (Wed) YAHOOブログから  

今日は、六月の終りであり、六月晦日は年の臍

というように、一年の折り返し地点でもある。

その今日、神社では、疫病にかからぬように

無事に夏をこせるようにということで、古くから「夏越」のお祓いをする。

そして、日頃の罪を取り払うように、と、

茅(ちがや)を用いて作った大きな輪をくぐることで禊をする、

茅の輪くぐり、という神事をしたそうだ

この茅の輪くぐりの始まりは、神代の昔まで遡るそうで、

武塔神(素盞嗚命)が、旅の途中で、民泊をお願いすると、

大きな邸の人は、武塔神(素盞嗚命)を追い返してしまい、

泊めてくれたのは、蘇民将来という

粗末な家に住む貧しい身なりの人であった。

主は貧しい中で、粟柄の座を設えて、栗飯をご馳走したそうだ。

旅から帰った武塔神(素盞嗚命)は、再び、蘇民将来の家を訪れ

「若し天下に悪疫が流行した時には

「ちがやを以って、輪を作り、これを腰に着けていれば免れるであろう」

と教え給うた。そうだ。

この故事に基き、茅の輪をくぐる時は、

「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」

という拾遺和歌集の一節と、

「蘇民将来(そみんしょうらい)、蘇民将来」という言葉を唱えながら、

左 右 左と、8の字を書くように3度くぐる、

というのが正式な儀式なのだそうだ。

因みに、京都では、茅の輪くぐりをし終えた後、水無月という和菓子を頂くそうだ。

この祓は、また、大晦日の日にも行われ、その祓は、年越しの大祓、と言われる。

大概の神社では、夏越の祓と、茅の輪くぐりは

今日、6月30日に行おうそうだが

鶴岡八幡宮では、ぼんぼり祭の一環として

立秋前日の、8月6日を、夏越の祓 

そして翌日が立秋祭 最後に実朝祭 として

四日間を通した中で行われるそうだ。

この、8月6日の、夏越の祓と、茅の輪神事が行われる日は

鎌倉俳句会主宰の句会、そして、9日の実朝祭には

神奈川県花人会によって、短歌会も行われ、日頃の腕を競う場にもなる。

腕に覚えがなくても、日本古来の民族的な行事に参加するということは

いつもとは違った風景に出会える空間でもある。

 

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ここに出てくる蘇民のお祭り、岩手県奥州市で1000年続いた大黒寺の蘇民祭が

担ぎ手がいないことを理由に今年の2月をもって幕を閉じると報じられたのは

目に新しい

 

この蘇民祭で一番最初に思い出されるのは十年ほど前のJRのポスターのモデルへの

ネットでの嫌悪感だが、実際にはそのお陰で話題が沸騰し、何十億もの経済効果を

齎したそうだ

 

そのポスターを観ると、コロナ初期の都庁のビルが赤く染まる

密です 密です、ソーシャルでスタンス、を思い出すので

密になるということにはまだ抵抗のある人が多いのかも知れないし

 

京都の祇園祭も諸事情での中断と復興を繰り返しているそうだから

とりあえず中断という表現が良いかもしれないと思う

 

復興と言えば 天莫空勾践 時非無范蠡

天、勾践(こうせん)を空(むな)しゅうすること

莫(なか)れ、時(とき)に范蠡(はんれい)無(な)きにしも非(あら)ず 

という言葉

 

これは私が高校時代に学校の校長先生が修学旅行の夕食前に

四条畷の歌と共に吟じてくれた漢詩

 

当時、教師を含む私達は夕食を目の前にしてこの校長先生の詩吟を正座したまま

一時間以上も聞かされるという苦行を被ったことが有ったのだが

私立の校長に敵う教師などいるはずもなく

 

丁度その時、業を煮やした旅館のお手伝いの人が小さな声で

いつになったら終わるのか、帰れなくなる

と私の背後で言っていたので

 

私はそのまま、校長先生のお話は素晴らしいですけど

お手伝いの方が帰宅できなくなるので続きは明日にして欲しいですと

お願いしたところ

たぶん自己陶酔の境地に入っていたであろう校長先生が

はっと目覚めたように詩吟を止めて、終わってくれたのだ

 

そのことに誰よりも喜んだのは他ならぬ私のクラスの担任で

成程これがハンレイか、と

 

ということで、いろいろなことに行き詰まった時に思い出す言葉

 

句践とは中国の春秋時代の越の王で

范蠡という忠臣が呉に敗れた句践を助けて呉を滅ぼしたように

時が来れば必ず誰かの助けを得られる、常に努力すれば天は見捨てたりしない

というのだから

当時化学を担当していた担任の解釈はちょっと違っている気が

しないではないし

ミッションの女子高の校長が2つの戦の詩を吟ずるのもどうかと思うが

 

世の中に出れば日々何かしらの戦いの連続だと言いたかったのだろうか