今年もいよいよ数日を残すのみ
お正月の支度も佳境に入ってくる
天井から床下まで掃除して窓ガラスや玄関のガラスを磨き
注連縄を飾り
母は私と妹の着物の丈を確認してあげを縫い直し
呉服屋さんから姉たちの着物が届き
お正月のお参りに行くための新しい下着と靴下と足袋を用意して
父は火鉢に当たりながら
少しずつ貯めた小遣いで子ども達のお年玉を用意している
薬局で屠蘇散を買ってきて
重箱や屠蘇の器を出して磨いて
十二月半ば頃になると近所の家で集まって餅搗きをする
糯米は各家から持ち寄り
杵と臼は近所の酒屋さんの倉庫から持ってくる
餅は二日かけて作ってはいけないから
午前一時に糯米を研ぐ
冬の真夜中に何度も水を変えて糯米を研ぐのはとても大変なことだけど
親たちはそれを厭うことなく
しっかりといたら水に浸し
一時間ほどしたら薪で火を熾し、糯米を蒸らす
臼の中にお湯を入れて、杵を浸し温める
蒸しあがった糯米を入れて搗く
杵で搗く人と捏ねる人の息が合わないとうまくつけない
そして搗きあがった餅は米を持ち寄った家と
糯米を買えない家の分に分けられて
子ども達はその餅を持って
おふるまい、と言って糯米を買えない家に届ける
先日J事務所から新しい事務所に移籍した人が
その場を上手く繋ぐことを餅を搗くと表現していた
現場を上手く回すことを表現しているのだと思うが
一般的に餅を上手く搗くというのは
杵を男性として臼を女性とする夫婦円満のことを言い表していた
時代の流れで臼と杵で餅を搗く夫婦はいなくなり
町内で餅搗きをする様子も見なくなった
町内にどんな大人や子どもがいるかも分からず
餅が買えないほど生活が苦しい家があるかも分からない
隣の住民の顔さえ分からず
隣からおかずのおすそ分けさえ届くことも無い
そんな環境で寂しくないんだろうか
そしてまたお餅は29日に搗くとくんち餅として
苦を呼ぶと避けられていて
31日にお飾りをすることは一夜飾りとして同様に避けられているけど
スーパーではそんなことを一向に気にする気配も無い
今の日本は
ご近所という小さなコミュニティーでの
自助を基本としていた時代から
公助という、一見自由で平等に見えながら実際は規約に縛られる
社会の中の一コマになっているように思える
先日生命保険会社が集めたアンケートの答えに
小学校の女子児童のあこがれの仕事の第一位は
『働きたくない』とあったそうだ
本当に小学生が書いた答えかは謎だが
なんて書いている我が家では鏡餅さえパック入りのモノを買っている訳で
商売人の半分機械で搗いた餅ではなく
杵と臼でしっかりと搗かれた、搗きたての餅に
少しだけお醤油ををたらして食べたら美味しいだろうなと思いつつ
何故か集団で走ると雄叫びをあげるお年頃は
〇〇のおばさんちにお餅を届けてと言われると
おふるまいの口上を忘れて
一斉に「おばさん」を連呼しながら家に向かい
間貸しのアパートの入り口で赤ちゃんをおんぶしたおばさんが
待っている様子が目に浮かんでくる
今の時代は、玄関が一つで、トイレは共同で、小さな流しに三畳間の部屋で
一家三、四人が暮らす光景など想像も出来ないことだと思うが
あの頃は貧しさに負けている人はいなかったように思う
小泉進次郎講和でないが、何故ならみんながみんなが貧しかったから