年の瀬 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

あと半月余りで今年も終わる

 

この頃になると、年越しの買い物をしに伊勢佐木町に行くのが習わしだった

 

当時、野沢屋というデパートが有り、そこで新しい靴下や下着や日用品を買って

有隣堂で新年号の付録付きの本とカルタを買って貰う

 

買い物が終わると、博雅という中華料理屋さんで大きな焼売とラーメンを食べる

 

子ども達を連れて忙しない母は時々野沢屋でお金を払って品物を受け取らず帰り

夕方近くに次姉と二人で取りに行ったりする

 

後に野沢屋は野沢松坂屋に変わり

その時のディズニーの101匹わんちゃんの絵のコンテストかあり

私は銅賞になり、賞品にドッジボールを貰った思い出がある

 

野沢松坂屋は松坂屋と変貌し、伯父がそのお店に関わっていたことで

夫の会社にも外商の人が来るようになった

靴下一足からお届けしますと

踵を少し上げて挨拶する、謹厳実直という言葉が相応しい人だった

 

当時、買い物が苦手な夫にとって、それは好都合で

何度か来てもらって、夫が取引先の総会でハワイに行くときのタキシードや

息子の式服を頼んだりした

 

それが、伯父が亡くなると、パタリと来なくなった

 

我が家ほどの売り上げでは外商するに値しないのだろうと思っていたけど

松坂屋はその後、伊勢佐木町から撤退したので外商している場合では無かったのかもしれない

 

野沢屋は埼玉県出身の雑貨商が野沢屋という呉服屋に勤めたのが始まりだったとか

その後、伊勢佐木町にビルを建て、戦後は進駐軍に接収され、野沢屋から野沢松坂屋に名前が変わり

2008年に閉店している

 

この話を書いているうちに

進駐軍が接収していたのは松坂屋では無かったのか、と不思議な気がした

歴史というものはなんとか派というように名前の大きいほうが残りやすいのだろうか

 

伊勢佐木町くらい町が常に変貌しているのに行く客の客層が変わらない町も珍しいと思う

 

銀ブラに対してイセブラという言葉があるが

店に入るよりも、店を眺めて歩いている人が圧倒的に多いのだ

 

1970年代から歩行者天国であるだけではなく

一丁目から五丁目まで、通り抜けるような大きな駅が有る訳でもなく

五丁目の先なんて小さな公園があるだけだし

店の中の人も後ろ手を組んで、呼び込むわけでもなく

 

先日久しぶりに行ってその理由が分かった 店を見ているだけで楽しいのだ

 

昔、大昔、伊勢佐木町にはいくつもの芝居小屋があり

伊勢ブラという言葉もその当時からあったとか

 

その影響でこの街からは多くの小説家やミュージシャンが生まれている

松坂屋の前で路上ライブをしていたゆず然り

 

なんてことの無いいろいろな店から道路に流れる光の色が人を誘い出す

 

年の瀬になると思い出の中でその状況が一段と濃くなり

そうだ、明日は伊勢佐木町に行こうという気分になる

 

もうとっくの昔に新年号の付録付きの雑誌を買う年頃でもないのだけど