忌日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

忌は一文字で、い(まわしい、いむ)、き と読む

 

今日は室生犀星、与謝野鉄幹、山口誓子、そしてベートーベンが亡くなった日

 

四人に共通するのはいろいろなツールでリズムを生み出すこと

 

室生犀星は今でいう毒母のもとに石川県の金沢市で生まれ

養い親のところに引き取られるとき受けた対価さえ母親は享楽で費やしたとされる

 

その母を生涯他人として生きた犀星の代表的な詩 

抒情小曲集を読み返すと

 

ふるさとは遠きに有りて思うもの

そしてかなしく歌うもの

よしやうらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)になるとても

かえるところにあるまじや

 

母親への怒りにも似た恋慕が垣間見える気がする

 

与謝野鉄幹は昭和の時代、文人たちが好んで歌った

人を戀ふる歌

妻をめとらば才長けて

顔うるはしくなさけある

友をえらばば書を讀んで

六分の俠氣四分の熱

 

当人の要望のような詩は

あと15抄ほど続が

この詩は鉄幹が晶子という新人歌人との不倫に対して

世間から妻子ある男性と恋仲になった晶子が

責められたことに対する弁明、のようなもの

 

鉄幹は晶子に出会うまでに多くの女性と恋をして

子どもを作り

そして最終的に晶子との間にも12人の子どもをもうけている

 

山口誓子については、高浜虚子の弟子であり

ホトトギスの同人であったことは

学んで知っているが、作品についてはあまり記憶がないが

 

一句

海に出て木枯らし帰るところなし

 

という俳句の背景には興味があった

1943年(昭和18年)に詠まれたというこの俳句は

誓子が養子にしていた若者が戦死したことを詠んだ句だとか

そしてそれは静かなる反戦の句だと聞いたことが有った

 

誓子自体はどこかで語っていたわけではないが

 

海に出て行ったのは、片道だけの燃料を積んだ飛行機と一人の青年、と

 

そう言われてみると

本来なら前途洋々とした世界であるべき海へ向かった一陣の木枯らしは

二度と大地に戻っては来ない、という寂寞とした思いになる

 

一方で、海に出た木枯らしは、そのまま大海を抜けて大陸に向かうという

壮大な未来をも思わせる

 

俳句の世界の醍醐味は読み手によって背景が変わっていくこと

そう教えてくれたのは私に最初に俳句の手解きをしてくれた祖父だが

私はその祖父の忌日を失念している