■ 2003/05/29 (Thu)横濱俳句倶楽部の文章から
山下橋の手前を、元町のほうへ曲がると
空の青を草むらに落としたような露草が咲いてる。
その先にあるのは、少年鑑別所という看板が掲げられた建物。
ある日、着物姿の女性がひとり、風呂敷包みを持って踞み
その露草をぢっと見ていたことがあった。
昭和三十年代終わりの頃のことだ。
露草の青を絞り、真っ白なハンカチに移すと
とても鮮やかな色に染まるが、やがて、褪めてしまう。
だから友禅ではこの露草を搾って下絵を描くのだそうだ。
露草をよく見ると、帽子を中折れにしたように見えることから
帽子花とも呼ばれるそうだが
このほかにも、蛍草、藍花、青花、移草、月草、縹草、
鴨跖草、碧嬋花、百夜草などというものがある。
万葉の時代には、鴨頭草と書いて、つきくさ、と読ませている。
この露草の学名を、Commelina communisというのは、
嘗てオランダにコムメリンという名の植物学者が三名いて、
その中の、一番目立たない人のことを、
目立つ二枚の花弁の下にある目立たない白い花弁に譬えて付けられたのだそうだ。
俳句の世界では、露草は秋の季語になっている。
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女性が見ていた露草の先の少年鑑別所という看板がかかる建物の前には
柘榴の木が有った
今の頃には橙の花をつけ、秋の頃には弾けて赤い実を覗かせる
その柘榴は鬼子母神が我が子可愛さに人間の子を食うということを
止めさせるために釈迦が作った果物だとか
鬼子母神には500人もの子どもがいて、そのこどもを育てるために
人間の子を取って食らう
釈迦はその五百人の子を隠し、鬼子母神に我が子を失うことの悲しみを教えて
子どもの代わりに柘榴を食べさせるという話
たぶん、柘榴の殻が割れて、真っ赤な実がのぞく様子に
異質なものを感じさせるのだろうけど
夫が歩いた、唐天竺を目指した三蔵法師ご一行も
中国からヒマラヤ山脈を迂回してインドまで歩いた
カイバル峠の先の街にある柘榴は真ん丸で赤い野球ボールのようだ
この柘榴の皮をむいてジュースにして初めて飲んだのは
横浜高島屋の地下に有ったフルーツパーラーレモンというお店
その深紅の、ピジョンブラッドと呼ばれるルビーのような色と、
甘い香りとがカクテルグラスに注がれていく様子に
目を見張っていた幼い娘が懐かしい
果物といえば、モンゴルは夏が短いためか殆どの果物が小さいそうだ
その果物と羊の丸焼きがモンゴルの最高のおもてなしなのだそうだけど
高原でナイフ1つで羊を解体する時に、血の一滴も零さないのだとか
その話を聞いたとき
この国の商人なら、
もしかすると裁判官のダニエルに勝ってしまうのではという
邪な思いが過った
露草の花をしばらく眺めた後に
少年鑑別所のある方向に向かった女性は何を思っていたのだろうか