ペンギンの日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

今日はアメリカ合衆国の南極観測基地マクマードに

アデリーペンギンが現れるころに当たるとかで

ペンギンの日とされているそうだ

 

その昔、中田大丸ラケットの漫才に南極観測隊の船に乗って日本にやって来た

その名もペンギン葉山という話が有ったが

今はペンギンに限らず、動物園で展示するためには

海外から動物を買うのは難しい時代になったそうだ

 

展示と言えばその昔、横浜のバザーの会場に見世物小屋が建ったことが有った

 

私の通っていた学区では本来このバザーに行くことは禁じられていて

中学になるとその対策に中間試験の期間になった

 

このバザーは別名を植木市というのだが

その昔、関東大震災直後の開港記念日に当時の市長が多くの植木職人を呼び

時間をかけて植木市を行い、そうなると草木や育ってしまい

持ち帰るのが難儀になる そこで市長は無償でその植栽を引き取り

震災で焼けた横浜の街の街路樹などにしたのだとか

 

そんなわけでバザーには日本中から多くの人が商売にやって来た

 

公園の中には植木市と石の広場でのコンサートと、見世物小屋や

伊勢佐木町にある蛇やの蛇の標本が陳列されたり

 

外周には鮮やかな色のヒヨコや巻貝の卵嚢で作る、やはり色鮮やかな海酸漿や

梯子を上る起き上がり小法師などが売られていて

 

日が落ちるとカーバイトランプが小さな店の形だけを浮き上がらせて

子ども心に浮き立つような光の世界がそこに有った

 

その日は社会科の担任がアテストの問題を作るために

どこかの学校で会議があるとかで出かけてしまい

二時限で終わるというので、数人の生徒でバザーに行くことになった

 

色々とみているうちに誰かが見世物小屋に入ろうと言い出し

みんなで入ることになったのだが、入り口で、お代は見てのお帰りという

 

つまらなかったら払わなくてもよい、と解釈した私たちは

大きな木桶に入った板とかそんなものに呆れて

木戸銭を払わず出ようということになった

 

お代は見てのお帰りなんてありえないのだが、そのまま素通りした

 

たぶん木戸番は後からくる大人が払うと思っていたのだろうが

最後に出て来たのは同じ中学生

振り返ると、彼は襟首を掴まれて

 

私達は恐怖のあまり逃げ出した

 

翌朝、彼は見世物小屋の人に閉じ込められてしまったのかもしれないと

そんな心配をしながら登校すると、有り金全部出して返してもらったとか

 

私を含む逃げた人は全員、親に申告し

その子のところにお詫びに行って貰った

 

彼はなんでお金を使ったかは話さなかったとかで

お詫びに来たことで父親に叱られたが

男としてはよくやったと褒められたと、いつもの笑顔で話していた

 

高校が別になり、会うこともなく何年か過ぎた頃

彼が亡くなったことを聞き

年取ってから居酒屋でお酒でも飲みながら

思い出話がしたかったのにと思ったのを今でもはっきりと覚えている

 

今は見世物小屋も無ければ

緑や黄色や赤に染められた雛も売られておらず

カーバイトの音など有りもせず

 

地域の生産品やキッチンカーが並んでいて

当時を知る縁も無いが

思い出の中の彼は賑やかな光の中でいつも微笑んでいる