カーブミラーというものが初めて設置されたのは十国峠だったとか
それも車のためではなく伊豆箱根鉄道のための道路反射鏡
福島県の夫の実家の先の飯館村に真野ダムが出来る前、義兄の案内で行ったことが有る
既に人は引き払い、誰もいない町に、やがて沈みゆく家、庭、店、そして郵便ポストと
ガードレールと、カーブミラー
今にでも車が走って来そうな舗装された道路
この街がもうすぐ沈んでいくと夫の兄の説明を聞きながら
昼間ではありながら人の気配の全くしない町の静けさが得も言われぬ恐怖心を誘った
写真は丹沢湖の橋の手前 この丹沢湖も三保ダムを造る際に出来た人造湖であり
この地からも二百人ほどの住民が故郷を失くしている
嘗て新潟のダム建設で沈んでいく村とその村の人々を記録する
ふるさとは消えたか という映画があった
また笠智衆が同様にダム建設のために生まれ育った地を離れることになる
老人を演じた映画もあった
その頃は故郷が消えていくのは気の毒な話だと思った
しかし、夫にとって生まれ故郷というべき場所は
両親が亡くなり、跡を継いだ義兄も亡くなり
例えば行くことは出来ても、そこに故郷というぬくもりの無い家
家族の笑い声も無ければ、過去の記憶も無い夫には思い出の地でもない
物理的な故郷というものはいつかは消えていくものだと思う
その一方で、先日面会に行った夫は嬉しそうに義弟と出かけた話をしていた
会いに来てくれた義弟と坂を上ってどこかに出かけたらしい
にこにこと笑う夫を見ながら、故郷というのはその場所ではなく
それぞれの記憶の中に残っていくものなのだとしみじみと思った
もろもろの記憶が消えた後の私の故郷の時間はいったいどこになるのか
この話を書きながら
今頃あのカーブミラーはもしかして魚たちを驚かせているのだろうか
なんてつまらないことを考えている
