2003/05/10 (Sat)横濱俳句倶楽部の文章から
今日は、1908年に、アンナという少女の願いで、
ウェストバージニアの教会で、母の日の祈りが捧げられた日なのだとか。
この日が、五月の第二日曜日であったことから
1914年に、ウイルソン大統領の提唱によって国民の休日となり、
やがて、これは世界中に広がり、
日本でも、大正時代にはキリスト教の日曜学校ではお祝いをされていたそうだ。
戦前は、国民は皇后の赤子ということで、
3月6日の、皇后のお誕生日に行われていたそうだが、
戦後、世界の母の日と同じように、五月の第一日曜日にお祝いをするようになったとか。
一説によると、母の日を広めたのは、昭和12年に新聞に出された、
森永ミルクの広告であったそうだ。
子供の頃、母の日が近づくと、(町内と)学校で、赤いカーネーションを配った。
そして、50円の寄付をすると、ピンクのカーネーションが貰えた。
そのカーネーションをしていくと、野毛山動物園や
マリンタワーの搭乗が無料になった。
しかし、当時、私の通っている小学校のそばには
船の上で暮らす人たちの子供達が生活する施設があり
両親のいない子どもが暮らす愛児園があった。
その子達は優先的にピンクのカーネーションを貰っていた。
嬉々として真っ赤なカーネーションを胸につける子供達の中で
ピンクのカーネーションをつけている子供達は、何処か遠慮がちにしていた。
彼らにとっては、一年に一度、母親のいないことを痛感させられる日でもあった。
母の日のカーネーションは、
そんな風に、心のどこかにチクリとするものを感じさせるが、
本物のカーネーションの方は、とても優しい色合いの花であり、形である。
カーネーションの名前の由来は、
ラテン語の肉色(Incarnation)とも、戴冠式(Coronation)とも言われているそうだが、
古くギリシャ時代から栽培されていたと言われ、ギリシャ神話に、
美しい娘の生まれ変わりとして登場しているそうだ。
カーネーションの原産地は、地中海の沿岸であり、
19世紀に入り、イギリスの園芸かによって、今の形が作られたということだ。
そして、日本には、徳川時代にオランダ船によって持ち込まれたと言う。
和名は、和蘭石竹。その花の匂いの馥郁としているさまから、
裲香撫子(じゃこうなでしこ)とも呼ばれる。
日本で始めてカーネーションが栽培されたのは、
明治35年、新宿御苑であったそうだ。
今日、街に出たが、最近はカーネーションばかりではなく、
いろいろな花が母の日への贈り物とされていた。
でも、割烹着が似合い、
下駄の音が似合うお母さんには、やっぱり真っ赤なカーネーションが似合うと思う。
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今度の日曜日は母の日ということで
近所のスーパーにはたくさんの種類のカーネーションが並んでいた
夫の母も私の母も既に他界して贈る人も無いが
せっかく美しい花が並んでいるのだから
来る母の日には自分のために一鉢買ってこようと思う