通り穀物がしっかりと育つように
天からの雨の恵みが得られる日
天の恵みは昨日のうちにある種強引に届けられたようで
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穀雨とは、
寛政八年に発行された暦便覧という書に寄ると、
春雨降りて百穀を生化すれば也。
ということで、雨が降って、穀物を育てることをいう、とあります。
育つといえば、今日は、小学校の学級文庫に有った、次郎物語の作者
下村湖人の命日。
次郎物語は、昭和11(1936)年に雑誌「青年」に連載された
湖人の自叙伝のようなものだそうです。
彼はどんな嘘も、繰り返し説いていると真理と信じられがちであり、
どんな真理も繰り返し説かないと真理とは信じられないものである。という。
日常の中で、確かにそうだと思えることがたくさんあります。
だから、尚更のこと
真実は常に繰り返して説いていかなければならないのでしょう。
そのためには何が真理であるかを、ちゃんと見分ける目が必要なのかもしれない。
下村湖人といえば、二月に次郎物語を書いたとされる建物が
焼失したというニュースを聴き
次郎物語の舞台が東京の小金井近郊だったというのを改めて確認した次第です
雨が降って、物を育てる、という意味では
天気用語に、催花雨 という言葉があります。
これは、二月の終わりから三月頃に降る雨のことだそうで
俳句の季語には含まれていませんが、
私の好きな言葉の一つです。
今の小金井に、次郎物語の世界を求めるのはちょっと無理がある。
そのように、旧態依然の俳句季語では時代に適わないというこで
10年ほど前に、一般の人にまで広く募って
新しい時代の季語集というものが作られ、
その中に娘の句も選ばれていましたけれど
今の天候や人を取り巻く環境などを見ていると、
そろそろそれをも見直すような時代に来ているのかなと、そう思う今日この頃です。
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この頃からまた一層天候の在り方は速度を増して変化しているように思える
数日前にはドバイで、年間に降る雨よりも多くの降水量で街が冠水していると
ニュースになっていたが、この環境の変化を聞くたびに
古く、バベルの塔について学んだことを思い出す
人はかつて皆同じ言語を話し、そのことで力を得て
ある時、神の領域まで届く塔を建てたのだが
神の怒りに触れて,塔は崩れ
人々はそれぞれに違う言語を話すようになった
ざっくりと言えばそんな話
今は翻訳機を使えばオンタイムで世界の人と会話が出来
多くの国で建物の高さを競っている
この姿は神話の世界の話に通じる、ということではなく
それぞれの国が高い建物を建てることを競い
大気の流れに変化を起こさせているのではないか
地球は自転しているのだから、その地球を囲む大気に
楔のように高層の建物を建て続ければ
自転の速度も微妙に変わりそうな気がするし
千年先に、嘗ては地球に高度の能力を持った人間が存在したが
自己の欲望に走るあまり地球を滅ぼしてしまった
となってしまうのではないか、と
星新一の小説を読み過ぎたわけではないのだが
どんな嘘も、繰り返し説いていると真理と信じられがちであり、
どんな真理も繰り返し説かないと真理とは信じられないものである。
下村湖人の言葉を読みながらそんなことを思っている
因みに下村湖人の湖人は
台湾で教鞭をとっていた故の漢詩に由来するものではなく
スコットランドの詩人、ウォルター・スコットの『湖上の美人』に由来するとか